いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第37回/工藤茂
イヤな動き
9月19日未明、安全保障関連法が参議院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。それにしても、17日の参議院安保特別委員会での採決はあまりにも乱暴なものだった。与党はすでに成立したこととして澄まし顔だが、録画映像でも明らかなとおり、鴻池委員長の声などまったく聞こえず、採決が行われたことを示すものはなにもない。
議事録の未定稿でも「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」とされていたが、10月11日に参議院のHPで公開された議事録では、「可決すべきものと決定した」と加筆されていた。すべて与党のみの判断だというから呆れるしかない。これで決まったものとされるのだとしたら、本当にとんでもない国になったものである。
さて、参議院安保特別委員会採決の直前のこと、『東京新聞』(2015年9月16日付)の「こちら特報部」に「安保論議 護憲派も欺瞞」という大きな見出しのインタビュー記事が載った。ほかの見出しもあげてみると、「法哲学者 井上達夫教授の『筋論』」「自衛隊 既に解釈改憲■安倍政権 幼稚で愚か」「9条削除で立憲民主主義を」「危うい憲法形骸化■改憲プロセス受けて立て」とある。
インタビューを受けているのは、東京大学大学院法学政治学研究科教授井上達夫氏である。「日本国民を守る」と言いながらアメリカの国益優先の安倍政権、憲法9条を国是としながら「解釈改憲」の自衛隊の存在を容認してきた護憲派、双方とも欺瞞だと述べる。以下、文意を損なわないようにまとめてみた。
まずは保守派について。「米国が日本を守っているのは、米国にとっての戦略的拠点を維持するためである。したがって集団的自衛権解禁に踏み切らなくとも、米国は日本から身を引くことはない。歴代政権の交渉力の不足を補ってきたのが憲法で、専守防衛の範囲なら合憲、集団的自衛権は違憲という内閣法制局の解釈のもとで、野放図な対米協力を防いできた。安倍政権はその憲法的カードを捨てようとしている」
つぎは護憲派である。専守防衛の枠内の自衛隊は合憲とする「修正主義的護憲派」について。「1946年の帝国議会で、当時の吉田茂首相は、自衛のための戦力も放棄したという意味だと答弁している。つまり専守防衛の範囲という解釈自体が解釈改憲そのものである。解釈改憲の自衛隊を容認しておきながら、集団的自衛権は許されないというのはダブルスタンダードだ」
自衛隊と安保の存在自体を違憲とする「原理主義的護憲派」について。「自衛隊と安保を廃棄しようという努力がみられない。矛盾解消のために改正しようともしない。自衛隊を違憲だと主張し続けることが専守防衛の枠内にとどめておくことができると思っていて、それを『大人の知恵』と正当化している。自衛隊を法的には認知しないが、ことがあれば命を張って自分たちを守れと言っているに等しい」
そして井上氏は「9条削除論」を提唱するのだが、ここでそこまで深入りするつもりはない。ただ、護憲派のもつ欺瞞性は以前から言われ続けてきたもので、「9条削除論」をのぞけばとくに目新しいものではない。
それからひと月。同じく『東京新聞』10月14日付の「こちら特報部」には、「平和のための新9条論」「『解釈の余地』を政権に与えない」「『専守防衛』明確に」などの見出しが躍った。リード文には「集団的自衛権行使も容認する九条の惨状に思いをいたせば、(中略)解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新九条である」とある。ジャーナリストの今井一氏ほか、小林節氏、伊勢崎賢治氏が登場し、先の井上氏の「9条削除論」とならぶそれぞれの「新9条論」が紹介されているが、各人の提案には触れない。
どうしていまなのか。今井氏がこたえている内容をまとめる。
「自民党の高村副総裁は『自衛隊も創設当初は違憲と言われた。憲法学者の言うことを聞いていたら日本の平和はなかった』と繰り返した。『自衛隊は合憲』という歴代政権の主張も、9条を素直に読めば無理がある。それを容認してきた護憲派の欺瞞性が、安保法の違憲性を無視する言い訳に使われたのだ。立憲主義を立て直すことが先決という危機感から、いま解釈の余地のない『新9条』論が高まっている。9条は人類の知恵。実現する努力は続けたいが、もう自衛隊の存在を曖昧にすることは許されない」として、今井氏は専守防衛の自衛隊を明記した新9条案を構想する。
保守派の小林氏は30年来の改憲論者で、集団的自衛権も容認してきた。長いこと自民党のブレーンもつとめ、つぎのような発言をしていた。
「9条が今のように、何を言っているのかわからない状態だから、政府が露骨に憲法を無視する、都合のよい法解釈をする。(中略)目指すべきは、『侵略戦争の放棄』『自衛権と自衛軍の保持』『海外派兵の厳格な条件』を憲法に明記することだ」(『白熱講義! 日本国憲法改正』〈ベスト新書、2013年〉)
彼は6月の衆議院憲法審査会に参考人として呼ばれ、安保法制は「違憲だ」と言い切った。現行憲法のままでは無理だと言っているのであって、発言を翻したわけではない。それ以降、安保法制反対集会には引っ張りだこだが、改憲論者である。最近は憲法論よりも「民主主義の危機」と「安倍政権打倒」といった発言が中心になっていたが、『東京新聞』が再び改憲論の土俵に引き戻してしまった。しかし、かつてのような発言からは大きく変わり、「集団的自衛権行使は認めない」となっている。憲法を理解できず、権力を振り回す駄々っ子のような安倍政権に、相当な危機感を覚えたのであろう。
伊勢崎氏は自衛隊の海外派遣活動を前提とする発言が多いが、以前はそうではなかった。「私は『平和貢献には軍を出す以外に色々な方法があり、平和憲法をもっている日本は敢えて自衛隊を出さないことでそのイメージを更に強化し、他国にはできない貢献ができる』という意見なのです」(「マガジン9条」2009年4月6日)
しかしながら、2009年のソマリアへの海上自衛隊派遣は戦後最大の違憲派兵だったにもかかわらず、世論調査では9割が容認、しかも6割が9条護憲という結果に呆れ果て、「日本人に9条はもったいない」と敗北宣言する。そして軍法も整備されることなく、「違憲」のまま戦争に送られる自衛隊をなんとかするには改憲しかないと、「新9条派」へと変わった。でも、彼がほかで書いたものなどを読むと、自衛隊を海外へ出すのなら憲法を変えて戦闘に加わる覚悟をしろと主張しているのであって、基本的には自衛隊は海外に出すべきではないと言っているように感じられる。
いずれにしろ、現状が憲法9条を大きくこえてしまっている。憲法9条を変えるべきだという動きである。ぼくはこういった動きには賛同したくない。とんでもない条文ならやむを得ないが、理想とする素晴らしい条文である以上、現実を条文に近づける努力をすべきである。それは時間を要するかもしれないが、政権交代によって可能と信じたい。ところで、いまどうしてこうした動きになるのか、今井氏の発言でも納得できない。
安倍首相は憲法改正を目指していたのである。それを目論んではみたものの、当面は困難と判断して解釈改憲へと舵を切った。それすらも多くの反発を招くような、相当強引なやり方でしか達成できなかったのである。
安倍首相は改憲を諦めたわけではない。チャンスをうかがっているだけである。「新9条論」といった動きにも鈍感なはずがない。自分の改憲は駄目で、こういう改憲ならいいと言うのかと眼を剥くかもしれない。そして「新9条論」を取り込んだ新たな改憲を、マスメディアを動員して煽るのだ。これはうまくいく可能性もあって非常に危険である。安倍政権のもとではこの問題には触れるべきではない。
9月20日、「『新9条』提唱について考える」と題した公開討論会が開催された。ネットで得た情報では今井氏は主催者側で、伊勢崎氏が張り切っていたくらいで、あまり盛り上がった雰囲気でもない。登壇した小林氏が「憲法改正が推しているならともかくとして、いま、そんなことを議論しているときじゃない。まず安倍政権を倒さないと話にもならない」とたしなめる場面もあったようだ。
まったく同感である。まずは安倍政権打倒、安全保障関連法破棄であろうが、辺野古新基地建設阻止が最優先かもしれない。裁判の結果を待たずに大村湾の埋め立てが始まってしまう。なにか別の手立てはないものか。辺野古断念に追い込めば安倍首相は即辞任となるだろう。そして次期政権も権力を振り回すような真似はできまい。しばらくは不安定な政治状況が続くかもしれないが、アメリカ政府と正面から向き合えるような政権をつくるにはそれもやむを得ない。その間、自衛隊の海外派遣はやめること、憲法改正の話は政治が落ち着いてからのことにしてもらいたい。
このところ、憲法9条のTシャツを着て歩いていたら警官に呼び止められたとか、「平和がだいじ」と書かれたトートバッグを手に歩いていたら警官の職務質問を受けたという話をツイッターなどで読んで驚く。戦前の特高警察復活の兆しであろうか。これもまたイヤな動きである。 (2015/10)
<2015.11.7>
国会議事堂前にて(2015/09/14)/写真提供・筆者
小林節氏(2015/10/08 憲政記念館にて)/写真提供・筆者