赤木恵子メゾソプラノ・リサイタル
メゾソプラノ:赤木恵子 ピアノ:玉木倫子
■音楽の友ホール(東京・神楽坂)
■2010年5月15日(土)14時開演
2010年5月15日、音楽の友ホールで行われたリサイタルは、好評のうちに終えることができました。童謡、唱歌、歌曲、歌謡曲、民謡、ジャズナンバーなど、ジャンルを超えて、誰もが口ずさめる曲を選んで披露。また、湯沢北高校同窓生有志による「西馬音内盆踊り」も登場。最後に、全員で「夏は来ぬ」を歌い、出演者と観客が一体になったコンサートに会場は大いに盛り上がりました。
当日のプログラム
①うたうだけ ……………………………谷川俊太郎/作詞 武満徹/作曲・編曲
②そうだん ………………………………………勝承夫/作詞 平井康三郎/作曲
③月見草の花 ………………………………………山川清/作詞 山本雅之/作曲
④海ほおずきの歌 ………………………………田中一郎/作詞 山本雅之/作曲
⑤小諸なる古城のほとり ……………………島崎藤村/作詞 弘田龍太郎/作曲
⑥秋の月 …………………………………瀧廉太郎/作詞・作曲 山田耕筰/編曲
⑦Piacer d’amor …………………………………………Giovanni Martini/作曲
⑧Summer time …………DuBose Heyward/作詞 George Gershwin/作曲
⑨長城の子守唄 …………………………………菊田一夫/作詞 古関裕而/作曲
⑩この道 …………………………………………北原白秋/作詞 山田耕筰/作曲
休憩(15分)
⑪津軽のふるさと ……………………………………………米山正夫/作詞・作曲
⑫小諸馬子唄 …………………………………………長野県民謡 赤木恵子/編曲
☆西馬音内盆踊り ……………………………秋田県立湯沢北高等学校卒業生有志
⑬少年時代 ……………………………………………………井上陽水/作詞・作曲
⑭この広い野原いっぱい ……………………小薗江圭子/作詞 森山良子/作曲
⑮喜びも悲しみも幾歳月 ……………………………………木下忠司/作詞・作曲
⑯MI・YO・TA …………………………………谷川俊太郎/作詞 武満徹/作曲
⑰死んだ男の残したものは ……………………谷川俊太郎/作詞 武満徹/作曲
<アンコール>
平城山…………………………………………北見志保子/作詞 平井康三郎/作曲
秋田長持唄……………………………………………………………………秋田県民謡
☆フィナーレ(全員で)
夏は来ぬ ……………………………………佐佐木信綱/作詞 小山作之助/作曲
秋田県立湯沢北高校同窓生有志による「西馬音内盆踊り」
思い浮かべる情景
赤木恵子
武満徹の曲をコンサートで歌うようになったのは8年ほど前からである。2009年に出した『赤木恵子うた集』にも3曲入っている。
曲からイメージした情景を思い浮かべながら、自分なりの〝うた〟をつくりあげるのだが、2011年3月11日の東日本大震災、そしてあの原発事故を境に、思い描く情景も、歌うときの心情も大きく変わった。
私は、55歳のとき、福島県郡山市の学校で音楽を学んだが、いっしょに勉強した若いクラスメートの大半は福島県内の娘さんたちだった。
結婚や出産を控えた、あるいは子育て中のかつての級友たちが、先の見えない、終わりのない原発事故によって、どれだけ苦しみ、不安な日々を送っていることか。
電話の向こうで泣いている彼女たちに、何をどう言えばいいのかわからず「ごめんネ、私のうちの電気は東電なのごめんネ」。
そんなことしか言えない自分。
とり返しのつかない結果を生む危険なものを、「日本の技術では起こりえない」と思い込んだまま、それについて深く知る努力もせず、経済優先を口では否定しながら何ら行動を起こさず見過ごしてきたことへの後悔、自責の念、そしてうしろめたさが、あれ以来ずーっと私のなかにすみついている。
半年ほどしてようやくCD制作に向けての練習を再開したが、心に浮かぶ情景は震災前とは大きく違っていた。
原発事故後の2011年3月18日、放射性物質から逃れようと、那須のわが家の玄関に、マスクをした3歳の女の子を連れて立っていたかつてのクラスメートの、不安と恐怖に満ちた真っ青な顔。
2か月あまり経った5月21日、避難先の仙台から半壊した自宅に戻った南相馬の友人を訪ねた。道中、緑の風景を左右に見ながら車を走らせていたのに、いきなり苗の植えられていない田んぼが続いて、そこには打ち上げられて横倒しになったままの何隻もの漁船が……。福島第一原発から25キロ地点の原町の道の駅では白い防護服に着替えている、無言の自衛隊の人たち。
おいしい魚を食べに度々訪れていたいわき市の海辺の町は、震災から7か月後に行ったときには跡形もなく、生い茂った雑草の間から家々の土台の部分らしきものがわずかに見え、そこにじっと立って海を見つめる人の後ろ姿。
歌いながら浮かぶのはそうした光景だった。
このアルバムのピアノ伴奏者、本多裕子さんは福島県二本松市に住む、音楽科の同級生。伴奏合わせの際、震災のことには触れないようにしていたのに、あるとき、ひと休みしなながらつい原発の話になってしまった。話しているうちに彼女は泣き出した。帰路についた彼女に「つらいことを話題にしてゴメンね」とメールを入れた。すぐに返信があった。
「いいえ、福島のことをまだ思ってくれている人がいることがうれしい。私たちにとっていちばんこわいのは忘れられてしまうことです」
1992年発行の拙著『三途の川は大洪水!』のなかの一編に、私はこう書いている。
<「核エネルギーの平和利用」という言葉を聞くとつい条件付きで肯定しがちになるが、それは言葉の欺まんのように思えてならない。現に事故は起きている。アメリカのスリーマイル島の原子力発電所の事故、さらに記憶に新しいところでは、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故……。絶滅への不安は尽きないのだ――。>
書き続けるべきだった。
2012年8月