赤木恵子うた集〜童謡・唱歌・歌曲・歌謡曲・民謡〜
赤木恵子(メゾソプラノ)/玉木倫子(ピアノ伴奏)
CDアルバム/TTS60-01
3000円(税込)/2009年7月30日発売
<収録曲>全16曲
ジャンルを超え、時代を超えて誰もが口ずさめるなつかしい16曲を収録
① 公園の手品師(宮川哲夫・作詞/吉田正・作曲)3:36
② 三月のうた(谷川俊太郎・作詞/武満徹・作曲)2:55
③ 赤い花、白い花(中林ミエ・作詞/中林ミエ・作曲)1:36
④ 小さな空(武満徹・作詞/武満徹・作曲)2:47
⑤ 鯉のぼり(文部省唱歌)2:01
⑥ そうだん(勝承夫・作詞/平井康三郎・作曲)0:44
⑦ 故郷の空(大和田建樹・作詞/スコットランド民謡)1:04
⑧ 惜春鳥(木下恵介・作詞/木下忠司・作曲)3:31
⑨ 津軽のふるさと(米山正夫・作詞/米山正夫・作曲)3:13
⑩ 平城山(北見志保子・作詞/平井康三郎・作曲)2:30
⑪ 砂山(北原白秋・作詞/中山晋平・作曲)1:32
⑫ 海ほおずきの歌(田中一郎・作詞/山本雅之・作曲)2:03
⑬ ばあやたずねて(斎藤信夫・作詞/海沼実・作曲)2:56
⑭ 花嫁人形(蕗谷虹児・作詞/杉山長谷夫・作曲)3:08
⑮ 小諸馬子唄(日本民謡/赤木恵子・編曲)1:37
⑯ 死んだ男の残したものは(谷川俊太郎・作詞/武満徹・作曲)6:59
ブックレットの内容
■「うた」に思うこと〜ジャンルを超えて、時代を超えて(赤木恵子)
■曲目について
■収録曲の歌詞
「うた」に思うこと〜ジャンルを超えて、時代を超えて
赤木恵子
<CDアルバム『赤木恵子うた曲集〜童謡・唱歌・歌曲・歌謡曲・民謡〜』ブックレットより>
収録曲の詞と曲について
①公園の手品師
昭和31年(1956年)に大阪朝日放送の「クレハ・ホ−ムソング」としてフランク・永井の歌で放送されたもの。レコ−ドは33年2月、日本初のステレオレコ−ドとして発売された。
②三月のうた
映画「最後の審判」(監督・堀川弘通/東京映画/1965年)の主題歌。後藤芳子によって歌われた。
③赤い花、白い花
フオ−クの赤い鳥の昭和45年の作品で、52年にNHKの「みんなのうた」で放送されてから広く歌われるようになった。
④小さな空
昭和37年、TBSラジオで放送された、こどものための連続ラジオ・ドラマ「ガン・キング」の主題歌。
⑤鯉のぼり
大正2年5月発行の『尋常小学唱歌(五)』に全三節の歌詞で発表されたが、昭和22年版の教科書で第二節の歌詞が削られた。
⑥そうだん
昭和22年3月29日に教育基本法、学校教育法、5月3日には新憲法が公布され国民学校はもとの小学校になり、現在の6・3・3制が施行された。明治以来使われてきた「教育音楽」という言葉は「音楽教育」に改められ、教科書にはそれまでの文部省唱歌のほかに、「そうだん」「夜汽車」「とうだいもり」などの新作も集められた。
⑦故郷の空
スコットランド民謡の「comin Through the Rye」が原曲。スコットランド独特の「……」(ターンタタターン)のリズムを日本語に合うように修正し、日本式の「……」(ターンタ、ターンタ)にかえられた。最近では原詞、原曲どおりに「麦畑」が歌われるようになった。
⑧惜春鳥
昭和33年の映画「惜春鳥」(松竹大船/監督・木下恵介/主演・津川雅彦、有馬稲子)の主題歌。映画は、苦悩多い5人の若者の青春群像が活写されている。舞台は会津。作曲の木下忠司は木下恵介の弟で音楽監督を担当した。忠司の作品は、「伊豆の踊り子」「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」など約400曲におよぶ。
⑨津軽のふるさと
昭和27年11月封切りの映画「りんご園の少女」(新英プロ製作)の挿入歌。主演の美空ひばりが歌っている。レコ−ドは「馬っ子先生」の裏面として発売された。
⑩平城山
平井康三郎が東京音楽学校(ヴァイオリン科)に在学中の昭和10年に作ったが、一般に知られるようになったのは戦後の23、24年頃から。
⑪砂山
大正16年12月、新潟で講演した北原白秋が、その際、この地方をテ−マにした童謡を作ることを子どもたちと約束した。その約束を守って書いたのが、この「砂山」。
⑫海ほおずきの歌
作詞の田中一郎は旧制水戸高校の出身で、学生時代を水戸で過ごした。その水戸周辺でよく歌われていた「磯節」の子ども版のつもりで、この詞をかいた。童謡歌手の近藤圭子が昭和30年(1955年)から引退する41年までの12年にわたって歌い続けた歌でもある。
⑬ばあやたずねて
詩は昭和16年8月に作られ、曲は21年夏に作られた。作詞者の少年時代、近所にばあやのいる裕福な家があって羨ましく思ったこと、九十九里浜から彼の村まで客用馬車が開通し、乗りたいという思いがかなわないうちに廃車なってしまったこと。そうした思い出から生まれた作品。
⑭花嫁人形
大正末期から 昭和初期に少女時代をすごしたひとは、いま日本にどれだけおられるだろうか。蕗谷虹児の描いた、長いまつ毛に大きな瞳の美少女に憧れたであろう時代の人たちである。その虹児が大正16年(1941年)に「令女界」の編集部の依頼で絵とともに書いたのが、この「花嫁人形」。
⑮小諸馬子唄
長野県の民謡。特定の作者がいて創作された新民謡(八戸小唄、ちゃっきり節など)は別として、人から人へと口伝によって残ってきた民謡は、地域によって歌詞や節まわしなどが微妙に違っていたりする。が、そこにあるのはまさに日本の原風景。素朴さ、長閑さのなかに、哀切がある。永遠に歌い継がれていってほしいと思うと同時に、歌いたいとも思うのだが、民謡独特の発声法や、こぶし、リズムは難しい。そこで、歌いたい一心から編曲を試みた。
⑯死んだ男の残したものは
1965年4月、東京で開かれた「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために、武満徹が作曲。友竹正則の歌で発表された。
◆参考文献/『日本叙情歌全集』(ドレミ楽譜出版社)『日本唱歌名曲集』(全音楽譜出版社)『日本の唱歌』(音楽の友社)『日本流行歌史』(社会思想社)『武満徹:SONGS』(日本ショット))