いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
工藤茂(くどう・しげる)/1952年秋田県生まれ。フリーランス編集者。15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。
第31回:生涯一裁判官
この4月14日、関西電力高浜原発第3、4号機の再稼働差し止め仮処分申請について、福井地裁の樋口英明裁判長は再稼働差し止めを命じる仮処分を決定した。
原子力規制委員会による新規制基準を「緩やかすぎ、これに適合しても安全性は確保できない」と否定したうえで、「国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうとの見通しのもとにこのような対応は成り立っているといわざるを得ない」と、原子力規制委員会の姿勢を断罪した。つまり、安倍首相や菅官房長官がさかんに口にしている「世界一の安全基準」をバッサリと切って捨てたのである。
関西電力は高浜原発第3、4号機について、原子力規制委員会による2月12日の新規制基準適合の判断をうけて、今年11月の再稼働を予定していたが、この判決によって再検討を強いられることになった。関西電力は判決を不服として異議を申し立てたが、仮に認められるとしても半年から1年を要することになり、それまでは再稼働できないことになる。
およそ1年前の5月21日には、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め判決があったが、こちらも同じ福井地裁の樋口裁判長の担当だった。新規制基準に基づく再稼働の審査をうけていた大飯原発第3、4号機について、住民側が運転差し止めを求めた訴訟で、2011年3月の福島第一原発の事故後では、運転差し止め訴訟のはじめての判決だった。
樋口裁判長は、「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値をもつ」と述べ、さらに「関電は、原発の稼働が電力供給の安定性につながるというが、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考える」とした。そのうえで、「大飯原発の安全技術と設備は脆弱なものと認めざるを得ない」と地震対策の不備を認定し、運転差し止めを命じた(『朝日新聞』web版、2014年5月22日付)。
原告団は「丁寧に読めば福島の犠牲があったから出た判決だと分かる。人間の生命を尊重することが社会の根幹で、これがないと日本は成り立たないとはっきり言っている」と評価した。
この判決が出た瞬間の福井地裁前の沸き立つ様子は、ドキュメンタリー映画『日本と原発』(河合弘之監督)のラストシーンを飾った。『日本と原発』は、この裁判の原告側弁護団共同代表のひとりである河合弁護士本人が自費を投じて監督・製作した作品である。
原発の専門家や有識者へのインタビューを効果的に盛り込みながら、原発の問題点を誰にも理解できるような作品に仕上げられ2014年秋に一般公開された。さらに2015年2月の伊方原発運転差し止め訴訟や4月の泊原発廃炉訴訟では証拠として提出され、30分間ではあるが両法廷で異例の上映もおこなわれた。河合監督の念頭には、この映画のこうした利用法も当初からあったようだ。
さて、このふたつの判決の原点ともいえる判決があった。2006年3月24日、金沢地裁の井戸謙一裁判長は、北陸電力志賀[しか]原発2号機の運転差し止めを命じる判決を出している。判決内容は、北陸電力の想定をこえる地震によって原発は事故を起こし、住民らが被曝する可能性があるという警告を発するもので、福井地裁判決までは、この金沢地裁判決が原発の運転差し止めを命じた唯一の判決だった。しかし被告の北陸電力はただちに控訴し、2009年3月18日の控訴審判決で一審判決は取り消され、最高裁が住民の上告を棄却して終わっている。
金沢地裁判決から5年たち、大地震と津波によって福島第一原発は全電源喪失、核燃料はメルトダウンを起こし、事故から4年が過ぎても融けた核燃料の行方すら分からない有様である。井戸裁判長は退官後の2011年に弁護士となり、今回の福井地裁の訴訟でも「福井から原発を止める裁判の会」の一員として原告側を支えている(『東京新聞』2014年6月3日付)。
ところで、今年の4月14日の福井地裁判決のニュースが報じられた直後、気になるツイッターを目にした。
「判決を下した樋口裁判長は大飯原発の運転差し止め判決を出した後、1日付で名古屋家裁に異動したが名古屋高裁が福井地裁判事職務代行を発令し、引き続き担当した」とあった。
なにがなんだか意味が分からない。『東京新聞』(2015年4月15日付)に樋口裁判長についての紹介があった。しかも顔写真つきである。彼は4月1日付で福井地方裁判所から名古屋家庭裁判所へ異動となったが、「異動前に担当していた案件を引き続き審理する職務代行の手続きを取り、自ら決定を出した」とある。
瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書、2014年)には、「日本の裁判所は事務総局中心体制であり、それに基づく、上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキーである」とあって、相撲番付のように決められているという。瀬木氏は33年間裁判官を勤めたのち、2012年に明治大学法科大学院専任教授へと転身した人物で、裁判所の内情に詳しくないはずはない。
以下、『絶望の裁判所』による。ピラミッドのトップにくるのは最高裁長官であり、14名の最高裁判事がそれに従う。次が8名の高裁長官で、東京、大阪、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松の序列がある。そして大都市の地家裁所長、つづいて東京高裁裁判長、大阪高裁裁判長などとこまかく序列がある。これとは別に事務総局のトップである事務総長は最高裁長官の直属の部下であり、最高裁判事、最高裁長官への確実なステップだという。
こういった裁判所人事を念頭においたうえで、改めて樋口裁判長の紹介記事を読み直してみる。30年以上のベテランとある。1983年に判事補となって以来、福岡地裁、静岡、宮崎、大阪の各地裁をへて2012年に福井地裁、2015年4月に名古屋家裁へ異動。現在62歳である。定年まで3年を残しての地裁から家裁への異動は、審理からはずされての左遷とみるのが自然であろう。
記事には過去に関わった判決の要旨も簡単に触れられているが、その判断はまともすぎるほどまともで、すっきりしたものである。日本国憲法第76条第3項には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるが、この条文にあるがまま、出世など念頭になく、腹をくくったひとであることが理解できる。
『週刊現代』(2015年4月28日号)に先の瀬木氏へのインタビューがある。「職務代行とは裁判事務の取扱上さし迫った必要があるときに、ほかの裁判所の裁判官が代理で裁判官の職務を行うことができるというものです。このケースだと、樋口さんが『これは自分でやるから職務代行にしてくれ』と強く主張したのでしょう。これまでも彼が審理してきたわけですから、強く希望したのであれば、裁判所としても代行を拒否するわけにはいかないはずです」とある。
そして『日刊ゲンダイ』web版(2015年4月1日付)による。樋口裁判長が名古屋家裁に異動することを知った関西電力は、「裁判官忌避」という手段で判決の引き延ばしをはかったという。裁判長が異動すれば判決も変わると読んだのだ。しかし「裁判官忌避」というのは裁判長に失格の烙印を押す行為で、裁判長相手に喧嘩を仕掛けたも同然という。河合弁護士の講演を聞いた知人によれば、自分のようなヤクザな弁護士がすることはあっても、大企業の顧問弁護士などは決してしないことになっている行儀の悪いことで、関電側も恥も外聞もなく必死だったと語っていたという。樋口裁判長は怒り「異動はするが、この訴訟だけは俺がやる」と職務代行手続きを取ったのである。樋口裁判長は闘うひとだった。
日本政府は2030年の電源構成目標として原発20〜22%を維持する方針で、樋口裁判長の判決などどこ吹く風である。それでも3.11以降、原発に関する司法の風向きは変わったのではないかという期待は、わずかながらもあった。
そんな4月22日、鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)は九州電力川内原発1、2号機の運転差し止め仮処分申請を却下した。原子力規制委員会による新規制基準に不合理な点は認められないとして、福井地裁が否定した新規制基準を合理的と認めたのである。事故発生時の避難計画については規制基準にはふくまれていないが、それも現時点での合理性・実効性を認め、噴火の危険性については、「カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い」と一蹴した。
この鹿児島地裁判決について『東京新聞』は独自に取材、検証をおこない、4月27日、5月5日付紙面に大きく掲載した。京都脱原発弁護団事務局長の渡辺輝人弁護士は「責任回避そのもの。裁判所は安全面を評価できない、国で必要な水準を決めてくれと、判断を放棄しているのと同じだ」と切り捨てたほか、おもな論点とされた避難計画や噴火リスクについても大きな疑問が浮かび上がってきた。
鹿児島地裁は、県が調整システムを整備し、迅速な避難先の変更に備えていると認定したが、県への取材では、風向きの入力で避難先施設の候補がリスト化される程度のもので、一件一件避難先へのこまかな確認が必要で、混乱のなかで対応できるかどうか心許ないものだった。
また、巨大噴火の判断材料とされた当の学者たちは、事務方から説明を受けただけで意見を求められず、問題を指摘する機会も与えられなかったと答えており、現実問題として、ほとんどの学者は大噴火はあると考えていて、それが10年先か1,000年先か分からず、危険がないように判断されるのはおかしいと答えている。
川内原発1、2号機は昨年9月、原子力規制委員会によって新規制基準適合が認められている。九州電力は7月に1号機の再稼働の予定だが、こんな判決によって一歩現実に近づく形となってしまった。
住民側は地裁決定を不服として福岡高裁宮崎支部に即時抗告したが、8割のひとが国の原発優先政策の変更を求めているという民間団体「安全・安心研究センター」のアンケート結果も報道された。さて福岡高裁は、住民、国の政策のどちらを向いた判断を下すのであろうか。
やはり3.11はなかったのであろうか。川内原発は高裁判決前に再稼働され、高裁でも地裁判決支持となるかもしれない。高浜原発の福井地裁判決はいずれ上級審で覆されるのかもしれない。もちろん、樋口裁判長はこれ以上高浜原発訴訟の審理に関わることはないだろう。
『絶望の裁判所』には、こんな絶望的な記述がある。
「良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くから、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまるところを知らないということになりやすい」
「私が若かったころには、裁判官の間には、まだ『生涯一裁判官』の気概があり、そのような裁判官を尊敬する気風も、ある程度は存在したように思う。(中略)しかし、二〇〇〇年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風をもほぼ一掃してしまったように感じられる」
いや、それでも少数派ながらも井戸裁判長や樋口裁判長のような裁判官はまだいるはずだ。ささやかな望みだが、期待することにしよう。 (2015/05)
<2015.5.11>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第32回:IAEA最終報告書
『東京新聞』(2015年5月25日付)2面に、大きな見出しが躍った。「『想定外』を一蹴」「『国際慣行に従わず』批判」「再稼働の動き 再発危惧」などなど。そして1面下には、その概要を紹介する記事が目立たなくおかれていた。
なにごとかと見てみると、24日、福島第一原発の事故についてIAEA(国際原子力機関)が総括してまとめた最終報告書の全容が明らかになり、東京電力や日本政府規制当局の姿勢を厳しく批判しているというものだった。ウィーン発、共同通信による配信記事である。
IAEAとは、原子力の軍事転用を防ぎ、平和利用を促進する機関であって、原発推進の立場にある。当然ながら世界の原子力産業との結びつきも深い。加えて、現在の事務局長は日本の外務省OBであることからして、日本に対してそれほど厳しい姿勢をとるとは考えにくい。
チェルノブイリ原発事故から5年たった1991年、IAEAの国際諮問委員会がまとめた「チェルノブイリ事故に関する放射線影響と防護措置に関する報告」がある。そこには、「住民は放射線が原因と認められるような障害を受けていない。今後もほとんど有意な影響は認められないだろう。もっとも悪いのは放射線を怖がる精神的ストレスである」とある。
福島第一原発の事故直後にも、御用学者といわれるひとたちが同様の発言をしていたことを思い起こすが、このような結論をまとめる国連傘下にある機関である。それでも、IAEAがまとめたものは国際的な権威あるデータとして用いられる。
そんなことを思いながらも記事に目を通してみると、なかなか驚くべき内容だった。以下は『東京新聞』の記事による。
IAEAの最終報告書は42カ国の専門家約180人が参加し、240ページの要約版にまとめられた。要約版は6月8日からのIAEA定例理事会で審議され、9月の年次総会に詳細な技術報告書とともに提出される予定である。その要旨は次のようなものである。
1. (自然災害など)外的な危険要因に対する原発の脆弱性について、総合的な見直しをしたことがなかった。
2. 東電は、原発事故の数年前に、福島県沖でマグニチュード8.3の地震が起これば第一原発を襲う津波の高さが最大約15メートルにおよぶと試算していたが、対策を取らず、原子力安全・保安院も対応を求めなかった。
3. 2007年の(IAEAによる)訪日調査の際、「設計基準を超える事故について検討する法的規制がない」と指摘し、保安院が安全規制向上の中心的な役割を果たすよう求めたが、抜本的な対策は取られなかった。
4. 第一原発の設計は津波のような外的な危険要因に充分に対応しておらず、IAEAから勧告された安全評価による審査も実施されず、非常用ディーゼル発電機の浸水対策も取られていなかった。
5. 原発で働く東電社員らは過酷事故に対する適切な訓練を受けておらず、津波による電源や冷却機能喪失への備えも不足していた。
6. 事故当時の規制や指針、手続きは国際的慣行に充分にしたがっておらず、過酷事故の管理や安全文化でも国際慣行との違いが目立った。
7. 日本では、原発が堅固に設計されており、充分に防護が施されているとの思い込みが何十年にもわたって強められていたため、電力会社や規制当局、政府の予想範囲をこえ、第一原発事故につながる事態となった。
8. 原発事故と自然災害への対応では、国と地方の計画がばらばらで、事故と災害の同時発生に協力して対応する準備はされていなかった。
9. 子どもの甲状腺被曝線量は低く、甲状腺癌の増加は考えにくい。
ちょっと長くなったが、これがすべてではない。冒頭にかかげた『東京新聞』の見出しも厳しいが、記事の論調もきわめて厳しい。
「事故当時、東電や日本政府からは『想定外』との弁明が相次いだ。しかし、IAEAは日本が何十年にもわたり原発の安全性を過信し、発生の確率が低い災害などに十分備えてこなかったと一蹴した」。さらに、こうした厳しい批判の背景には、日本では原発再稼働への動きが顕著で、再び過酷事故が起きかねないことへの強い危機感がIAEA側にもあるとしている。
評論家の天木直人氏がメルマガでこの問題を取り上げていた。「これは物凄い報告書である。あの事故は人災だったと言っているようなものだ。東電の責任は免れないし、訴訟が起こされれば負ける事は間違いない。もちろん日本政府の責任は重大である」とまで記している。
『東京新聞』の報道はこれで終わらない。6月9日付では共同の配信でIAEA定例理事会開催を、11日付では審議の中間報告と最終報告書の序文をふくめた詳細な要旨、12日付で全面とさらに4分の1ページを使ってIAEAの指摘の分析や訴訟への影響も報じているが、12日付のみ配信記事ではない。まさに『東京新聞』の意気込みがあらわれた報道だった。
なかでも、6月9日付掲載の天野之弥[ゆきや] IAEA理事長の記者会見の内容が厳しい。日本がすすめる原発再稼働について、安全を確保する政府の責任を強調したうえで、最終報告書の教訓を生かし、安全を最優先するように訴えたという。
田中原子力規制委員長の「規制基準への適合は審査したが、安全だとは申し上げない」という言葉や、安倍首相や菅官房長官の「規制委員会によって安全性を確認された原発については再稼働を進める」という言葉で曖昧にしていた責任の所在を、明確に日本政府にあるとクギを刺している。
そして12日付の記事は天木氏の指摘をうけたもので、東京地検や各地の地裁に起こされた訴訟に与える影響について報じている。なかでも一度不起訴となった東電の勝俣元会長ら旧経営陣3人に対して検察審査会が起訴相当とし、今年1月再び不起訴、検察審査会による再審査が現在行われている。東京地検の判断がこの報告書によってくつがえり、強制起訴となる可能性があるほか、18地裁・支部に起こされている訴訟への影響にも触れている。
こういった指摘はIAEAの最終報告書以前にもなされていた。2006年12月、共産党の吉井英勝議員は当時の第1次安倍内閣に提出した質問趣意書で、原発の外部電源の脆弱性など数項目の見解をただしているが、「非常用電源で対応可能」「メルトダウンはありえない」「そういう事態が生じないよう安全確保に万全を期している」といった答弁書で答えている。吉井氏は京都大学で原子核工学をおさめた専門家だが、その後も多くの質問を提出していて、その経緯は著書にまとめられこの6月中旬に刊行予定である。
また、『産経新聞』(2011年6月11日付)の報道だが、ネット上の転載記事でみることができる。IAEA元事務次長で、スイスの原子力工学の専門家ブルーノ・ペルード氏がインタビューで答えている。1992年ごろに東電に対し、水素ガス爆発の危険性が指摘されていたGE社製沸騰水型原子炉マーク1型である福島第一原発の格納容器と建屋の強化など4項目の提案をしたが対策はとられず、2007年のIAEAの会議で地震と津波の対策を指摘した際には強化を約束したが、今回の震災で基本的な対策を怠っていたことが判明したという。
福島第一原発の事故は、こうした警告や指摘を長年にわたって無視してきた結果起きたもので、「想定外」ではなかった。天木氏の指摘のとおり「人災」に相当するが、いまのところだれも責任をとってはいない。裁判の今後の行方を見守ることにする。
5月28日、鹿児島県の川内原発1号機が7月下旬に再稼働かという報道があったが(のち、8月中旬以降に変更)、翌29日午前には同県の口之永良部島の新岳が噴火。噴煙は9,000メートル以上、火砕流は70秒で海まで達し、全住民は島を脱出した。同県桜島の爆発的噴火の頻度も増してきている。さらに30日午後8時半には、小笠原諸島付近を震源とするマグニチュード8.1、最大震度5強の地震があった。
煽るつもりはないのだが、日本列島では2011年3月の東日本大震災以来、地震や噴火が起きやすい状態になってきていることはだれもが感じることだろう。「スイッチが入った」という言い方をする専門家もいる。その一方、田中俊一原子力規制委員長は「(原発が)稼働している間は(大噴火は)起こらないだろう、との判断でやっている」といつもの調子ですっとぼけているが、再稼働を目指す川内原発は、火山対策も住民避難路も確保されないままに放っておかれている。
天木氏は先のメルマガで、この重要なスクープを大手新聞が報じていないことを指摘している。天木氏は宿泊先の高知にいて、『高知新聞』1面に大きく報じられた記事を見たという。おそらくホテルで大手紙も確認したのであろう。ぼくはいくつかの地方紙、ブロック紙のweb版での報道を確認しているが、自分の目で見た範囲ではテレビは取り上げていない。
天木氏は次のように記している。「はたして大手新聞はこの大スクープを今後転載するのだろうか、それとも一切無視しつづけるのであろうか。(中略)どう考えても作為的だ。そこには安倍政権の原発再稼働にとって大打撃であるという配慮が働いたと思う」
そして4日後の29日になって『朝日新聞』が取り上げたが、他紙の報道はない。『朝日新聞』は扱いが小さいながらも、12日も取り上げていた。『東京新聞』は大手紙のこういった鈍い動きを見て、おおいに発憤したのかもしれない。
おそらく政府に不都合な情報はひろく報じられない。安倍政権はマスメディアを抑えたといわれるが、たしかにテレビ、新聞の大手はほぼ抑えられてしまったようだ。見事である。
日本政府、東京電力の過失やIAEAの重要な指摘が伏せられたなかで、今後いくつかの老朽化した原発を再稼働させるのかもしれない。建設中の3基の原発の稼働もあるかもしれない。そうなると今後数十年は原発の危険から逃れることはできない。いずれ過酷事故の再発も起こりうるのではないか。こういう政府があって、その政府を支持する多くの国民もいる。
ところで、今回の報道からうかがう限り、IAEAはきちんとやるべき仕事をやっていることを確認できたように思う。今後にも期待したいところである。しかしそれ以前に、いまなすべきことは原発の再稼働阻止である。日米原子力協定があるからと怯んではいけない。それでも政府を動かして、アメリカと向き合って交渉させなくてはならないのである。(2015/06)
<2015.6.12>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第33回:安倍政権と言論の自由
日本の英字新聞『The Japan Times』(2015年4月14日付)に「Japan’s prickly revisionists [日本の厄介な歴史修正主義者たち]」という記事が掲載された。Hugh Cortazzi氏という、かつて英国駐日大使館に勤務した人物による署名記事である。内田樹[たつる]氏による翻訳がネット上にあるので紹介する。
タイトルが示しているとおり、Cortazzi氏の記事の書き出しは手厳しい。
「日本の右翼政治家たちは海外メディアの報道を意に介さないでいる。彼らが外国人の感情に対する配慮に乏しいのは、外国人を蔑んでいるからである。(中略)右翼政治家たちは日本の歴史の中に暗黒面が存在することを指摘する外国人を「反日」(Japan basher)、日本の敵とみなしている。このような態度は日本の国益と評価を損なうものである」
書き出しに続いて、ドイツの新聞『Frankfuter Allgemaine Zeitung』の特派員が離日にあたって寄稿した記事を海外特派員協会(註:正確には日本外国特派員協会)のジャーナル(註:会報だろうか)で読みショックを受けたと記す。ちなみに『Frankfuter Allgemaine Zeitung』紙は、つねに事実の裏付けを取っていることで、ドイツでは高い評価を受けているまっとうな新聞だという。
その特派員が、安倍政権の歴史修正主義に対して批判的な記事を書いたことがあった。これに対して、日本政府の指示を受けたと思われるフランクフルトの日本総領事がこの新聞社を訪れて、外信部のシニア・エディターに対して抗議を行った。
中国がこの記事を反日プロパガンダに利用している。この記事には金も絡んでいるはずだ。特派員は中国行きのビザをもらうために書いているなどと、日本総領事は勝手な解釈を並べたという。ちなみにこの特派員は中国へビザ申請もしていないし、中国に行ったこともない。シニア・エディターがこの記事のどこが間違っているのか教えてほしいと求めたが、日本総領事からの返事はまったくなかったという。
この特派員(Carsten Germis氏)の元の記事の内田氏訳が、まったく別のサイトにあった。そこでは特派員の名前も記されている。Germis氏によると、外務省の役人たちは2014年から海外メディアによる日本批判記事を公然と攻撃するようになったという。何度もランチに呼び出され、「口調はきわめて冷淡なもので、説明し説得するというよりは譴責[けんせき]するという態度」、Germis氏の言い分にはまったく耳を貸さなかったという。
読みながら言葉を失ったり情けなくなったりしてくるのだが、Cortazzi氏の記事は「残念ながら、このケースは単独ではない」と続く。
今年の1月にはニューヨークの日本総領事が、アメリカの教育出版社McGraw-Hillに「慰安婦」に関する記述を削除するように要請している。McGraw-Hillは「執筆者たちは事実を適切に確認している」と答え、要請を拒絶した。
ぼくが集めた情報による補足だが、この件は日本やアメリカの新聞でも報じられ、アメリカの歴史学者29名が日本政府を批判する声明を発表した。その後大きくひろがりをみせ、5月には世界の日本研究者たち187名、日本の歴史学16団体も声明を発表している。
Cortazzi氏自身も、数カ月前に尖閣諸島については論争があることを書いたが、即座に中国を利しているとはげしい罵倒を受けたという。訳文にはないが、外務省の役人からであろう。
記事は、イギリスのメディアが日英関係に配慮して、日本の歴史教科書の記述についてあえてコメントを控えてきていることに触れたのち、次のようにまとめられて終わる。
「日本の外交官たちは彼らの政治的主人の要望を実行しなければならない。それゆえフランクフルトやニューヨークの総領事が本国からの指令に従って行動したということを私は理解している。しかし、それでも日本の外務省は外交官に指示を出す前に、まず彼らの政治的主人に対して、歴史的事実は恣意的に変更することはできないこと、ジャーナリストや学者に対する検閲は反対の効果をもたらしがちであることを理解させるべく努めることを私は希望するのである」
少々話題が変わる。3月27日夜、テレビ朝日「報道ステーション」で、コメンテーターの古賀茂明氏は降板にあたって、「菅官房長官をはじめ官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきましたけれども……」と発言した。
菅官房長官は記者会見で、言論の自由、表現の自由の重要性について語ったあと、「事実にまったく反するコメントですね。まさに公共の電波を使った行動として、極めて不適切だというふうに思っております。(中略)放送法という法律がありますので、まず、テレビ局がどのような対応をされるかということを、しばらく見まもっていきたい」と述べている。さらに権力政党である自民党はテレビ朝日の経営幹部を呼びつけ説明を求めてもいる。
言論の自由、表現の自由は大切だと言いながらも、「放送法」をちらつかせてテレビ局に圧力を加えている。あたかも安倍政権幹部や自民党にとって、こういった言動はごくごく当たり前のことにすぎないかのようだ。
これは確認の取れていないものだが、「政府関係者によると、世耕官房副長官が日本外国特派員協会のアラ探しをするよう内閣情報調査室に命じたとのこと」という情報がある。
AFP通信の記事(2014年11月28日付、web版)によると、日本外国特派員協会で12月の総選挙を行う理由や目的、政策について投票日前に会見してほしいと自民党に申し入れているが、連絡もなく一切の取材を拒否している。さらに「『政治・経済』『外交』『国防』『集団自衛権などの改憲』などに関しての厳しい質問が出されると想定され、それを懸念して、安倍首相は尻込みしている」とまで書かれている。情けないことだが、こういう記事が写真付きで世界に配信された。
先の Germis氏によれば、協会はその後も毎月取材を申し込んでいるが、自民党は一度も応じていないという。北朝鮮や中国でも海外メディアにはきちんと対応しているという。
日本外国特派員協会の会見となると日本記者クラブとはまったく異なり、海外のジャーナリストによる遠慮のない追及を受けることはたしかである。つい先日(6月29日)も、安保法制を合憲とする憲法学者西修、百地章両氏とフランス人記者との間ではげしいやりとりがあったばかりだ。いつしか、日本外国特派員協会への弾圧が始まるのであろうか。
さて6月25日に開かれた、自民党の安倍首相支持の議員を中心とする「文化芸術懇話会」の初会合で、報道圧力発言が相次いだ。谷垣幹事長は4人の議員を処分したが、簡単には引っ込まないし強気である。処分が厳しすぎるという声まで聞こえてきた。先の菅官房長官の「放送法云々」もとがめられることはなかった。なぜなら、これがこの政権の体質であり総意であるからにほかならない。
安倍首相は7月3日になってようやく謝罪したが、発言を撤回させることはしない。党内他派閥からの批判も形ばかりのようだ。今後も異なる意見に耳を傾けようとはしないだろうし、従わない者は今後も排除し続けていくだろう。安倍政権が続く限り同様のことが当たり前のように続く。なんといっても世論調査での支持率が依然40%台を維持していることが大きい。
新聞やテレビも大きく報じてはいるが、報道圧力など、いまになって始まったことではないことは知っているはずだ。2001年のNHK「ETV特集」や2014年同局「クローズアップ現代」への介入や恫喝など、過去にさかのぼって掘り下げるような報道はみられない。
安倍政権に対する海外メディアの危機感は相当強い。6月15日、日本外国特派員協会で憲法学者の小林節、長谷部恭男両氏の会見が開かれた。冒頭に出た海外の記者からの質問は、安保法制を合憲とする3人の憲法学者が、大日本帝国への回帰を目指す日本会議の会員であることの意味とその影響力についてであった。日本記者クラブでは出ることはない質問である。
さらにこの5月にフランスの高級週刊誌『ロブス』、6月にはイギリスの経済誌『エコノミスト』が相次いで安倍首相と日本会議との関係についての記事を掲載し、日本会議のもつ驚くべき動員力を問題視している。憲法改正の国民投票への影響を見据えてのことであろうか。ちなみに安倍政権の多くの閣僚が日本会議の会員であり、現会長は元最高裁判所長官であることにも驚く。
今年の3月に来日したドイツのメルケル首相は、講演のあとに行われた質疑応答のなかで言論の自由について意見を求められている。彼女は言論の自由のない東ドイツで30年以上も暮らした経験を語ったのち、次のように述べている。
「私は言論の自由は政府にとっての脅威ではないと思います」と言い切っている。そして「もし、市民が何を考えているかわからなかったら、それは政府にとって何もいいことではありません。私はさまざまな意見に耳を傾けなければならないと思います。それはとても大切なことです」
当時の『毎日新聞』は「煙独ムードじわり」と表現していたが、安倍首相にとっては「煙独」「嫌独」、微妙なところかもしれない。 (2015/07)
<2015.7.7>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第34回:戦後70年全国調査に思う
共同通信社はこの5〜7月にかけて、戦後70年にあたって国民の意識を探るため、郵送方式による全国調査を行った。ぼくは『東京新聞』(2015年7月22日付)の紙面で見たほか、気になることがあったので、いくつかの地方紙web版、共同通信社のwebサイト「47 NEWS」にも眼を通した。『東京新聞』では紹介記事のみで元になるデータはなかったが、ほかの新聞のweb版なども同様だった。
じつは、『琉球新報』と『沖縄タイムス』の記事では日米同盟や米軍基地についての質問、結果が紹介されていたのだが、『東京新聞』にはそれがなく、配信元である「47 NEWS」にもなかった。また同じ質問にもかかわらず、『琉球新報』と『沖縄タイムス』では文言が微妙に異なっている。こんなことから元のデータを見たかったのだが、かなわなかった。
そこで、沖縄2紙と『東京新聞』、「47 NEWS」の記事から、自分なりに質問項目をピックアップして並べてみた。
1.憲法について このまま存続すべき60%、変えるべき32%
2.日米同盟関係 強化すべき20%、いまのままでよい66%、薄めるべき10%、解消すべき2%
3.仮に外国が日本を攻撃してきた際の対応 非暴力で抵抗する41%、武器を取って戦う29%、逃げる16%、降伏する7%
4.将来、日本を巻き込んだ大きな戦争が起きる可能性 大いにある12%、ある程度ある48%
5.安全保障上、沖縄に米軍基地は必要か 大いに必要17%、ある程度必要57%、あまり必要ない18%、まったく必要ない7%
6.普天間飛行場の移設問題 移設工事を中止し、県側と話し合うべき48%、政府の方針通りに移設をすすめるべき35%、県内への移設はやめるべき15%
7.中国との関係をどうするべきか 関係改善に努力すべき76%
さて「47 NEWS」によれば、戦後50年を前に日本世論調査会が行った1994年7月の面接調査では、憲法について「このまま存続」55%、「変える」34%だったことから、「憲法や平和の重要性が再認識されている」としているが、異論はない。
もっとも気になったのは日米同盟関係だった。「強化すべき」と現状維持を合わせて86%に達することに驚く。軍事同盟ということを理解しての回答かが気になるところだが、『沖縄タイムス』は「日米安保条約に基づく同盟関係について」としていて、共同通信社はどういう文言での質問したのであろうか。多くのひとは、これまでどおりアメリカに従っていれば大丈夫、米軍基地の受け入れもある程度はやむなしと考えていることになる。
仮に外国が日本を攻撃してきた際の対応は、「非暴力で抵抗する」の41%をはじめ、武器をもたず、積極的に手も出さない覚悟ができているひとが6割をこえている。これは、抵抗はするが、場合によっては殺されてもやむなしと理解してよいのであろうか。これなら米軍に守ってもらう必要もないし、本来の専守防衛の自衛隊で充分ではないかと思う。
ところで、「将来、日本を巻き込んだ大きな戦争が起きる可能性」の読み方は難しい。6割のひとはなんらかの戦闘行為はあるだろうとおぼろげながらも感じている。しかし「ある程度」という文言から大規模な戦争ではなく、具体的には太平洋戦争ほどのものは想定していないようにも受け取れる。これも米軍の助けは不要ということになりそうにも思えてくる。
「安全保障上、沖縄に米軍基地は必要か」という質問も元のデータが気になるひとつである。「安全保障上、日本に米軍基地は必要か」という質問なら、「日米同盟関係」ですでに済んでいるということであろうか。つまり米軍基地は必要だが、沖縄におくのがよいと考えるひとが「大いに」「ある程度」を合わせて74%になると理解してよいのであろうか。
ぼくなりにまとめてみると、日本人の多くはいまの憲法の存続を願っている。そして日本が大規模な戦争に巻き込まれることは想定していないが、自衛隊程度の軍備(日本政府は自衛隊を軍事組織とは認めていないが)と駐留米軍(米軍基地も)は必要と考えている。そのためには今後もアメリカに対して莫大な思いやり予算とともに、沖縄をはじめ多くの基地を提供し続けることを認めるが、普天間基地の辺野古移設だけは取りやめてほしい、ということであろうか。
沖縄のひとには、現状程度の米軍基地の負担をどうにか堪えてもらえないだろうか。だから沖縄のひとびとの辺野古移設反対運動にも賛同するし、辺野古基金にも協力する。辺野古基金は4億円に達したようだが、その7割は本土からという。そこにはそんな心が見え隠れしていないだろうか。
『東京新聞』(2015年7月19日付)に、「引き取る行動・大阪」(正式名称「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」)という大阪の市民団体の活動が紹介されていた。辺野古移設問題で困っている普天間基地を大阪市内で引き取り、米軍基地問題を自分のこととして改めて考えようという運動である。
この市民団体から講師として呼ばれた東京大学大学院教授高橋哲哉氏には、『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)という著書があることを、この記事から知った。高橋氏は「四年ほど前までは、日米安保をやめて全ての基地をなくすことが正しいと考えていた。だが、沖縄の声に耳を傾けていくうちに考えが変わった」という。
どういうことかというと、内閣府や自衛隊の防衛問題の世論調査(2014年度)では、日米安保はやめるべきだという意見は1割未満、日米安保体制と自衛隊で日本の安全を守るという意見が84,6%にのぼるという。まさに共同通信社の調査と同様の数値が出てきた。
そこで高橋氏は方針を改めた。「沖縄に米軍基地の七割が集中する。長年、過重な負担を強いてきた。そうした経緯を考えれば、全ての基地を県外に引き取るのが本来の姿だ。日米安保に反対する運動は基地を引き取りながらでも続けられる」と述べる。
元沖縄県知事の大田昌秀氏は知事当時の1998年、「(日米)安保条約が重要ならば、全国民で(米軍基地を)負担すべきだ」と訴えた。また、翁長雄志[おなが たけし] 沖縄県知事は菅官房長官との会談で、「私の政治経歴から日米安保体制が重要だと理解しています」と述べ、普天間飛行場の県外への移設を求めた。
両氏の微妙な言い回しの違いは異なる政治的スタンスによるものだが、訴えていることは同じである。日米同盟は重要だ、あるいは重要と考えるなら、米軍基地を沖縄だけに押しつけるのは理不尽だということである。
7月30日、東京高裁で米海軍と海上自衛隊が共同使用している厚木基地の航空機騒音訴訟の判決があった。判決は自衛隊の部分のみの損害賠償と夜間飛行差し止めを認め、米軍機については「使用を許可する行政処分がない」として訴えを却下した。
これは、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とした砂川裁判の最高裁判決が下敷きにある。
砂川裁判において米軍駐留を憲法9条違反とした1959年3月の東京地裁の伊達判決は、アメリカの外交圧力によって高裁を飛び越え、同年12月の最高裁判決で合憲へとくつがえった。アメリカの公文書から明らかになった事実だが、この司法の主権を放棄した状態は半世紀過ぎても変わらない。なお2014年6月、砂川判決の無効を訴え東京地裁に再審請求が提出され、現在も審理中である。
ぼくは日米同盟の破棄、米軍基地の撤退を目指すべきだと考えてきたが、まだ高橋氏のようにすっきりとはできずにいる。それでも、身近なところへの米軍基地誘致を拒否できない立場にいることは自覚している。
それにしても、多くのひとびとが日米同盟を重要と考えると同時に日本国憲法の存続をのぞんでいることに驚く。一見問題なさそうなのだが、この両者は両立しない。現実には日本国憲法よりも日米安保条約、日米地位協定が優先される。つまり砂川判決や厚木基地騒音訴訟のように、両者が重なる部分では憲法は停止状態となる。
日本の空域は米軍に優先権があり、米軍機は日本の航空法の適用外におかれている。米軍関係者(軍属、家族を含む)は日本に入国する際に入国手続きが不要とされ、いま現在日本にいるアメリカ人の正確な人数も把握できていない。これではまるで植民地ではないだろうか。
最近こんな話題もあった。アメリカによる日本の内閣府などへの盗聴がウィキリークスによって暴露されたが、日本側からは抗議をしていない。4日も過ぎてバイデン副大統領から安倍首相に謝罪の(ような?)電話があり、そこではじめて遺憾の意を伝えたという。これは、宗主国と植民地の関係以外にない。
日本の米軍基地はアメリカの軍事戦略上の必要からおかれているのであって、日本を守ることを優先していない。アメリカは自国の国益を求めるのであって、日本の国益や憲法などは考慮しない。現在審議中の安保法制は、憲法はもちろん、日米安保条約にも違反となる厄介者らしいが、なんといってもアメリカの国益優先となる。
米軍基地をおいているほかの国はどのような協定を結んでいるのか、思いやり予算をふくめて調べてみる必要がありそうだ。そして、今後アメリカとどう付き合うべきかも考えるべきだろう。どう考えてもいまのままでよいとは思えないはずだ。憲法や自衛隊のあり方などがからみ面倒になるが、いずれ考えなくてはならない問題だ。 (2015/08)
<2015.8.7>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第35回:世界は見ている──日本の歩む道
安倍晋三首相がとなえる「積極的平和主義」。これはだれかからのパクリで、しかも本来の意味とは違うという話は、新聞やネット情報をとおして知っていた。しかしながらぼくの関心は、安倍首相はなにをするつもりかというところにあったため、本来の提唱者のことや意味など、積極的に調べようともしないままに放っていた。
そして、いよいよ当のご本人が日本へやって来るという報道を眼にした。安倍首相と直接話し合うために来るのなら面白いが……などと、ほとんどひやかし半分に受け止めていた。
『東京新聞』(2015年8月20日付)に、写真入りの大きな記事が2本掲載された。田原総一朗氏と一緒の写真もあったので、ひやかし半分の気分が倍増してしまったというのが正直な気持ちだった。それでもご本人の誠実そのものといった表情にひかれ、思わず読み始めることになった。
ヨハン・ガルトゥング氏というノルウェーの政治学者で、「平和学の父」とも呼ばれているという。85歳になる。深いしわが刻まれた顔が印象的だ。『東京新聞』では独自にインタビューをしていた。
憲法9条をもつ日本には以前から関心をもっていたというが、ノルウェーにいながらどうしてそんなに日本の状況にくわしいのか不思議になるような内容だった。そのインタビューは、日本に対するこんな懸念から始まる。
「おそらく安倍首相の言う『積極的平和主義』は日米の軍事的な同盟をベースとしており、日本が米国の戦争を一緒に戦うことになる。私の『積極的平和』と中身は違う」
ガルトゥング氏は1966年の論文で、たんに戦争のない状態を「消極的平和」とし、貧困や差別など構造的な暴力のない状態を「積極的平和 (positive peace)」と定義した。その後、この定義は世界の平和研究に大きな影響をあたえ、平和学の確立につながる。ちなみに 日本政府は安倍首相の「積極的平和主義」を proactive contribution to peace と英訳している。
ガルトゥング氏が定義したpositive peace という語に翻訳者が「積極的平和」という日本語をあて、それと似たような日本語を安倍首相が別の意味に使っているということになる。英字表記が異なっているのだから、ガルトゥング氏にとってはかかわりのないこととも思えるが、詳しく事情を説明した日本人がいるのであろう。
ガルトゥング氏へのインタビューを紹介してみよう。安倍政権がすすめる安保法案については、もちろん否定的だ。
「(成立すれば)日本が米軍とスクラムを組んで戦争をすることになる。そうすれば、日本がどこかの国から反撃され、最終的に大きな災難をもたらす。この法案は『非安全保障法案』だ。(中略)法案の影響で、東アジアに軍拡競争が起きる。軍拡競争は多くの場合、戦争につながる」
日本の対米重視の外交について。
「残念ながら、日本の戦後七十年は米国のイエスマンで、失われた七十年だった。東アジアの近隣諸国との関係づくりに創造性がなかった」
安倍首相の戦後70年談話については、スローガンではなく中身が重要だと指摘したうえで、次のような具体策を述べている。
「『(日本は)将来のアジアの平和構築に向け、東アジアでヨーロッパのような共同体をつくるために主体的に尽力すべきだ』と提言する。その本部機関は、地理的に沖縄に置くのが最適だとした」
関心を寄せているという憲法9条について。
「現段階で専守防衛は必要。(九条二項前段の)戦力の不保持は今は現実的ではないが、遠い未来において、世界で実現してほしい。(そのうえで、戦争放棄をうたう九条一項の理念は)全世界に採用されるべきだ」
ガルトゥング氏は19年振りという沖縄を訪れ、辺野古にも足をのばした。米軍基地と闘いの現場を目撃したせいか、『琉球新報』(2015年8月 23日付)に載った言葉は過激さを増していた。
「安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」
さらに集団的自衛権の行使については「時代遅れの安全保障」、「北東アジアの平和の傘構想を沖縄から積極的に提起していくべきだ」と訴えた。
ぼくはこれらの提言に素直に納得するが、ノルウェー在住の知識人からこのような指摘がなされたことに不意を突かれたような気分になった。まさに、いま安倍首相がやっていること、これからやろうとしていることは、逆行している。新聞やテレビで発表前から大騒ぎだった戦後70年談話にしても、けっしてアジアの隣国に向けた内容にはなっていなかった。これが村山談話とは異なる違和感のもとのように思える。
ガルトゥング氏の提案を読み、1冊の本を思い起こしていた。
ぼくがいつも頼りにしている政治学者に豊下楢彦氏がいるが、氏は『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫、2012年)において、高坂正堯[こうさか まさたか]氏の「海洋国家日本の構想」(『中央公論』1964年9月号、『海洋国家日本の構想』中公クラシックス、2008年所収)を紹介している。高坂氏といえば、1980〜90年代はよくテレビで見かけた保守派の論客だが、亡くなってすでに20年近くになる。
「海洋国家日本の構想」が発表されたのは東京オリンピック開催の年だが、アメリカがベトナム戦争に突入して戦争経済にあえぎ、中国が第三世界に影響力をひろめ核保有国になっていく時期でもあった。
高坂氏の基本認識は、「中国の台頭によって、防衛・外交をアメリカに依存するという戦後日本の政策の前提が崩れ始めている」「中国が軍事的侵略意図を持たない平和国家であるかどうかは別として、中国の指導者は高い代償を払ってまで軍事的侵略をすることを避けるだけの知恵を持っていることは明らかだ」というものだった。そして中国との緊張緩和策として、米軍基地はすべて引き揚げてもらい、長期的には日米安保条約はないほうがよいとまで述べ、軽武装による自主防衛に基づいた外交能力が、決定的な意味をもつと説いた。
これがのちに「御用学者」といわれた高坂氏の提案であることに驚くが、論壇デビューまもない30歳だった。もし、当時の池田勇人首相がこれを見逃すことなく真正面から受け止め、大胆な決断をもって外交政策を転換していたとしたら、いまのような日本ではなかったはずだ。まさに失われた50年である。
高坂氏に「理想主義者」と言われた坂本義和氏は左派の政治学者だったが、彼もここに並べて検討してみたくなるような提案を行っていたことも記しておきたい。
それにしても、いまの日本はどうだろうか。「軽武装による自主防衛に基づいた外交」とは対局へと向かっている。第1次安倍政権で防衛庁を防衛省に昇格させ、第2次安倍政権になって防衛費は右肩上がりに増え、2016年度は5兆円をこえる。いったいなんのための軍備なのか。最新鋭兵器を備えたアメリカがやったことといえば、ベトナムでの敗戦と中東での大量殺戮と大混乱を招いただけだ。その中東の混乱はもう手遅れの様相である。
日本は2012年に尖閣諸島のうち3島を国有化して以来、中国との関係悪化にひた走る。そして中国が軍備強化すればさらに中国脅威論を煽る。中国の鼻先、宮古島の軍事要塞化、与那国島にはレーダー基地計画をすすめる。中国の「抗日戦争勝利70周年」式典には多くの国が首脳級の参加を見送ったが、外相や閣僚、大使級の参加までも見送ったのは日本とフィリピンくらいで、外交的には異常なことだという(天木直人氏、2015年9月4日付メルマガ)。安倍首相には、せめて高坂氏のような認識に立って、中国に尖閣諸島の再棚上げを申し入れるくらいの度量はないものだろうか。そこまで戻さないことにはなにも始まらないだろう。
1990年にマレーシアのマハティール首相が提唱した東アジア経済グループ、そして2009年に民主党の鳩山由紀夫首相(いずれも当時)の東アジア共同体構想などもあったが、どれも頓挫してしまった。構成国については議論のわかれるところであろうが、東アジアにもEU同様ではなくとも、いま以上のつながりが必要であることは疑いがない。
ここで、前回にもふれた国民の70〜80%にものぼる多くのひとがいまの日米同盟を肯定しているという問題に触れなければならない。マハティール氏や鳩山氏の構想が頓挫した理由は、アメリカの牽制によるものだった。つまり、日米同盟最優先では自主的な外交さえもできない。
カナダはアメリカの重要な同盟国でありながら、ときにはアメリカと一線を画す。アフガンには派兵したが、ベトナム戦争にもイラク戦争にも加わらなかった。またフィリピンは、一度米軍基地を撤退させたのち、22年ぶりの再駐留にあたっては協定を改め、常駐を認めていない。アメリカは重要な国だが、適度な距離は必要である。
さらにもうひとつ、いまの安倍政権を倒したとして、新たな政治を託すべき人物も政党も見当たらない。これは深刻な問題である。一時、小沢一郎氏に期待する動きがあったが、マスメディアによる執拗な小沢叩きによって潰えた。ウィキリークスによって、この一連の動きがアメリカの指示によっていたことが明らかにされたが、傷つけられたイメージはもとに戻らない。
2カ月ほど前には、憲法学者小林節氏を首班とする政権構想も聞こえてきたが、いつのまにか消えた。維新の党の分裂によって新たな動きがありそうだが、期待する方向に逆行するものでしかない。民主党の分裂なしには期待のもてる動きにはならないだろう。
8月30日午後、安保法案の廃案、安倍政権の打倒を訴え、12万人ものひとが国会議事堂周辺にあつまったほか、全国300箇所で同様のデモがあった。思うところはそれぞれなのだろうが、まずは安保法案を廃案へと追い込み、安倍政権を倒す。そしてつぎつぎに立ち現れる混乱を、ひとつひとつ乗り越えていくしかないのだろうと思う。
映画監督のオリバー・ストーン氏や言語学者のノーム・チョムスキー氏ら海外の著名人74人が辺野古新基地建設に反対する声明を発表した(『沖縄タイムス』2015年8月23日付)。賛同者はその後109人になったが、その声明文の末尾は「世界は見ている」と結ばれていた。ガルトゥング氏へのインタビュー記事を読み実感したのも、まさにその言葉だった。──世界は見ている。日本には、アメリカと中国という軍事大国のあいだに立って、果たすべき重要な役割があるはずである。必要なものは軍備ではない。 (2015/09)
<2015.9.6>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第36回:自己決定権? 先住民族?
9月21日午後(現地時間)、ジュネーブの国連ヨーロッパ本部で開かれた国連人権理事会年次総会において、沖縄県の翁長雄志[おなが たけし]知事がスピーチを行った。このスピーチに先んじて開催されたNGO主催のシンポジウム、その翌日にはスピーチを補足する同本部での記者会見、帰国直後の日本外国特派員協会の会見でも、翁長知事は沖縄の声を繰り返し国際社会に訴えた。
翁長知事は、沖縄の歴史や米軍基地が集中するにいたった経緯について説明したうえで、アメリカ政府や日本政府によってすすめられている辺野古新基地建設問題を取り上げ、全力で阻止する覚悟を明確にした。それは国際舞台で自国政府を批判することでもあって、これによって、翁長知事はあと戻りできないところに身をおくことになった。
人権理事会でのスピーチの録画映像をテレビで観たところ、翁長知事の左後ろには先住民族の権利を専門としている上村英明氏の顔が見えていた。上村氏とは以前仕事で関わったことがあるが、現在は恵泉女学院大学人間社会学部教授、同大の平和文化研究所所長のほか、国連NGO「市民外交センター」代表も務めているようだ。
『琉球新報』(2015年7月23日、9月14日付)に、今回のスピーチ実現に至る経緯に触れた記事がある。有識者や市民団体メンバーからなる「沖縄建白書を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」や国連NGOの「反差別国際運動」などが協力し、国連との特別協議資格をもつ「市民外交センター」が持ち時間を提供して実現したという。翁長知事に発言の機会を提供した理由を問われ、上村氏はつぎのように答えている。
「道理としては正しいことを主張しているのに、国内の法システムでは救済されないため、国際社会に人権問題として訴えることで打開策を目指す道となる」
翁長知事は人権理事会のスピーチで、「沖縄のひとびとは自己決定権や人権をないがしろにされている。あらゆる手段で新基地建設を止める覚悟だ」と訴えた。さらに、日本外国特派員協会での会見でも同様の発言を繰り返している(『東京新聞』2015年9月22日、25日付)。
この「自己決定権」という言葉には一瞬戸惑いを覚えるが、沖縄関係の本、なかでも琉球独立をあつかったものではごく普通に登場する。ほかに「自決権」「沖縄人」「琉球民族」「先住民族」などの語も当たり前のように登場する。
手元の辞書には「自己決定権」も「決定権」もない。ただ「自決」はあって、「②(self-determination)他人の指図を受けず自分で自分のことをきめること。[民族—]」とある。要するに、自分のことは自分で決めるということである。「民族自決」であれば、他民族の介入を受けることなく、各民族が自らの政治的運命を決定する権利ということか。
翁長知事のスピーチは英語で行われていて、self-determination の語を用いている。英和辞典には「1.自己決定、自決 2.民族自決[権]」と記されているが、メディアに配布されたスピーチの日本語訳も、日本語で行われた日本外国特派員協会での会見でも、知事は一貫して「自己決定権」を用いている。
これらを踏まえたうえで、いくつかの発言をみていくことにしたい。
人権理事会のスピーチの翌日に行われた記者会見での、翁長知事の発言である。
「日本政府にはなぜ日本国全体で抑止力、安全保障体制を考えないのか(と話した)。他の所は知事や市町村が反対すれば、あそこは反対している、と言い、あっちも駄目だったとなる。沖縄は全市町村長、全市町村議会議長、県議会の全部が反対して、東京行動もした。それには一顧だにしない。これが自己決定権とどう関連するかを皆さんで考えてほしい」(『沖縄タイムス』(2015年9月24日付)
今年の7月、国連特別報告者であるビクトリア・タウリ=コープス氏が沖縄を訪れ、沖縄独立の可能性について問われての発言。
「『自己決定権の拡大は段階を踏んでいく必要がある。まずは日本に属しながら自国で自治権の範囲を広げていくことが重要だ』と述べ、沖縄の自己決定権を国会や日本政府に承認させる必要があると強調した」(『琉球新報』2015年8月17日付)
はたして、翁長知事の「自己決定権」とコープス氏のそれはまったく同じものであろうか。翁長知事のほうは「不平等、差別」を訴えているが、コープス氏は「自己決定権」と「自治権」両方を用いていて、「民族自決」に近い意味合いのようだ。
ところで、法政大学経済学部教授竹田茂夫氏のコラムにはつぎのようにあった。「沖縄県知事が国連人権理事会で、自治と人権がないがしろにされていると訴えた」(『東京新聞』(2015年9月24日付)
翁長知事が用いたself-determinationを「自治」としている。竹田氏は連載の同コラムで、よく未訳の書籍の紹介もしてくれる。翁長知事のスピーチも原文からの意訳であろうか。国際法の専門家が「自治権」と「自己決定権」は別のものとしているのは承知しているが、この部分を読んで納得するものがあったのも事実である。そうとはいえ、かつて羽仁五郎『都市の論理』(勁草書房、1968年)がヨーロッパの自治を紹介してくれたが、結局日本に馴染むことはなかった。どこまでも日本は「3割自治」の国である。
先に「自己決定権」のほかに「自決権」「沖縄人」「琉球民族」「先住民族」などの語を羅列しておいたが、翁長知事がジュネーブへと出発する直前、自民党沖縄県連幹部は「沖縄県内では先住民、琉球人の認定について議論がなされていない」として「辺野古の新基地建設の反対を『琉球人・先住民』の権利として主張しないよう」に要請している(『沖縄タイムス』2015年9月18日付)。
これに対して翁長知事は「自身も基地問題を先住民として発言したことはない」とする一方で、「人権理事会は世界の一人一人の人権や地方自治について話し合う場所。その意味で、今日までの私の(過重な)基地負担の発言を集約してスピーチしたい」とこたえている。
この要請の背景にはつぎのような事情がある。
2007年9月の国連総会における「国連先住民族権利宣言」の採択をはじめ、国連自由権規約委員会や同人種差別撤廃委員会などから日本政府に対して、「アイヌ民族および琉球民族を国内立法化において、先住民族と公式に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講じること」といった勧告が再三にわたってなされている。こういった勧告には強制力はなく、日本政府は、他県と同様の日本民族として、人種差別撤廃条約の適用外という主張をしてきている。
国連特別報告者コープ氏は辺野古の新基地建設問題をも含め、つぎのような発言をしている。先の『琉球新報』の記事から、ぼくの責任でまとめる。
「沖縄は独自の文化、言語を持っていることから先住民族といえる。国連人権委員会としては沖縄の人々を先住民族と認めている。2007年にまとめられた先住民族の権利に関する国連宣言では、政府は先住民族の同意なしには事業を行ってはいけないことになっている。さまざまな反論をしても進展がないのであれば、国際的な機関に人権侵害を訴えることができる」
国連では上村氏らの活動の結果、沖縄地方のひとびとを「先住民族」としているが、自民党県連の要請のように、そのひとびとすべてが自らを「先住民族」と認めているわけではない。
翁長知事は日本語を用いる場合、先住民族問題につながりやすい「自決権」の訳語をあえて避けているように思える。しかし、自民党県連の危惧は無駄なものだった。国連の場でself-determination の語を用いて沖縄の問題を訴えれば、当然のように先住民族の「自決権」の問題として受け止められることになる。
上村氏の主張は明解で一貫している。独自の文化をもち、独自の社会を築いてきた琉球の日本への併合は、軍備を背景に一方的に行われたことは明らかであって、住民には「日本人」としての意識はなく、そこで行われた同化政策や支配は「植民地政策」そのものだったという。先住民族もそこから定義付けされている。
翁長知事の「自己決定権」も、この視点から発せられたものであれば理解が比較的容易であるが、おそらく上村氏に全面的に同調するものではないだろう。それでも沖縄の意思に正面から向き合うことを日本政府に求める姿勢に揺らぎはないようだ。翁長知事の人権理事会でのスピーチは、こういった両者が辺野古の問題一点で手を結んで実現したものと考えている。
かつては外交権をもった独立国でありながら、敗戦からの27年間、米軍施政下では国籍もない状態におかれ、一方的に土地を取り上げられた無念さ、さらに復帰から40年も過ぎて、日本政府からは米軍と同様の扱いをうける悔しさが翁長知事の訴えにはにじみ出ている。それに対する安倍首相や政府高官の無言は、あまりにも絶望的である。菅官房長官にいたっては「私は戦後生まれで、そういうことが分からない」とまで言い放った。いま翁長知事は、先輩たちが米軍高等弁務官と向き合ってきたように、日本政府と闘っている。
翁長知事の叫びは、確実に世界に届きつつあるようだ。『フォーブス』(2015年9月15日付電子版)や、ドイツの大手紙『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』(同9月22日付電子版)が翁長知事の言動を好意的に取り上げている。
そしてアメリカ議会の動きも伝えられてきた。上下院軍事委員会は29日、2016会計年度の国防予算の大枠を定める国防権限法案の一本化で大筋合意したが、下院の法案に明記されていた「辺野古が唯一の選択肢」という条文は最終的に見送られた。日本政府が沖縄の強い反対を押し切って新基地建設をめざしていることに米議会から懸念が示されたという(『東京新聞』2015年9月30日付夕刊)。あくまでも推測だが、翁長知事は6月に訪米した際に上院軍事委員長のマケイン上院議員(共和党)と会談している。マケイン上院議員が海外の基地決定に大きな影響力をもっていることに加え、人権委員会でのスピーチも大きく影響したように思える。
『東京新聞』(2015年9月25日付)もほぼ同様のテーマを大きく取り上げていたが、有識者や国連側の視点にそってまとめていた。しかしながら、翁長知事が訴えているのは地方自治や人権問題としての米軍基地であって、そこに「自己決定権」や「自決権」といった言葉を持ち込むと、理解を遠ざけてしまうように思われてならない。ところで、沖縄の多くのひとびとは、沖縄に対する国連側のこういった捉え方をどのように受け止めているのであろうか。 (2015/10)
<2015.10.8>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第37回:イヤな動き
9月19日未明、安全保障関連法が参議院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。それにしても、17日の参議院安保特別委員会での採決はあまりにも乱暴なものだった。与党はすでに成立したこととして澄まし顔だが、録画映像でも明らかなとおり、鴻池委員長の声などまったく聞こえず、採決が行われたことを示すものはなにもない。
議事録の未定稿でも「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」とされていたが、10月11日に参議院のHPで公開された議事録では、「可決すべきものと決定した」と加筆されていた。すべて与党のみの判断だというから呆れるしかない。これで決まったものとされるのだとしたら、本当にとんでもない国になったものである。
さて、参議院安保特別委員会採決の直前のこと、『東京新聞』(2015年9月16日付)の「こちら特報部」に「安保論議 護憲派も欺瞞」という大きな見出しのインタビュー記事が載った。ほかの見出しもあげてみると、「法哲学者 井上達夫教授の『筋論』」「自衛隊 既に解釈改憲■安倍政権 幼稚で愚か」「9条削除で立憲民主主義を」「危うい憲法形骸化■改憲プロセス受けて立て」とある。
インタビューを受けているのは、東京大学大学院法学政治学研究科教授井上達夫氏である。「日本国民を守る」と言いながらアメリカの国益優先の安倍政権、憲法9条を国是としながら「解釈改憲」の自衛隊の存在を容認してきた護憲派、双方とも欺瞞だと述べる。以下、文意を損なわないようにまとめてみた。
まずは保守派について。「米国が日本を守っているのは、米国にとっての戦略的拠点を維持するためである。したがって集団的自衛権解禁に踏み切らなくとも、米国は日本から身を引くことはない。歴代政権の交渉力の不足を補ってきたのが憲法で、専守防衛の範囲なら合憲、集団的自衛権は違憲という内閣法制局の解釈のもとで、野放図な対米協力を防いできた。安倍政権はその憲法的カードを捨てようとしている」
つぎは護憲派である。専守防衛の枠内の自衛隊は合憲とする「修正主義的護憲派」について。「1946年の帝国議会で、当時の吉田茂首相は、自衛のための戦力も放棄したという意味だと答弁している。つまり専守防衛の範囲という解釈自体が解釈改憲そのものである。解釈改憲の自衛隊を容認しておきながら、集団的自衛権は許されないというのはダブルスタンダードだ」
自衛隊と安保の存在自体を違憲とする「原理主義的護憲派」について。「自衛隊と安保を廃棄しようという努力がみられない。矛盾解消のために改正しようともしない。自衛隊を違憲だと主張し続けることが専守防衛の枠内にとどめておくことができると思っていて、それを『大人の知恵』と正当化している。自衛隊を法的には認知しないが、ことがあれば命を張って自分たちを守れと言っているに等しい」
そして井上氏は「9条削除論」を提唱するのだが、ここでそこまで深入りするつもりはない。ただ、護憲派のもつ欺瞞性は以前から言われ続けてきたもので、「9条削除論」をのぞけばとくに目新しいものではない。
それからひと月。同じく『東京新聞』10月14日付の「こちら特報部」には、「平和のための新9条論」「『解釈の余地』を政権に与えない」「『専守防衛』明確に」などの見出しが躍った。リード文には「集団的自衛権行使も容認する九条の惨状に思いをいたせば、(中略)解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新九条である」とある。ジャーナリストの今井一氏ほか、小林節氏、伊勢崎賢治氏が登場し、先の井上氏の「9条削除論」とならぶそれぞれの「新9条論」が紹介されているが、各人の提案には触れない。
どうしていまなのか。今井氏がこたえている内容をまとめる。
「自民党の高村副総裁は『自衛隊も創設当初は違憲と言われた。憲法学者の言うことを聞いていたら日本の平和はなかった』と繰り返した。『自衛隊は合憲』という歴代政権の主張も、9条を素直に読めば無理がある。それを容認してきた護憲派の欺瞞性が、安保法の違憲性を無視する言い訳に使われたのだ。立憲主義を立て直すことが先決という危機感から、いま解釈の余地のない『新9条』論が高まっている。9条は人類の知恵。実現する努力は続けたいが、もう自衛隊の存在を曖昧にすることは許されない」として、今井氏は専守防衛の自衛隊を明記した新9条案を構想する。
保守派の小林氏は30年来の改憲論者で、集団的自衛権も容認してきた。長いこと自民党のブレーンもつとめ、つぎのような発言をしていた。
「9条が今のように、何を言っているのかわからない状態だから、政府が露骨に憲法を無視する、都合のよい法解釈をする。(中略)目指すべきは、『侵略戦争の放棄』『自衛権と自衛軍の保持』『海外派兵の厳格な条件』を憲法に明記することだ」(『白熱講義! 日本国憲法改正』〈ベスト新書、2013年〉)
彼は6月の衆議院憲法審査会に参考人として呼ばれ、安保法制は「違憲だ」と言い切った。現行憲法のままでは無理だと言っているのであって、発言を翻したわけではない。それ以降、安保法制反対集会には引っ張りだこだが、改憲論者である。最近は憲法論よりも「民主主義の危機」と「安倍政権打倒」といった発言が中心になっていたが、『東京新聞』が再び改憲論の土俵に引き戻してしまった。しかし、かつてのような発言からは大きく変わり、「集団的自衛権行使は認めない」となっている。憲法を理解できず、権力を振り回す駄々っ子のような安倍政権に、相当な危機感を覚えたのであろう。
伊勢崎氏は自衛隊の海外派遣活動を前提とする発言が多いが、以前はそうではなかった。「私は『平和貢献には軍を出す以外に色々な方法があり、平和憲法をもっている日本は敢えて自衛隊を出さないことでそのイメージを更に強化し、他国にはできない貢献ができる』という意見なのです」(「マガジン9条」2009年4月6日)
しかしながら、2009年のソマリアへの海上自衛隊派遣は戦後最大の違憲派兵だったにもかかわらず、世論調査では9割が容認、しかも6割が9条護憲という結果に呆れ果て、「日本人に9条はもったいない」と敗北宣言する。そして軍法も整備されることなく、「違憲」のまま戦争に送られる自衛隊をなんとかするには改憲しかないと、「新9条派」へと変わった。でも、彼がほかで書いたものなどを読むと、自衛隊を海外へ出すのなら憲法を変えて戦闘に加わる覚悟をしろと主張しているのであって、基本的には自衛隊は海外に出すべきではないと言っているように感じられる。
いずれにしろ、現状が憲法9条を大きくこえてしまっている。憲法9条を変えるべきだという動きである。ぼくはこういった動きには賛同したくない。とんでもない条文ならやむを得ないが、理想とする素晴らしい条文である以上、現実を条文に近づける努力をすべきである。それは時間を要するかもしれないが、政権交代によって可能と信じたい。ところで、いまどうしてこうした動きになるのか、今井氏の発言でも納得できない。
安倍首相は憲法改正を目指していたのである。それを目論んではみたものの、当面は困難と判断して解釈改憲へと舵を切った。それすらも多くの反発を招くような、相当強引なやり方でしか達成できなかったのである。
安倍首相は改憲を諦めたわけではない。チャンスをうかがっているだけである。「新9条論」といった動きにも鈍感なはずがない。自分の改憲は駄目で、こういう改憲ならいいと言うのかと眼を剥くかもしれない。そして「新9条論」を取り込んだ新たな改憲を、マスメディアを動員して煽るのだ。これはうまくいく可能性もあって非常に危険である。安倍政権のもとではこの問題には触れるべきではない。
9月20日、「『新9条』提唱について考える」と題した公開討論会が開催された。ネットで得た情報では今井氏は主催者側で、伊勢崎氏が張り切っていたくらいで、あまり盛り上がった雰囲気でもない。登壇した小林氏が「憲法改正が推しているならともかくとして、いま、そんなことを議論しているときじゃない。まず安倍政権を倒さないと話にもならない」とたしなめる場面もあったようだ。
まったく同感である。まずは安倍政権打倒、安全保障関連法破棄であろうが、辺野古新基地建設阻止が最優先かもしれない。裁判の結果を待たずに大村湾の埋め立てが始まってしまう。なにか別の手立てはないものか。辺野古断念に追い込めば安倍首相は即辞任となるだろう。そして次期政権も権力を振り回すような真似はできまい。しばらくは不安定な政治状況が続くかもしれないが、アメリカ政府と正面から向き合えるような政権をつくるにはそれもやむを得ない。その間、自衛隊の海外派遣はやめること、憲法改正の話は政治が落ち着いてからのことにしてもらいたい。
このところ、憲法9条のTシャツを着て歩いていたら警官に呼び止められたとか、「平和がだいじ」と書かれたトートバッグを手に歩いていたら警官の職務質問を受けたという話をツイッターなどで読んで驚く。戦前の特高警察復活の兆しであろうか。これもまたイヤな動きである。 (2015/10)
<2015.11.7>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
佐藤優氏という作家、元外務省主任分析官がいる。外見もなかなかの強面だが、ぼくと同じ方角を向いたひととは思っていないので、彼の書いたものを積極的に読んだことがなかった。彼は『東京新聞』のコラムも担当しているが、あるときから沖縄について書いたものは見逃せなくなってきた。
「あるとき」というのは、おそらく今年の初めくらいであろう。彼が沖縄について書いたものが信頼に足ることに気づいた。そのコラムでは、彼の母が沖縄県久米島生まれであること、自分を沖縄系日本人とも書き、また沖縄の言葉についても解説してくれていた。
ある日、図書館をぶらつきながら本棚を眺めていたところ、偶然佐藤氏の文庫本に眼が止まり、そのまま借りてきた。『母なる海から日本を読み解く』(新潮文庫、2009年)、『佐藤優の沖縄評論』(光文社知恵の森文庫、2014年)の2冊である。どちらも沖縄に関するものだが、一気に読み終えたときには、沖縄に限りぼくと同じ方角を向いていることを確信した。もちろん彼の言説すべてに同意するわけではない。彼は自分を「右翼」「国家主義者」と書いているが、この2著ではその匂いをまったく感じることはなかった。
『母なる海から日本を読み解く』には出鼻をくじかれた。漠然と米軍基地中心の話だろうと思っていたのだが、それは久米島の歴史から始まった。母の故郷久米島はかつて琉球王朝とは別の独立国家であり、やがて首里王府の進攻をうけ統治下に入っていく過程を、久米島出身の仲原善忠の著作に寄り添いながらすすめていく。
まったく予期しない重要な事実を知らされて戸惑いを覚えた。久米島に限ったことではない。首里王府は16世紀には、北は奄美諸島から南は八重山諸島までを服属させ、中央集権体制を確立する。琉球世界のなかに、たんなる地形的な離島差別とは異なる、日本本土と沖縄と同様の縮図があることを提示されて困惑したのだが、これは今回の本題ではない。
『佐藤優の沖縄評論』は『琉球新報』連載の「ウチナー評論」をまとめたものだが、このなかで外務省沖縄出張事務所と沖縄大使について触れている。
「これは過去の話ではない。外務省の沖縄出張事務所には、極秘、極秘限定配布などの極めて強度な暗号をかけることができる通信施設がある。モスクワやワシントンの日本大使館と同じ、秘密通信施設が置かれている。なぜ、日本国内であるにもかかわらず、このような防諜体制を外務省はとっているのだろうか? 外務省はどういう目つきで沖縄県民を見ているのだろうか? 旧日本軍と現外務省の沖縄に対する目つきが似ていると筆者は感じる」
さらに別の項では尊敬する先輩として、ある沖縄大使について3回にわたって書いている。尊敬する先輩なのだから実名も出してのことである。
日本国内の特命全権大使の存在と暗号による通信に驚き、さらにネットで調べてみた。「『日本人沖縄大使』をただちに廃止せよ」(『週刊朝日』2010年3月12日号)という記事を引用しているブログがあったので、そこからまとめてみる。
沖縄大使とは、在沖米軍にかかわる事項などについての沖縄県民の意見、要望を聞いて日本政府に伝えるとともに、米軍との連絡調整をすることを職責として、橋本龍太郎元首相の肝いりで設けられたポストである。1997年2月に初代大使が着任し、現大使は11代目、水上正史氏。外務省の正式文書では「特命全権大使(沖縄担当)」、あるいは「沖縄担当大使」となっているようだ。佐藤氏によると外務省のエース級の人物があてられるという。
初代大使着任時の沖縄県知事大田昌秀氏は、次のようにコメントしている。
「外務省に限らずとも、米軍や米国に言いたいことがあったら僕は直接どんなことでも伝えることができました。経験から言うと、外務省は沖縄の要望を米国に伝えるのではなく、むしろアメリカ側の言い分を聞いてくれという人たちばかりでしたね。県庁に出向してきた外務省職員が私に基地受け入れを迫ったことがありますし、ホワイトハウスの安全保障担当者との面会が外務省の横やりで中止になったという嫌な思い出もあります。(沖縄大使が)何のためにいるのかわかりません」
別のサイトでの佐藤氏の発言によると、たとえ通信データを盗んだとしても、スーパーコンピュータで1年半もかけないと解読できないような暗号が、沖縄出張事務所と本省間でやりとりされているという。さらに次のよう続けている。
「沖縄大使が着任した90年代後半は、沖縄が基地返還のアクションプログラムをつくって抵抗し始めた時期でした。沖縄大使とは、地元の声を聞くという名目で沖縄の声を吸収しながら日米の利害を調整し、米軍への直接行動を阻むために外務省がたくらんだ米軍基地永続のための仕組みで、沖縄はまるで植民地扱いです。そんな沖縄大使のポストは早くなくなった方がいい」
これでは沖縄出張事務所というのは大使館で、大使もいる。しかも暗号を用いて本省と情報のやりとりをしているのだ。国内でありながらも、沖縄県だけには絶対漏らしてはならない機密情報があることになる。他県にはそういったものがないのだから、異様なこととしか言いようがない。
しかしながらこの10月、米軍普天間飛行場所属のオスプレイの佐賀空港への訓練移転を取り止めたことがあった。どうして沖縄県と扱いがちがうのかと翁長[おなが]知事は憤ったが、佐賀県の民意以前にアメリカ側が拒否していたという事実がある(『時事ドットコム』2015年10月28日付など)。また原発をはじめ核燃サイクル事業をとってみても、民意はまったく無視されて事業は維持の方向だ。そもそも安倍政権の政策は国民を向いていない。沖縄県に限らず民意などまったく考慮していない。これに加えて沖縄県の場合は大使館の存在があり、要するに「植民地」ということになるのだろうか。
11月4日午前6時20分ごろ、米軍キャンプ・シュワブゲート前に警視庁機動隊と沖縄県警の機動隊200人前後による、反対派市民約130人の排除が始まり騒然となった。沖縄県警の機動隊では警備が手ぬるいとでも言いたいのか、いよいよ東京の警視庁から機動隊が派遣された。
ちょうどその頃、ネット上に沖縄県幹部の話として、翁長知事がゲート前で反対派住民の先頭に立って座り込むという話が流れた。いつのこととは書かれていなかったが、いよいよ闘いが始まると思った。
その数日後の7日、ゲート前に翁長知事の妻、樹子[みきこ]氏が訪れた。そして「(夫は)何が何でも辺野古に基地は造らせない。万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している。ただし、まだまだ万策は尽きていない」と語りかけると、市民からは拍手と歓声が沸き上がった。さらに「世界の人も支援してくれている。これからも諦めず、心を一つに頑張ろう」と訴えた(『琉球新報』電子版、2015年11月8日付)。
まずは、翁長夫人が辺野古の現場で直接思いを表明したことはよかった。発せられた言葉には意気込みを感じさせるものがある。夫人は24日にも訪れ、「どんなに苦しくても闘わなくてはという思い。知事と一緒に闘ってください」と呼び掛けている。
2013年1月、東京の日比谷野外音楽堂では「NO OSPREY東京集会—オスプレイ配備撤回! 普天間基地の閉鎖・撤去! 県内移設断念!」が開かれ、銀座をパレードしている。沖縄県全41市町村の首長・議長が参加したが、そのとき先頭に立ったのが当時那覇市長・沖縄県市長会会長の任にあった翁長氏だった。
地元の民意を無視し続けるのであれば、辺野古でもこのときの再現となるだろう。いまは辺野古新基地容認の首長もいるが、それでも翁長夫妻を先頭に多くの首長・議長が集まり、これに反対派市民たちが、そして本土からの応援部隊も加わる。東京でも同時に抗議集会が開かれるはずだ。これまでも、沖縄選出国会議員や市町村議会議員が座り込みをしては機動隊にいとも簡単に排除されてきた。しかし、今度ばかりはどうなるか。沖縄県警機動隊は黙して見守るだけであろう。はたして東京からやって来た警視庁の機動隊はどう動くのであろうか。
12月2日、福岡高裁那覇支部にて辺野古代執行訴訟が始まり、翁長知事の口頭弁論も行われた。日本の司法は権力者には抗えないようだが、この裁判の結審が大きな節目になることは間違いないだろう。
これまで当たり前だったことが、年を追って否定される状況となり、いつのまにか少数派へと追いやられてしまったような気がする。安倍内閣の支持率は上がっている。財界のバックアップも強力だ。好戦的な雰囲気のなかで年が明ける。くれぐれも柳条湖事件の再発のような事態が起こらないことを祈りたい。 (2015/12)
<2015.12.11>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第39回:原発の行方
暮れの12月24日、福井地方裁判所(林潤裁判長)は、同年4月14日の同裁判所(樋口英明裁判長)が申し渡した関西電力高浜原発3号機・4号機の運転差し止め決定(仮処分命令)を取り消し、住民らの申し立てを却下する決定を下した。これと同時に、関西電力大飯原発3号機・4号機についても、再稼働しないよう求めた住民の申し立てを退けた。
予想されたこととはいえ、あまりにも筋書きどおりで呆れ果ててしまいそうだった。裁判所といえども官僚組織の外にあるわけではない。「三権分立」など夢物語にすぎないのであろうか。
ところで、この2日前の22日に妙な動きがあったことを覚えているだろうか。福井県の西川一誠知事は高浜原発3号機・4号機の再稼働同意の記者会見を行った。繰り返すが、裁判所の決定のわずか2日前のことである。この動きをどう読み取ったらよいのであろうか。仮に事前に政府側から裁判所の決定を含めて指示があったとしても、裁判所の決定をうけての同意表明でもよさそうなものだが、なぜ直前に行ったのか理解できない。いずれにしろ、今年は原発がどんどん再稼働されることになるのかもしれない。
2011年3月の福島第一原発3号機大爆発のシーンは忘れようにも忘れられない。しかしこの国の為政者たちにとっては、航空機事故のようなもののようだ。事故が起こったところで一時的には大騒ぎになるのだが、数年で収まる程度のものでしかない。まして放射線が原因による被害など容易に確定できるものではないのだ。ほとぼりが冷めたら当然のように再稼働に取りかかる。いまの日本はまさにこういう状況ではないだろうか。
「いまだ危険なイメージが消えない福島への誤解」(『ダイヤモンド・オンライン』2015年12月25日、26日、28日付)という記事を読んだ。竜田一人氏(原発作業員・漫画家)と開沼博氏(社会学者)の対談である。
ぼくはどちらの方についても詳しくはない。竜田氏については原発ルポ漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』全3巻(講談社、2014年)が評判になった程度のことは知っているが、2012年から第一原発の廃炉作業員として勤務しているという。開沼氏についてはまったく知識がなく、「ウィキペディア」によると、福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」地域復興支援担当・センター特任研究員である。2006年から浜通りの原発立地自治体の状況について研究していて、震災後も継続的にフィールドワークを行っているという。
こういった経歴のふたりが、事故後まもなく5年になる福島、あるいは福島第一原発のいまを語り合っている。
開沼氏の発言のなかに、震災後5年に向けて福島の復興は遅れているという論調の報道になっていくと思われるが、そういうマスコミには「遅れているのはあんたの頭だよ」って言いたいくらいだというものがある。竜田氏も、建屋が崩れそうだ、「何か起こったらヤバイ」状況はすでに過去のものだと述べている。もう少し詳しくまとめてみる。
汚染水の浄化システム(ALPS)の稼働も順調で、濃縮されたストロンチウムの入った汚染水の処理も終わり、仮に流れ出たとしても問題のない数値だ。汚染水漏れで問題となったフランジ型タンクは溶接型の大きなタンクへとつくり変えられ、遮水壁も完成、汚染水の漏出はほぼ問題ない状況。タンク内の膨大な汚染水に含まれるトリチウムの処理の問題があるが、個人的には海に流してもよいと考えている。残るは廃棄物問題で、防護服など5年間廃棄できずに備蓄しているものの処理、さらに原子炉のなかのデブリの問題など、徐々に研究しながらやっていくしかない(竜田氏)。
米の生産量が震災前比で85%まで回復しているものの、流通価格は作物によって3割、4割程度まで大幅下落したまま。福島の海が汚染されたのは事実だが、いまセシウムが検出される魚は震災前から生きていた魚くらいのものなのに「全体がダメで、今後も危ない」といった報道がされてしまう。米の全量検査にかかわっている人は、全袋が検出限界値以下(ND)とわかっているのに、それでも無駄な検査を続けることになる。それは住民感情や無理解が作っているコストである。また、事故の風化以上に圧倒的に風評の問題が懸念されるが、今後も風評被害は続く。失業、倒産、孤立死の増加など、大きな社会問題になる。伝える側だけの問題ではなく、視聴者や読者もわかりやすいセンセーショナルな話題を求めている。「不幸なフクシマ」のままでいてほしいひとたちが多い(開沼氏)。
また、「福島にはひとが住めなくなる」と言っていたひとがたくさんいた。だれがどう言ったのか、実際どうなったのかをこのタイミングで検証すべき(竜田氏)。開沼氏はそれを受けて、事故当時、社会学者、宗教学者などデマの拡散に加担したひとがいたのは許しがたいことだと応じている。
そして編集部は次のようにまとめている。「当初予想された、最悪の事態は非常に多くの人の努力で回避された。(中略)しかし、放射能や放射性物質への無知や過度の恐怖感に駆られて、本来なら回避できたはずの人命損失や経済的・社会的な損失が、この5年間で膨大に生まれた。避難生活のストレスなどによる震災後の死者(震災関連死)は高齢者を中心に2000人近く出ている」
毎日流される記事のなかには、政府や財界の意向をうけて書かれるものがあることは承知のうえだが、ぼくはこの記事をまったくの嘘とは思わなかった。しかし新聞で眼にする内容とはだいぶ違う部分もあるという感想を抱いたこともたしかだ。
たとえば『日本経済新聞』(電子版、2016年1月4日付)には、汚染水の増加に歯止めをかけるために東京電力が計画している「凍土壁」の整備を、原子力規制委員会が安全性の面から承諾しないという記事がある。『東京新聞』(2016年1月6日付)には、高濃度汚染水の処理の際に出る廃液の貯蔵容器で、水素ガスの発生のために、セシウムが1リットルあたり1万ベクレル、ストロンチウムが3000万ベクレルという高濃度汚染水があふれ、人間が近づくこともできないという記事もある。これだけにとどまらない。よく見れば、連日何らかの問題を報ずる記事が出ている。
現場をよく知っているということならば、新聞記者以上に竜田・開沼両氏のほうが勝っているのではないか。まして年末には官邸で「内閣記者会懇談会」と称する忘年会が催され、税金で豪勢な料理が振る舞われたという(『日刊ゲンダイ』電子版、2016年1月6日付)。信頼性は竜田・開沼両氏のほうにあるはずだ。しかしそれでも新聞記事のほうに信頼性があるように感じるのは、ぼくも「『不幸なフクシマ』のままでいてほしいひとたち」のひとりなのであろうか。
それにしても、『ダイヤモンド・オンライン』編集部による「放射能や放射性物質への無知や過度の恐怖感に駆られて、本来なら回避できたはずの人命損失や経済的・社会的な損失が、この5年間で膨大に生まれた」というまとめ方は、あまりにも安易に過ぎるように感じられる。「君子危うきに近寄らず」というが、君子ではなくともよくわからないものを遠ざけるという行動はあるはずだ。そういった行動を非難することはできないのではないか。
原発事故直後、テレビやネット上にはさまざまな専門家が登場した。明らかに御用学者とわかるひともいたが、信頼のおける研究者も少なくなかった。しかし現実には、どちらに属すのか素人のぼくには判断できない研究者たちも多数いて、そういう研究者たちもそれぞれ現地で計測したデータを示して、福島の汚染状況は当初考えられたほどひどくないといった発言をするようになってきている。なにかを意図してのことなのかどうかもわからない。
もはや素人のぼくにはなにを信じたらよいのか、どうとらえたらよいのか難しい状況になってきている。このような場で原発や福島の問題を取り上げても、事故直後と比べて迷うことが多くなってきている。
ただ、これだけは言っておきたい。どのような立場に立とうが、事故を起こした原発内部には容易に立ち入ることもできず、当分手がつけられないことは否定できない。そして使用済み核燃料の処分問題はいまだに未解決で、原発を使い続ける限り増えていく。原発事故が起きた場合、国は被害者切り捨てに近い対応しかできないことも明らかになった。
これらの事実を踏まえれば、原発の否定は間違いのない選択だと思う。福島の汚染状況はひどくないと言っているひとたちも、今後も原発を推進してもよいとは積極的に発言していないのではないか。また良心的な研究者の多くは、原発容認に傾きつつある日本について、再び事故が起きることを危惧している。 (2016/01)
<2016.1.12>
いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第40回:戦争反対のひと
鶴見俊輔に『悼詞』(編集グループ〈SURE〉、2008年)という本がある。偶然図書館でみつけてそのまま借りたのだが、書店では扱っていないようだ。
編集グループ〈SURE〉のホームページにある案内には「逝く人、125人の知人・友人に贈った鶴見俊輔、半世紀にわたる全追悼文集」とある。もちろん両親、姉の鶴見和子、従兄の鶴見良行もふくみ、そうそうたるひとびとにあてての追悼文集に仕上がっている。
とくに鶴見和子の項では、ベッドでの死の間際、88歳になる姉が84歳の弟に向かって「あなたは一生私を馬鹿にしていたんでしょう」と問いかけ、弟は返事をしなかったという逸話が紹介され、ギクリとさせられる。その鶴見俊輔も2015年7月、93歳で逝った。
この本にはおやっと思わされる名がたくさん登場するが、それは鶴見俊輔本人や追悼文の相手に関するぼく自身の知識の浅さからくることであって、当然のことである。
串田孫一もそんなひとりである。このふたりにはまったく接点がなかったとは思わないが、生涯で二度会っているらしい。串田はぼくにとっては山の随想のひとだが、両氏とも哲学のひとであり、串田はフランス哲学が本分であることを忘れてはいけない。串田についての一節を引いてみる。
「戦争万歳と書かない人は、著述家の中でも珍しい時代に、私は生きてきた。ある日、串田孫一の戦争万歳の文章を読んだことがないと思いあたった。こういう人は珍しい。それ以来、彼の文章を見つけるごとに読んできた」「この人が、戦争反対の側に立ち続ける人だということ(中略)を知った」「長い戦争の時代を通じておなじ方角に向いていた。そのことが、(中略)私を彼に結びつけ、私を彼のかわらぬ読者としてきた」
『共同研究 転向』全3巻(思想の科学研究会編、平凡社、1959〜62年)をまとめた鶴見俊輔らしい捉え方なのであろうが、この文章では鶴見が串田のどこから「戦争反対の側に立ち続ける人」と思ったのか明確にされているわけではない。
ぼくは串田孫一のよい読者ではない。手元にある本も山関連のもの10冊ほどであろうか。ぼくの思うところ、串田は「戦争万歳」のひとではないだろうが、そういったことにはあえて触れないひとである。久野収に向かって「政治のことはお前に任せるよ」と言っていたという夫人の証言もある(『こころ』Vol.13、2013年6月、平凡社)。しかし鶴見が指摘するように、強い意志をもって「戦争反対」のひとかどうかは確信がもてない。そんな折、加藤周一『「羊の歌」余聞』(ちくま文庫、2011年)を読んだ。そしてついでに『羊の歌』(岩波新書、1968年)も引っ張り出した。
太平洋戦争が始まったころ、加藤周一は東京帝国大学医学部の学生だった。彼は医学部でありながら、仏文学の講義を聴いたり仏文研究室にも出入りしていた。加藤の父が渋谷の開業医で、仏文研究室の主任教授辰野隆の主治医だったことから、父を通じてお願いしたものだ。授業が終わったあと、大学の向かいにある喫茶店「白十字」に辰野教授をはじめ、鈴木信太郎教授、渡辺一夫助教授、中島健蔵講師、助手2名、学生数人、ときには英文学の中野好夫助教授らもつどって一種の文化サロンになっていたという。そのなかに加藤周一も加わっていた。面白いのは、白十字での会話は外に漏らさないという約束があったわけではないが漏れたことがないという、確実に信頼できる関係があったという点である。
当時の話題の中心は戦争であって、必ずしも全員が戦争に批判的だったわけではない。辰野隆をはじめ、個性的なそれぞれがどんな発言をしていたのかなかなか面白い場面なので、ぜひお読みいただきたい。
加藤周一は戦争や権力に対する態度に関してもっとも強い影響を受けたのが渡辺一夫だという。渡辺は戦争の嫌いな学生を集めて話をしていたというが、のちに加藤も加わった。加藤は渡辺について記す。「戦争中の日本に天国から降ってきたような」ひとで、それは「軍国主義的な周囲に反発して、遠いフランスに精神的な逃避の場をもとめていた」わけではない。「日本社会の、そのみにくさの一切のさらけ出された中で、生きながら、同時にそのことの意味を、より大きな世界と歴史のなかで、見定めようとしていたのであり、自分自身と周囲を、内側と同時に外側から、天狼星の高みからさえも、眺めようとしていたのであろう」
時は少々さかのぼる。1932年に串田孫一は旧制東京高校へ入学し、翌年留学先のフランスから帰った教授の渡辺一夫と出会う。串田は東京帝大文学部哲学科へすすみ、渡辺は同じ東京帝大文学部仏文科講師として移り、師弟関係は生涯つづく。加藤周一が描く白十字時代、4歳年長の串田は哲学研究室副手(週3日)となっていて、上智大学予科講師(週1日)、フランス語専修学校でフランス語も教えて(夜間)もいたようだが、これらがどの程度重なっていたのかよくわからない。
串田孫一『日記』(実業之日本社、1982年)は、1943年から46年の日記から抜粋してまとめられたものだが、2年前にはじめて読んだ。幼馴染みのような戸板康二や哲学研究室の同僚だった山崎正一、森有正の名はよく登場するが、生涯の師渡辺一夫との付き合いはより濃く、学内よりも互いの家を訪ねたり、葉書・手紙のやりとりも頻繁である。
加藤周一の『羊の歌』には串田の名はなかったが、串田の『日記』にも加藤の名も白十字も登場しない。そして『日記』には米軍機がしきりに上空を飛び、警戒警報のなかでの次のような記述がある。原文の旧字は新字に改めた。
「私はこれまで戦争のことを書かなかった。故意に書かずにいたわけではなく、書く気持が湧いて来なかった。それに書いてみようとしても、いざとなると非常にむつかしい。だが口では何とでも言っても、戦争についての自分の本当の態度はうっかり外へは出せない。それを書いて置く必要を感じ始めた。その必要とは、仮令そこから思いがけない禍いを招くようなことがあろうとも、本当の気持を何処かに書いて置かないと、それを証明することも出来なくなってしまう」(1944年12月3日)
「それにしても、戦う国民はどうしてここまで単純になれるのだろう。右を向け。さて右を向けという号令がかかった。それに従いさえすればどんな罪悪も償われる。それでは皆右を向く。国民はもう否応なしに囚人の如く軍隊の如く進んで行く。何処からも『待て』の声はかからなくなる。自分の内からもその声は発せられない。しかもこの大行進はそれ程景気がよさそうに見えていて、実はそんなに根強いものではない。まことに奇妙な行進である。歩調は高く勇ましいが、何処かへ消えて行くような夢の行進である」(1945年6月26日)
「何しろ行進する人の数は万を遥かに越えて億だという。本当にそうなのかとは思うが、私はこの行進に対して何一つ邪魔をした覚えはないし、忠告してみたくとも、皮肉を言いたくとも、黙っていたし、小石を投げたことも勿論ない。だから恰も存在していないものの如く、或はその行進に当然加わっているものの如く扱って貰えたのである」(同前)
「国家は国民を、何段もの構えを作って諦めの訓練をさせ、何が起ころうとも、何でもないような、驚かないような人間を養成している。それは私の方が先にちゃんとその訓練を済ませている。願うところは寸分も違わない。ただ人々が何一つ苦労せずに、知らず識らずのうちにそうなって仕舞っているのと一緒にされてはどうも面白くない」(同前)
1944年3月22日の項には上智大学を免職されたことが記されているが、その理由について触れていない。「満天星[どうだんつつじ]」(『花火の見えた家』創文社、1960年所収)に、「週に一度通っていた上智大学も、教練の配属将校と言いあったのが恐らくもとで首になった」と明かされている。
串田孫一は加藤周一のように、渡辺一夫から受けた影響を明確に記していないように思うが、18歳からの師弟関係である。薄っぺらなものでおさまるはずがない。渡辺は串田を「大人しい」と記しているが、そんな串田と配属将校との言いあいも、渡辺という精神的な支えあってのものではなかろうか。『日記』のあちこちには、戦争さえなければという悔しさが吐露されている。これは串田の山の随想ばかりを読んできたぼくにとって新鮮なことだった。
串田孫一の『日記』刊行から10年以上も過ぎて、串田孫一・二宮敬編『渡辺一夫 敗戦日記』(博文館新社、1995年)が刊行された。パリで購入した小さなノートに、1945年3月11日から8月18日まで45ページにわたって記されたものだが、大部分はフランス語で書かれていた。日本語で書き残すことの危険を感じていた。
「敗戦日記」の章は Lasciate ogni speranza というイタリア語で始まる。ダンテ『神曲』地獄篇第三歌に登場する地獄の門に記された言葉の一部、「一切の望みを棄てよ」である。
「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ」(1945年6月6日)、「生きねばならぬ、事の赤裸々な姿を見きわめるために」(同年7月11日)
このような強い決意が何度も記されると同時に、「酒を飲みたし! 酔いつぶれたし!」(1945年7月14日)というものや自殺や死をほのめかす言葉もまた何度も記され、揺れ動く心があらわにされている。串田の『日記』には、この時期の渡辺の鬱状態とも思える様子が感想もなく事実のままに描かれている。
実生活の串田孫一は政治的なことを口にすることもなく、選挙の応援を頼まれても応じることはなかったというが、ほぼ同時代を生きてきた鶴見俊輔にはその思いがよくみえていたのかも知れない。
新年早々「日本の美懇談会の稚拙さ」という記事を見た(『東京新聞』2016年1月16日付)。日本の美懇談会は正式名称を「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」といい、日本文化の海外発信について提言する安倍首相直轄の有識者会議だという。座長は俳優の津川雅彦。日本映画の世界市場開拓の一作目として提案したのが「天孫降臨」の映画化である。
この懇談会が昨年10月に発足したときは小さな報道だった記憶がある。今回の記事には「メンバーの構成は首相との『お友達』色が濃い」とあるが、そのなかに俳優・演出家の串田和美[かずよし]の名があった。串田和美といえば自由劇場、1960年代の小劇場ブームの立役者として知られているが、串田孫一の長男である。
先に引いた『日記』にも和美の幼い姿が頻繁に登場する。戦時末期に山形県の新庄に疎開した頃はまだ2、3歳だが、両親とともに河原や森で焚木を拾う姿が描かれている。串田孫一の長男がどうしてという思いはあるが、なにか勘違いでもしたものであろうか。もしや日本会議の会員ではあるまいかと調べてみたが、会員名簿は公開されていないようだ。
今回は、敬称をすべて略させていただいた。 (2016年2月)
<2016.2.12>