哲学の可能性〜哲学で何が救えるか?
鰆木周見夫(さわらぎ・すみお)
哲学・思想・歴史 定価(800円+税) 2014年3月14日発売
<内容紹介>
3・11以降の日本は、いったいどこに行こうとしてきたのだろうか。遅々として進まない被災地の復興、収束しない福島第一原発の事故処理、出口が見えない核廃棄物の最終処理問題、暴走しはじめたかに見える政治状況……。閉塞状態が続くこの現状にわたしたちはどう対峙すればいいのか。本書に収載されている3編はいずれも15年以上前に発表されたものだが、指摘されている内容の本質は、現在のわたしたちを取り巻いている状況と奇妙なほどに一致する。
第一部の『哲学の可能性』では、中学生の自殺の問題を端緒に「いじめ」が会社組織内はいうにおよばず、あらゆる集団、共同体のなかで陰湿な形で進行していることを指摘し、その大きな原因のひとつは数の力を背景にして弱者を排除しようとする「偽りの民主主義」にあるとしている。この「偽りの民主主義」が<個の責任><共同体の責任>を曖昧にして無化する状況を生み出し、その無責任化をそれぞれが自身の力で気づくことすらできない危険な世界を現出させているとしている。この危険な世界を克服するためには、「真の民主主義」をひとりひとりが獲得しなければならない成熟した哲学・思想によって取り戻す以外にないことに気づいていく。
第二部の『世界神話の類似性と「記・紀」神話の政治性』では、古代期最大の内乱「壬申の乱」を目の当たりにし、殺戮の時代を巧みに生き抜いて政権を陰で動かした藤原不比等に焦点を当てている。不比等は官僚の草分け的存在。知識と策謀を駆使して政治の実権を握り、果ては娘を天皇家に嫁がせることで天皇をも自身の手でつくり出したばかりか、日本最古の文献「古事記」「日本書紀」の神話のなかに自身と藤原家の正当性を狡猾に盛り込もうとした人物。目的のために手段を選ばない不比等の姿は現代の官僚と共通するものの多いことがわかる。
第三部の『縄文と弥生の文化攻防』では、「戦争の始まり」が追究されている。考古学史料、発掘された人骨資料などから縄文時代には「人間同士の殺し合い」はほとんどんなく、戦争が始まるのは弥生時代からだとする説に焦点を当て、それでは縄文から弥生への時代の転換期にいったい何が起こっていたのかの謎に迫っている。
これらを読み通した後に、日本の政治、社会、経済、教育、生活……等々の現状を問いなおしてみると、3編のその先見性に驚かされることになるだろう。日本が不穏で危険な方向に流されつつあるように思える今こそ、熟読しておきたい一冊になっている。
<目次>
はじめに~混沌から危険へと向かう日本の現状を再認識するための三編
第一部 哲学の可能性~哲学で何が救えるか?
一章 死と自殺~生きるための哲学
■椎名誠氏が叫ぶ、「いじめなんかで死ぬな」と
■ハイデガーいわく、「死の問題と対決せよ」
■絶望を覗いたキルケゴールの哲学は、生ききる人間のための哲学
二章 いじめの構図~根が深い「偽りの民主主義」の弊害
■現代社会にもはや存在しない、真のリーダー「ガキ大将」
■多数決の論理に敗れた最初の哲学者はソクラテス
■戦後民主主義の五十年は、道徳感希薄化の歴史
三章 傲慢と価値観~人間は価値観で生きている?
■評判悪い、ヘーゲルの「価値ある人間の生き方」
■自己の意識は、共同体のなかで逆立ちする
■責任無化の時代を傲慢に生き続ける現代人
第二部 世界神話の類似性と「記・紀」神話の政治性
一章 「記・紀」の背後に潜む「殺戮の歴史」
■戦後の「記・紀」研究に大きな影響与えた津田左右吉
■「記・紀」神話の背後で動く政治的意図の主体は藤原家か
■殺さなければ殺される、皇位継承をめぐる陰謀
■大混迷への序曲だった、「鎌足と天智」盟友二人の死
二章 「記・紀」編纂を陰で操った藤原不比等の謎
■七世紀最大の内乱「壬申の乱」を、抹殺されずに生き延びた不比等
■不比等登場までのワンポイント・リリーフだった中臣大嶋
■不比等が「殺戮の歴史」から学んだ「わが身」防御の公式
三章 日本神話とギリシア神話の類似
■タブーのなかに見える世界神話の共通性
■ギリシア神話は騎馬民族が運んできた?
■農耕民族に共通するハイヌウェレ型神話
■アメノコヤネを中臣の祖先とした不比等の深慮
■神話の垂直軸が現実の水平軸に
第三部 縄文と弥生の文化攻防
一章 渡来人たちに「戦争の起源」を探る
■安らぎを感じる縄文文化
■日本での戦争は弥生時代に始まった
■戦争の原因はなわばり争いか
■戦争熟知者が稲作技術をもたらした?
二章 転換期に「日本人の祖先」を探る
■日本人種は実在しない?
■弥生時代に大量の渡来人がやってきた
■混血の度合は地域によって違う
■原日本人のルーツは東南アジアではない
■ミトコンドリアDNA分析は信頼できるか
■寒冷適応を受けない古モンゴロイド集団が東北アジアにいた?
■縄文系劣勢化の原因は戦争と結核か
■弥生時代の人口膨張の原因は農耕集団の自然増加にある?
はじめに~混沌から危険へと向かう日本の現状を再認識するための三編
ここに収められている三編は、いずれも一五年以上前に発表されたものである。
今回、電子書籍化するにあたって改めて読み返してみて思ったことは、意外にも内容面で年数の経過をあまり感じなかったということだった。
人間を取り巻く環境は、当時感じていたこととほとんど変わっていない。むしろ、あのときに予言的に示唆したことがより現実味を帯びてきているし、危惧していたことがより深刻化してきているように思えるのである。
『哲学の可能性~哲学で何が救えるか?』では、当時、「いじめ」「いじめによって精神的に追い込まれて自殺してしまう」中学生が増えていることが社会問題化していたが、そのことに関連して「生と死」「いじめの構造」「数の論理」について分析的な論考を試みた。
いじめを受けた子供が耐えきれなくなって死を選ぶ。その死に対して私たちはどんなに苦しい状況に陥っていたとしても生きていてほしかったと思う。
そう思うならば、死よりも生を選ぶべきだというその根拠、理由を提示しなければならないのではないかと考え、その問題についてショーペンハウエル、ヘーゲル、キルケゴール、ハイデガーらの哲学者がどういうふうにとらえていたかを紹介しながらひとつの方向を示唆したつもりである。
その過程での分析でわかったのは、子供たちの世界での「いじめの構造」がすこぶる陰湿的であること、そしてその象徴としてあらわれている「多勢がひとりの弱者」をいじめるという構図は、実は、子供たちの世界に限らず、大人の世界、サラリーマンの会社組織のなかでも見られるというものであった。つまり、共同体や集団のなかにおける「数の論理」「いじめの構造」は極めて普遍的な問題として浮かび上がってくるのである。
戦後の民主主義。物事を多数決によって決める。一見すると、平等に見える方法である。しかし、平等に見えるこの方法にも多くの落とし穴があることがわかってきたのである。
そのひとつは、数に隠れて個人の責任が不明確になるということ。もうひとつは、正論が「数の力」によって封殺されることである。この二つはリンクしている。
共同体や集団においてリーダーを決める。あるいは物事の方向性を決める。現代社会では、あらゆる場面で多数決がものをいう。
そこで、問題になるのは、多数決で選ばれた者が正しい行いをする人物なのかどうか、あるいは多数決で決められた物事が本当に正しいのかどうか、だ。同時に、問われるのは、選ぶ側の人間が自信と信念をもって一票を投じているかどうかだ。さらには、多数を確保するためのなりふりかまわない陰湿な策謀がまかり通っていないかをも厳正にチェックされなければならないだろう。
つまり、単に多数決で選べばいいというのではなく、選ぶ側にも選ばれる側にも、その行為の遂行の際には厳正さが求められるということであり、その結果として、選ばれた者の行状、多数決で決められた物事の行く末には、選ばれた者はもとより、選んだ側にも責任があるということ。
民主主義とは、ひとりひとりが、誰からも強制されることなく、自身の意志を表示できるところに最大の特長がある。だからこそ、この民主主義が成熟した民主主義に成長するためには、ひとりひとりが成熟した品格を有しなければならないのである。
ところが、現状はどうか。民主主義も日本人のひとりひとりも「成熟した」というには程遠いところに位置しているのではないだろうか。
多数決で選ばれた者は、多数決で選ばれたことを「錦の御旗」にして少数の意見を抹殺する傲慢な行為に及んではいないか。自身の失敗の責任をとろうともせず、多数決で選ばれていることを理由に責任の所在を無化する方向に動いてはいないか。また、失敗したリーダーを選んだ人々も、多数によって選んだことを根拠に自身の選んだ責任について何ひとつ省みることなく、そしてそのことに気づくこともない無為な日々を延々と過ごしているということはないのか。
そういうことでは成熟した民主主義とはいえないのである。
その「成熟」を阻んできたのが「数の力」の誤った使い方であり、それが個人と全体の責任の所在を無化する現象を生み出してきているのである。詳しくは、本編を読んでいただきたい。
『世界神話の類似性と「記・紀」神話の政治性』では、ひとりの興味深い人物に焦点を当てている。官僚の草分け的存在だったともいえる藤原不比等である。天智天皇の盟友・藤原鎌足の息子。古代期最大の内乱だった「壬申の乱」(六七二年)の後に頭角を現してきた不比等は、律令体制の整備などを通じて次第に大和朝廷を実質的に陰で操る存在になっていく。日本最古の書物になる『古事記』と『日本書紀』も不比等の思惑が随所に隠されたものになっている。
天智天皇亡き後、その後継の座をめぐって天智の子・大友皇子、天智の弟・大海人皇子(後の天武天皇)が戦う骨肉の争いになったのが「壬申の乱」。鎌足は天智が死す二年前に亡くなっており、内乱時の藤原一族は二分し、敵味方に分かれての参戦になる。
幼かった不比等は戦の前面に出ることはなく難を逃れる。雌伏の時を経て不比等が表舞台に登場してくるのは、天武亡きあと持統(女帝)が天皇の座についてからである。目立たず出しゃばらずに持統を支え、この女帝の信を得てから実質的な権勢を次第に拡大していくのである。
当時の天皇の後継争いは、その背後に控える大豪族間の盛衰をかけた争いでもあった。自分たちの推す人物が皇位を継承すればその一族の繁栄が保証され、敗れた一族は衰えていく。ゆえに、その争いは血の匂いを強く帯びるものにもなっていく。
天智が天皇の座を手繰り寄せることになる発端は、権勢を誇っていた蘇我入鹿を中臣の鎌子(後の藤原鎌足)と協力して殺害したことにあった。そして、叔父と甥が戦った「壬申の乱」では、天智の子・大友は敗者として処刑され、藤原一族のなかで大友側に与した有力人物・中臣金も殺害されている。
こうした、殺らなければ殺られる皇位争いを幼いながらも目の当たりにしてきた不比等は、何を感じたろうか。それは、「わが身」を守るにはどうすればいいか、その究極の方法を見出すことと同義だった。知略による実権の掌握。殺し合いに発展する前に周到に手を打って周りを固めておくこと。
〈歴史のダイナミズムから「わが身」を守るためには、確実に勝者側につかねばならないのだ。もっというならば、自身が与する皇位継承者を勝者にしなければならない。さらに突っ込めば、勝者となるべく人間を自身の手でつくり上げることなのだ。その際、血を見る戦いを行なうことなく、事が成就するのが一番いい。これが、多感な少年時代から青年期にかけての不比等が、「殺戮の歴史」から学びとった結論・公式であったろうことはおそらく間違いない。〉
やがて、不比等は自身の娘を天皇家に嫁がせる。並行して、「記・紀」のなかに巧妙な仕掛けを組み込んでいくのである。
『縄文と弥生の文化攻防』では、戦争の起源について触れた。
当時、考古学の貴重な発掘が相次いでいた時期で、その成果に基づく、縄文と弥生に関する文化論も活発に行なわれていた。そのなかで興味深かったのが、今は亡き佐原眞の「縄文時代には戦争はなかった」とする説だった。
〈四〇〇〇~五〇〇〇体の縄紋人骨中、斧や矢で殺された形跡をのこすものは一〇体程度であるのに対して、九州では弥生人骨には、剣の先が折れて骨に刺さったままの状況のもの、あるいは、人骨が消滅して剣先のみが墓の中に遺存する実例が一〇〇に達している。人の集団と集団とがぶつかって大勢殺す、という意味での戦争が、日本本土では弥生時代に始まった(のがわかった)ことは、人類学・考古学の学際的研究の成果である〉(一九九四年公開シンポジウム『古人骨は何を語るか』の「古人骨の研究のいま−−考古学から−−」より)
日本で、集団と集団による人間の殺し合いが始まったのは弥生時代に入ってから。
では、戦争のなかった縄文時代の人々の精神性とはどんなものだったのか。そして弥生時代に入って始まったというその戦争の要因はなんだったのか。縄文から弥生時代に移行するその転換期にいったい何が起こっていたのか。それらの疑問を解くための論考が本編だった。
二〇一一年三月一一日以降、さまざまな問題点がこれまで以上に浮き彫りになってきた日本、荒廃していくばかりに見える日本人の心的側面。加えて、まさに「数の力」によるその横暴が顕著になってきている政治状況。それらのことを踏まえて、今一度本書を熟読していただきたい。
(本文より)