私のなかの武満徹
〜ジャンルを超えて「音の世界」を追究した男の優しさ〜

鰆木周見夫(さわらぎ・すみお)
ノンフィクションライター


いつの間にか世界の最前線に
躍り出ていた武満徹

 私が、最初に武満徹の名を知ったのは、ピアニスト高橋悠治が書いた『ことばをもって音をたちきれ』(1974年/晶文社刊)のなかでであった。もう40年近い前のことだ。
 高橋は、1952年に発表されたピアノ曲「遮られない休息Ⅰ」と1972年につくられた「For Away」を比較して「まず打たれるのはそれらがほとんどおなじだというかんじである」と書き、こう続けている。
 <これは、この二十年間かきつづけてきたほかの作曲家の場合をかんがえると、おどろくべきことといえよう。ほとんどの作曲家の場合、まずかんじられるのは時代である。時代のことばは数年でかわりつづけてきた。この二十年間に注目されてきた作曲家たちは、おそかれはやかれ時代のことばの変化に自分をあわせながら生きのびてきたのだ。>
 高橋は、武満が他の作曲家と違って時代や他者の影響を受けずに自分の道をひたすら切り開いてきたことを強調しているのでもない。高橋によれば、武満はむしろ他からの影響を受けやすい作曲家であり、特にドビュッシーの強い影響を受けているとする。武満の音のなかに存在する抜き出し難いドビュッシー的な「ひびき」。本人は百も承知であり、そのことで悩み、琴、尺八、笙、琵琶、ガムラン、ジャズ……より遠くの自分にないものに憧れて、ひたすらかきつづけてきた。こうしてドビュッシーのひびきは、武満のひびきになる。
 つまり、逆説的になるが、他から影響を受けながら、あるいは影響を受けることに身をさらしながら、かきつづけることで独自のある高みにまで成熟していったというのである。そして気がついてみると、ドビュッシーの姿が見えなくなっていた。追いかけ、追い抜こうとした対象が目の前から消えて、いつの間にか、巧まずに武満は世界の最前線に躍り出ていたのである。
 高橋の一文「伝統というこのやっかいなもの」は、こう締めくくられていた。
 <彼の音楽は自立した空間のなかで成熟する宿命にあるようだ。かれの孤独は深まるだろう。>
 1974年は、武満44歳。すでに世界的に知られた作曲家だった。その後の私は、<武満徹>の名と、高橋の最後の言葉が頭の中に残っていたものの、武満作品を熱心に聴いていたわけではなかった。
 1930年に生まれた武満は、1996年に没するまでに数多くの作品を残し、その分野は多岐にわたる。
 私が武満の音楽を聴くようになるのは、彼の死後のことである。
 ピアノ曲、オーケストラ曲、合唱曲、うた曲、そして映画音楽……。聴けば聴くほどに深みにはまっていく。心地良く響くときもあれば、身体が受け付けないときもある。武満の音楽は一筋縄ではいかないということだったのかもしれない。
 あるとき、在籍していた混声合唱団で、無伴奏合唱曲「○と△のうた」を練習したことがあった。詩も武満徹だった。詩を読み譜読みをしているときはその世界観を感じていたつもりだったのだが、歌ってみるとうまくいかない。混声4部が有機的に響かないのだ。言うまでもなく私たちの技術が劣っていたのだが、何よりもやっかいに感じたのは「間」のとり方だった。テノールだった私は、「りんごは~」とソロでつなぐ部分をうたう機会に恵まれたが、最後まで納得のいく歌い方ができずに終わった。この曲は、何度か合唱団の発表曲候補に挙がって練習を繰り返したが、ついに本番の舞台で歌われるまでに至らなかった。

武満作品のなかの「間」と「無」
そして時間とは?

 作曲家のラファエル・モステルは、ピーター・ゼルキン演奏によるCD『武満徹◆ピアノ作品集』のライナーノーツのなかで、武満作品についてこう触れている。
 <「ディスタンス」あるいは「アウェイ」…、曲名に使われた言葉からしても、武満の関心が「空間」と「距離」にあったことは明らかだろう。あらゆる日本芸術を理解するうえで重要なのは、「間」の概念である。それは、ある種の知覚に際して不可欠となる「無」の感覚といいかえてもいい>
「間」と「無」。
 哲学問答になってしまうが、そこに時間は流れているのだろうか。
 時間は流れるものである。誰もがそう思っている。
 紀元前5世紀頃を生きた哲学者ヘラクレイトスは「同じ川に2度は入れない」と語り、鴨長明は『方丈記』の冒頭に「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし」と記して時の経過を表現した。
 しかし、時間そのものを説明するのは難しい。
 5世紀の哲学者アウグスティヌスの言葉がそれを象徴的に言い表している。
 <誰も私に尋ねなければ私はそれを知っている。私に尋ねる人にそれを説明しようとすると、私はそれを知らない>
「時間は流れる」という<常識>に反して「時間は流れない」としたのは、天才物理学者アインシュタインだった。彼は自身の研究理論を検証しようとして、友人の監督・映画俳優チャプリンのもとを訪れた。絶世の美人だった女優ポートレット・ゴダードと邂逅する機会をつくってもらうためだった。アインシュタインとゴダードはカキ料理店で楽しく話した。
 そして、アインシュタインはこのときの成果をこう記した。
 <かわいい女性といるときは1時間が1分に思える。しかし、熱いストーブの上に1分間座らされたら何時間にも思える。これが相対性だ>

アインシュタインが後悔した
「生涯最大の過ち」

 後年、アインシュタインには後悔したことがあった。1939年にアメリカのルーズベルト大統領宛に出した手紙のことである。レオ・ジラードら亡命物理学者らと話し合った末に出来上がった内容は原爆の開発を早めるよう要請するかたちになっていたが、その意図は、開発で先行するドイツを牽制する抑止力としての対抗策だった。しかし、アインシュタインの意図とは逆にアメリカで製造された原爆は広島と長崎に投下されたのだ。アインシュタインは、手紙に署名した自分の行為を生涯最大の過ちとして深く後悔し、その後は「世界平和」のために尽力する。
 1949年、湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞した。日本人初のノーベル賞受賞。それは、敗戦で傷ついた日本と日本人の心を奮い立たせる朗報であり、希望の燈だった。この1年前、湯川はオッペンハイマーに乞われてアメリカに渡っている。すぐに湯川の研究室を訪ねてきたのは年老いたアインシュタインだった。アインシュタインは、泣きながら湯川の手を握りしめ、原爆の犠牲になった日本人への謝罪を何度も繰り返した。
 1956年、湯川は強い要請を受けて、国の行政機関「原子力委員会」の委員のひとりに名を連ねる。しかし翌年には、病気を理由に辞任。「核の平和利用」という建前の裏にひそむ危険性を敏感に察知したのだろうことは間違いない。その後の湯川は、アインシュタイン同様に平和と核廃絶のために注力していく。

東日本を襲った巨大地震と大津波
原発の恐怖、放射性物質の拡散

 2011年3月11日、巨大地震と大津波が東日本を襲った。多くの犠牲者と未曾有の被害が出たが、それに加えてさらに深刻な事態を浮き彫りにしたのが福島第一原発1~4号機の損壊による放射性物質の拡散だった。やはり、原発は危険だったのである。安全神話は虚構に過ぎなかったのだ。世界で唯一の原爆投下の犠牲国であり、その苦しみを誰よりも知っているはずの日本人が同じ日本人を欺いて再度、人々を核の恐怖の渦のなかに巻き込んでしまったのである。この罪は重い。さらに、この罪を悔い改めない罪はもっと重い。
 2012年7月16日、東京・代々木公園に反原発を訴える人々17万人が集まった。この集会の呼び掛け人のひとりであるノーベル賞作家・大江健三郎は、700万人分を上回る反原発の署名を提出しながらも、大飯原発が再稼働されたことに対して「私たちは侮辱されている」と語り、さらなる反原発行動が必要だと訴えた。それから2週間後の7月29日には、原発廃止を願う20万の普通の人々が国会を取り囲んで政府の態度に抗議の声をあげた。
 翻って、武満徹の作品に「死んだ男の残したものは」がある。1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられたもので、作詞は谷川俊太郎。この曲が、いま再び多くの人に歌われはじめている。世の中が、善良な市民の決して望まない方向へと流れはじめていることに対する悲痛な抗議の意味が込められていると考えるべきだろう。

不思議な世界にとりつかれた男の
果敢な実験の繰り返し

 人の記憶のなかに思い出さない記憶と思い出す記憶がある。脳科学者によれば、強い印象を受ける体験をすると脳の神経細胞のネットワークのなかで長期増強作用というメカニズムがその体験を長く記憶のなかにとどめるよう働くのだという。
 太平洋戦争に駆り出されて言語を絶する体験をした人々は、戦後数十年が経過した後も、瞼を閉じると一瞬にして当時の悲惨な光景が現出すると語っている。この人たちの戦争体験という時間は、心身のなかで止まったままなのだ。時間は決して流れてはいないのである。
「間」は、時間の経過なのか、それとも停止なのか。「無」とは全くのゼロなのか、それともその人に託された無限大の秘めた可能性なのか。
 武満は1957年につくった「弦楽のためのレクイエム」について興味深い言葉を残している。
 <はじまりもおわりもさだかではない。人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れのある部分を偶然にとりだしたものだといったら、この作品の性格を端的にあかしたことになります。>
 音は流れているけれど、はじまりもおわりもない。「時」は止まったままなのか? 時が止まったままで音だけが無限に流れている?
「間」「無」「時」。説明し難い主題だが、不思議に惹き付けられてしまう世界でもある。もしかしたら、武満徹という世界的な音楽家は、この不思議な世界に本能的に重要な意味を見出し、生涯にわたって黙々と果敢な実験を繰り返していたのではないだろうか。

「うた」とは本来的に
魂のひびきであり、心の叫び

 CD『赤木恵子「武満徹うた曲集」』には「死んだ男の残したものは」を含め10曲がおさめられている。映画、テレビやラジオのドラマ主題歌としてつくられたものが中心で、馴染みの曲が多い。武満は生涯で90本を超える映画音楽を手がけており、歌謡曲もつくっている。現代音楽作曲家のほかに多様な顔をもつのである。その多様な顔は、私には、ジャンルを超えて音の世界を飽くことなく追究した「男」が残してくれた「優しさ」のように思えるのである。
 このCDは目を閉じて時間を止めるようにして聴いてみたい。暗闇の中から音が湧いてくる。過剰な装飾や技巧を排した歌い手のナチュラルなうた声が静かにしみいってくる。それは、「うた」とは本来的に魂のひびきであり、人間の心の内なる叫びなのだということを物語っている。
                                 (2012年8月)


<CDアルバム『赤木恵子「武満徹うた曲集」』のブックレットに掲載>

鰆木周見夫(さわらぎ・すみお)

出版社、専門新聞社勤務を経てフリーのライターに。共著に『哲学・思想がわかる』『世界の神話がわかる』『日本人の起源の謎』(以上、日本文芸社)『哲学サミット』(角川春樹事務所)『ボクサー 世界戦に敗れた者たちの第二ラウンド』(アドリブ)『東京ジャズ喫茶物語』(アドリブ)など。電子書籍に『哲学の可能性〜哲学で何が救えるか?』『漂流する日本人、行き詰まる日本』(以上、島燈社)がある。

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武満徹の「うた曲」と映画音楽の相関LinkIcon

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