いま、思うこと31 of 島燈社(TOTOSHA)

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いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第31回/工藤茂
生涯一裁判官

 この4月14日、関西電力高浜原発第3、4号機の再稼働差し止め仮処分申請について、福井地裁の樋口英明裁判長は再稼働差し止めを命じる仮処分を決定した。
 原子力規制委員会による新規制基準を「緩やかすぎ、これに適合しても安全性は確保できない」と否定したうえで、「国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうとの見通しのもとにこのような対応は成り立っているといわざるを得ない」と、原子力規制委員会の姿勢を断罪した。つまり、安倍首相や菅官房長官がさかんに口にしている「世界一の安全基準」をバッサリと切って捨てたのである。
 関西電力は高浜原発第3、4号機について、原子力規制委員会による2月12日の新規制基準適合の判断をうけて、今年11月の再稼働を予定していたが、この判決によって再検討を強いられることになった。関西電力は判決を不服として異議を申し立てたが、仮に認められるとしても半年から1年を要することになり、それまでは再稼働できないことになる。

 およそ1年前の5月21日には、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め判決があったが、こちらも同じ福井地裁の樋口裁判長の担当だった。新規制基準に基づく再稼働の審査をうけていた大飯原発第3、4号機について、住民側が運転差し止めを求めた訴訟で、2011年3月の福島第一原発の事故後では、運転差し止め訴訟のはじめての判決だった。
 樋口裁判長は、「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値をもつ」と述べ、さらに「関電は、原発の稼働が電力供給の安定性につながるというが、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考える」とした。そのうえで、「大飯原発の安全技術と設備は脆弱なものと認めざるを得ない」と地震対策の不備を認定し、運転差し止めを命じた(『朝日新聞』web版、2014年5月22日付)。
 原告団は「丁寧に読めば福島の犠牲があったから出た判決だと分かる。人間の生命を尊重することが社会の根幹で、これがないと日本は成り立たないとはっきり言っている」と評価した。
 この判決が出た瞬間の福井地裁前の沸き立つ様子は、ドキュメンタリー映画『日本と原発』(河合弘之監督)のラストシーンを飾った。『日本と原発』は、この裁判の原告側弁護団共同代表のひとりである河合弁護士本人が自費を投じて監督・製作した作品である。
 原発の専門家や有識者へのインタビューを効果的に盛り込みながら、原発の問題点を誰にも理解できるような作品に仕上げられ2014年秋に一般公開された。さらに2015年2月の伊方原発運転差し止め訴訟や4月の泊原発廃炉訴訟では証拠として提出され、30分間ではあるが両法廷で異例の上映もおこなわれた。河合監督の念頭には、この映画のこうした利用法も当初からあったようだ。

 さて、このふたつの判決の原点ともいえる判決があった。2006年3月24日、金沢地裁の井戸謙一裁判長は、北陸電力志賀[しか]原発2号機の運転差し止めを命じる判決を出している。判決内容は、北陸電力の想定をこえる地震によって原発は事故を起こし、住民らが被曝する可能性があるという警告を発するもので、福井地裁判決までは、この金沢地裁判決が原発の運転差し止めを命じた唯一の判決だった。しかし被告の北陸電力はただちに控訴し、2009年3月18日の控訴審判決で一審判決は取り消され、最高裁が住民の上告を棄却して終わっている。
 金沢地裁判決から5年たち、大地震と津波によって福島第一原発は全電源喪失、核燃料はメルトダウンを起こし、事故から4年が過ぎても融けた核燃料の行方すら分からない有様である。井戸裁判長は退官後の2011年に弁護士となり、今回の福井地裁の訴訟でも「福井から原発を止める裁判の会」の一員として原告側を支えている(『東京新聞』2014年6月3日付)。

 ところで、今年の4月14日の福井地裁判決のニュースが報じられた直後、気になるツイッターを目にした。
 「判決を下した樋口裁判長は大飯原発の運転差し止め判決を出した後、1日付で名古屋家裁に異動したが名古屋高裁が福井地裁判事職務代行を発令し、引き続き担当した」とあった。
 なにがなんだか意味が分からない。『東京新聞』(2015年4月15日付)に樋口裁判長についての紹介があった。しかも顔写真つきである。彼は4月1日付で福井地方裁判所から名古屋家庭裁判所へ異動となったが、「異動前に担当していた案件を引き続き審理する職務代行の手続きを取り、自ら決定を出した」とある。
 瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書、2014年)には、「日本の裁判所は事務総局中心体制であり、それに基づく、上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキーである」とあって、相撲番付のように決められているという。瀬木氏は33年間裁判官を勤めたのち、2012年に明治大学法科大学院専任教授へと転身した人物で、裁判所の内情に詳しくないはずはない。
 以下、『絶望の裁判所』による。ピラミッドのトップにくるのは最高裁長官であり、14名の最高裁判事がそれに従う。次が8名の高裁長官で、東京、大阪、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松の序列がある。そして大都市の地家裁所長、つづいて東京高裁裁判長、大阪高裁裁判長などとこまかく序列がある。これとは別に事務総局のトップである事務総長は最高裁長官の直属の部下であり、最高裁判事、最高裁長官への確実なステップだという。
 こういった裁判所人事を念頭においたうえで、改めて樋口裁判長の紹介記事を読み直してみる。30年以上のベテランとある。1983年に判事補となって以来、福岡地裁、静岡、宮崎、大阪の各地裁をへて2012年に福井地裁、2015年4月に名古屋家裁へ異動。現在62歳である。定年まで3年を残しての地裁から家裁への異動は、審理からはずされての左遷とみるのが自然であろう。
 記事には過去に関わった判決の要旨も簡単に触れられているが、その判断はまともすぎるほどまともで、すっきりしたものである。日本国憲法第76条第3項には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるが、この条文にあるがまま、出世など念頭になく、腹をくくったひとであることが理解できる。
 『週刊現代』(2015年4月28日号)に先の瀬木氏へのインタビューがある。「職務代行とは裁判事務の取扱上さし迫った必要があるときに、ほかの裁判所の裁判官が代理で裁判官の職務を行うことができるというものです。このケースだと、樋口さんが『これは自分でやるから職務代行にしてくれ』と強く主張したのでしょう。これまでも彼が審理してきたわけですから、強く希望したのであれば、裁判所としても代行を拒否するわけにはいかないはずです」とある。
 そして『日刊ゲンダイ』web版(2015年4月1日付)による。樋口裁判長が名古屋家裁に異動することを知った関西電力は、「裁判官忌避」という手段で判決の引き延ばしをはかったという。裁判長が異動すれば判決も変わると読んだのだ。しかし「裁判官忌避」というのは裁判長に失格の烙印を押す行為で、裁判長相手に喧嘩を仕掛けたも同然という。河合弁護士の講演を聞いた知人によれば、自分のようなヤクザな弁護士がすることはあっても、大企業の顧問弁護士などは決してしないことになっている行儀の悪いことで、関電側も恥も外聞もなく必死だったと語っていたという。樋口裁判長は怒り「異動はするが、この訴訟だけは俺がやる」と職務代行手続きを取ったのである。樋口裁判長は闘うひとだった。

 日本政府は2030年の電源構成目標として原発20〜22%を維持する方針で、樋口裁判長の判決などどこ吹く風である。それでも3.11以降、原発に関する司法の風向きは変わったのではないかという期待は、わずかながらもあった。
 そんな4月22日、鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)は九州電力川内原発1、2号機の運転差し止め仮処分申請を却下した。原子力規制委員会による新規制基準に不合理な点は認められないとして、福井地裁が否定した新規制基準を合理的と認めたのである。事故発生時の避難計画については規制基準にはふくまれていないが、それも現時点での合理性・実効性を認め、噴火の危険性については、「カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い」と一蹴した。
 この鹿児島地裁判決について『東京新聞』は独自に取材、検証をおこない、4月27日、5月5日付紙面に大きく掲載した。京都脱原発弁護団事務局長の渡辺輝人弁護士は「責任回避そのもの。裁判所は安全面を評価できない、国で必要な水準を決めてくれと、判断を放棄しているのと同じだ」と切り捨てたほか、おもな論点とされた避難計画や噴火リスクについても大きな疑問が浮かび上がってきた。
 鹿児島地裁は、県が調整システムを整備し、迅速な避難先の変更に備えていると認定したが、県への取材では、風向きの入力で避難先施設の候補がリスト化される程度のもので、一件一件避難先へのこまかな確認が必要で、混乱のなかで対応できるかどうか心許ないものだった。
 また、巨大噴火の判断材料とされた当の学者たちは、事務方から説明を受けただけで意見を求められず、問題を指摘する機会も与えられなかったと答えており、現実問題として、ほとんどの学者は大噴火はあると考えていて、それが10年先か1,000年先か分からず、危険がないように判断されるのはおかしいと答えている。
 川内原発1、2号機は昨年9月、原子力規制委員会によって新規制基準適合が認められている。九州電力は7月に1号機の再稼働の予定だが、こんな判決によって一歩現実に近づく形となってしまった。
 住民側は地裁決定を不服として福岡高裁宮崎支部に即時抗告したが、8割のひとが国の原発優先政策の変更を求めているという民間団体「安全・安心研究センター」のアンケート結果も報道された。さて福岡高裁は、住民、国の政策のどちらを向いた判断を下すのであろうか。

 やはり3.11はなかったのであろうか。川内原発は高裁判決前に再稼働され、高裁でも地裁判決支持となるかもしれない。高浜原発の福井地裁判決はいずれ上級審で覆されるのかもしれない。もちろん、樋口裁判長はこれ以上高浜原発訴訟の審理に関わることはないだろう。
 『絶望の裁判所』には、こんな絶望的な記述がある。
 「良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くから、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまるところを知らないということになりやすい」
 「私が若かったころには、裁判官の間には、まだ『生涯一裁判官』の気概があり、そのような裁判官を尊敬する気風も、ある程度は存在したように思う。(中略)しかし、二〇〇〇年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風をもほぼ一掃してしまったように感じられる」
 いや、それでも少数派ながらも井戸裁判長や樋口裁判長のような裁判官はまだいるはずだ。ささやかな望みだが、期待することにしよう。  (2015/05)




<2015.5.11>

工藤31/01.JPG映画『日本と原発』チラシ

工藤31/02.JPG瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書、2014年)

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工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon