いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第20回/工藤茂
奮闘する名護市長
昨年暮れの12月27日、仲井真弘多[ひろかず]沖縄県知事は、米軍普天間基地移設にともなって日本政府が沖縄県に申請していた、名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認した。この知事の決断を県民がどう受け止めたのかといえば、翌28、29日に琉球新報社と沖縄テレビ放送が行った世論調査では、支持するとした34.2%に対して、支持しないが61.4%、知事の承認判断を公約違反とする回答が72.4%に達した。また、今年4月下旬の世論調査でも辺野古移設支持が16.6%に対して、反対は73.6%にのぼっていて、県民の意識は明らかである。なんとすっきりした世論調査であろうか。本土の大手新聞の行う、わけの分からない世論調査とはエラい違いではないか。
このような状況のなかで、日米両政府が強引に推し進めようとしている移設計画撤回を訴えるために、名護市の稲嶺進市長は5月16日(日本時間、以下同)にアメリカに渡った。ニューヨークとワシントンを合わせて8日間の滞在で、政府当局者、元政府高官、上下両院議員や元議員、安全保障専門家との会談、そして市民集会への参加など47件の予定をこなして、24日夜沖縄に帰任した。
帰任後の26日から、『沖縄タイムス』が3回、『琉球新報』が4回に分けて、市長のアメリカでの活動を振り返っている。
「基地をつくるのは日本政府だが使うのは米軍だ。アメリカも当事者である。日本の国内問題だと他人事でとらえてもらっては困る。また、知事の承認は民意と大きく乖離したもので、地元の承認とはいえない」
「名護市が訴えなければ移設を認めたことになる。動かなければなにも始まらない。動くことで、そこからまた新たな一歩が踏み出せる」
記事には、稲嶺市長自身のこのような強い信念がちりばめられているが、正直のところ、相当厳しい様子がうかがえる。しかしながら、かすかな望みがないわけではないという印象を受けた。アメリカ社会では辺野古移設問題の認知度が低いことは察しがついていた。ただ仲井真知事の埋め立て承認が、それですべてが決着したというほどの重みがあることは予想外だった。まさにアメリカの当局者や識者、市民への直訴の旅である。
名護市側では、日本大使館を通じてアメリカ国防総省に会談を申し入れていたのだが、結局応じてもらえなかった。2年前の訪米の際には北東アジア部長が応対してくれたのだが、今回は知事の承認を根拠に移設問題は決着済みとの見解を強調して、会談に応じることはなかった。
一方、国務省は日本部副部長が応対して「沖縄の負担は理解しているが、移設は国と国が決めたこと」と述べるにとどまった。日本部副部長という役職は日本の役所の課長補佐に相当していて、これが市長が会えた政府当局者の最高クラスだという。
国防総省のある幹部は『沖縄タイムス』のインタビューに「埋め立てを承認した沖縄県知事の決定を日本政府も歓迎している。われわれがそれを飛び越えることは、内政干渉につながりかねない」と語っている。これが政府当局者の態度である。会談に応じた国務省の日本部副部長にしても、本音は国防総省の担当者と同じ、「もう決まったことだ」というものだろう。
『ニューヨーク・タイムズ』は、今年の1月、稲嶺市長が再選されたときや今回の訪米の様子も詳しく報道しているが、今回の訪米日程がほぼ終了した23日、市長に対するアメリカ政府の冷遇を伝えている。しかし稲嶺市長は「回答は想定内。だが、地元の反対を直接伝えていくことが大事だ」と答えている。
これまで辺野古移設の見直しを提言してきた、新アメリカ安全保障センターのパトリック・クローニン上級顧問は、稲嶺市長との会談で「このゲームは国が勝利し、地元は敗れた」と評した。「やはり知事承認の影響は大きい」と、辺野古移設支持に転じたことを明らかにした。
ジャパン・ハンドラーの一員といわれながらも、地元の抵抗を根拠に、以前より移設計画には懐疑的だったコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授は、アメリカは当事者だが、これは国内問題だとしつつも、知事の承認で移設計画をくつがえすことが難しくなったと移設撤回に否定的な見方を示した。また、最初から無理な計画で、明らかな市民の反対を無視してすすめるのはどうかと思うとも付け加えている。
1960年代後半と本土復帰後にも沖縄駐留経験のあるジェームス・ジョーンズ氏は、1999〜2003年まで海兵隊総司令官を務め、米軍再編協議にもかかわった人物である。ジョーンズ氏によると、在任中にラムズフェルド国防長官に対して、辺野古移設をともなわないグアムの空軍基地の活用を提案して了承されながらも、日米両政府が受け入れなかったという。「政治の問題だった」との見解を述べ、軍事的な必要からではなかったことを明らかにした。
またジョーンズ氏は、普天間は長期駐留すべき基地ではない。基地周辺の人口を考えても無理な基地だとも指摘。辺野古移設については、コストも高く、環境への影響も大きいとし、グアム、ハワイ、オーストラリアへの移転で沖縄駐留米兵は充分削減されるはずだと述べている。「成功を祈る。市長の話は海兵隊のトップに進言したい」と市長を激励しつつも、現時点での計画変更は厳しいという見方を示した。
2012年に辺野古移設の再考をアメリカ政府に求めたジム・ウェッブ元上院議員は、13年に引退したが、いまでも議会や国防総省に影響力をもつ。偶然にも稲嶺市長との会談当日、民主党次期大統領候補として報道され、突然時の人となった。ウェッブ氏は「いまでも辺野古移設は難しいと思っている。いまの立場でできることは協力したい」と応じた。数日後、ウェッブ氏が上院軍事委員会のレビン委員長に稲嶺氏との会談内容を伝えたことが明らかになった。米議会筋によると、ウェッブ氏は「稲嶺市長が再選したのは辺野古に基地はいらないという民意によるもので、必ず辺野古を守るとの意思を表明し、米議会の協力を求めていた」と伝えたという。レビン委員長は、2011年4月、ウェッブ氏のすすめで沖縄を訪れ、仲井真知事に対して辺野古移設の日米合意の見直しを要請している。
協力的な態度を示してくれているが、知事の了承の影響で移設撤回がいかに困難になったかがよく分かる。それでも会談相手のなかには、市民の阻止行動の様子や県知事選挙の見通しを市長に尋ねるなど、今後の動向次第では移設問題が混迷するという見方をする人々もいたようだ。稲嶺市長は「日本政府の姿勢に県民は強く反発している。手続き上はすすんでも、実際の移設作業は必ず混迷する」とアメリカ側に対して繰り返した。「今後沖縄の状況が緊迫すれば、ワシントンでも見直し論が再燃するはず。地元の内実を伝えておくことが大切だ」と語る。
アメリカ海洋哺乳類委員会を訪問しジュゴンの保護勧告の要望を行ったほか、トークイベントも開いて市民に訴えたり、平和運動の活動家たちとの意見交換も行った。ノーベル平和賞受賞団体「アメリカンフレンズ奉仕委員会」のジョセフ・ガーソン氏が辺野古移設反対を求める取り組みの実行を表明してくれた。市長は10社を超えるメディアの取材にも応じている。とくにブルーム・バーグのワシントン支局論説委員室を訪問した際には、7人を相手に1時間以上の議論になった。もちろん、記事も充実した長いものになった。
こんな稲嶺市長にエールを送るかのように、『ニューヨーク・タイムズ』(5月15日付)は、加藤典洋氏の「沖縄人たちの闘い/"The Battle of the Okinawans"」という論考を掲載した。日本語で執筆された原稿が英訳掲載され、ネット上に酒井泰幸・乗松聡子両氏による日本語訳があったので、ぼくはそれを読んだ。
論考は琉球王国時代、琉球処分、日本本土の盾となった第二次世界大戦末期、アメリカの軍事占領下時代、日本へ復帰後の日米軍事同盟下と、苦難と忍従の歴史をつづる。そして竹富町の教科書採択問題で繰り広げられた、国を相手にしての竹富町教育長、沖縄県教育長の闘いを紹介する。霞が関まで呼びつけられても屈することなく抵抗をつらぬき通したこの2人にくわえて、「政府の移設計画を阻止するかもしれない」稲嶺市長。彼らが示しているものは、強大な権力の前に長く服従させられた人々が備え持つ力強さであり、沖縄の人々は日本政府に対して、強力な決意をもって本当の抵抗とはどういうものかを思い知らせることになるかもしれないという内容である。
これを読みながらベトナム戦争を思い浮かべた。大国アメリカを相手にベトナムの人々の執拗な抵抗を記憶しているだろうか。アメリカは当時の最新鋭の軍備をもってしても最終的には撤退せざるをえなかった。アメリカもひどく傷ついたが、自業自得だった。冒頭にあげた世論調査の数字をもう一度見るがいい。日本政府には覚悟があるのだろうか。
稲嶺市長の行動を注視している間に、こんな報道があった。辺野古への移設計画で、来年に予定していた本体工事の着工を今年の秋に前倒しする検討に入ったという。この11月には沖縄県知事選挙が行われる予定である。移設反対派の知事が誕生したら、また厄介なことになる。その前に着工してしまいたいというのが政府の本音である。まさに世論調査を念頭においての政府の動きといえる。
そんな折り、仲井真知事が6月中に進退を表明するという報道(5月31日)や、翁長雄志[おなが たけし]那覇市長が知事選に出馬意向といった報道(6月4日)が流れ、せわしなくなってきた。翁長氏は、辺野古移設には一貫して反対してきているものの、純然たる保守政治家である。立候補すれば当選の可能性が高いだけに、仲井真氏同様、当選後に寝返ることがないか見極めなければなるまい。いずれにしろ、政府の今後の動き、県知事選挙の動向から眼を離すわけにはいかない。そして沖縄で台頭しつつあるという「米軍はよき友人」をスローガンとする「反・反基地」勢力の動きも。 (2014/06)
<2014.6.13>