いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第35回/工藤茂
世界は見ている──日本の歩む道
安倍晋三首相がとなえる「積極的平和主義」。これはだれかからのパクリで、しかも本来の意味とは違うという話は、新聞やネット情報をとおして知っていた。しかしながらぼくの関心は、安倍首相はなにをするつもりかというところにあったため、本来の提唱者のことや意味など、積極的に調べようともしないままに放っていた。
そして、いよいよ当のご本人が日本へやって来るという報道を眼にした。安倍首相と直接話し合うために来るのなら面白いが……などと、ほとんどひやかし半分に受け止めていた。
『東京新聞』(2015年8月20日付)に、写真入りの大きな記事が2本掲載された。田原総一朗氏と一緒の写真もあったので、ひやかし半分の気分が倍増してしまったというのが正直な気持ちだった。それでもご本人の誠実そのものといった表情にひかれ、思わず読み始めることになった。
ヨハン・ガルトゥング氏というノルウェーの政治学者で、「平和学の父」とも呼ばれているという。85歳になる。深いしわが刻まれた顔が印象的だ。『東京新聞』では独自にインタビューをしていた。
憲法9条をもつ日本には以前から関心をもっていたというが、ノルウェーにいながらどうしてそんなに日本の状況にくわしいのか不思議になるような内容だった。そのインタビューは、日本に対するこんな懸念から始まる。
「おそらく安倍首相の言う『積極的平和主義』は日米の軍事的な同盟をベースとしており、日本が米国の戦争を一緒に戦うことになる。私の『積極的平和』と中身は違う」
ガルトゥング氏は1966年の論文で、たんに戦争のない状態を「消極的平和」とし、貧困や差別など構造的な暴力のない状態を「積極的平和 (positive peace)」と定義した。その後、この定義は世界の平和研究に大きな影響をあたえ、平和学の確立につながる。ちなみに 日本政府は安倍首相の「積極的平和主義」を proactive contribution to peace と英訳している。
ガルトゥング氏が定義したpositive peace という語に翻訳者が「積極的平和」という日本語をあて、それと似たような日本語を安倍首相が別の意味に使っているということになる。英字表記が異なっているのだから、ガルトゥング氏にとってはかかわりのないこととも思えるが、詳しく事情を説明した日本人がいるのであろう。
ガルトゥング氏へのインタビューを紹介してみよう。安倍政権がすすめる安保法案については、もちろん否定的だ。
「(成立すれば)日本が米軍とスクラムを組んで戦争をすることになる。そうすれば、日本がどこかの国から反撃され、最終的に大きな災難をもたらす。この法案は『非安全保障法案』だ。(中略)法案の影響で、東アジアに軍拡競争が起きる。軍拡競争は多くの場合、戦争につながる」
日本の対米重視の外交について。
「残念ながら、日本の戦後七十年は米国のイエスマンで、失われた七十年だった。東アジアの近隣諸国との関係づくりに創造性がなかった」
安倍首相の戦後70年談話については、スローガンではなく中身が重要だと指摘したうえで、次のような具体策を述べている。
「『(日本は)将来のアジアの平和構築に向け、東アジアでヨーロッパのような共同体をつくるために主体的に尽力すべきだ』と提言する。その本部機関は、地理的に沖縄に置くのが最適だとした」
関心を寄せているという憲法9条について。
「現段階で専守防衛は必要。(九条二項前段の)戦力の不保持は今は現実的ではないが、遠い未来において、世界で実現してほしい。(そのうえで、戦争放棄をうたう九条一項の理念は)全世界に採用されるべきだ」
ガルトゥング氏は19年振りという沖縄を訪れ、辺野古にも足をのばした。米軍基地と闘いの現場を目撃したせいか、『琉球新報』(2015年8月 23日付)に載った言葉は過激さを増していた。
「安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」
さらに集団的自衛権の行使については「時代遅れの安全保障」、「北東アジアの平和の傘構想を沖縄から積極的に提起していくべきだ」と訴えた。
ぼくはこれらの提言に素直に納得するが、ノルウェー在住の知識人からこのような指摘がなされたことに不意を突かれたような気分になった。まさに、いま安倍首相がやっていること、これからやろうとしていることは、逆行している。新聞やテレビで発表前から大騒ぎだった戦後70年談話にしても、けっしてアジアの隣国に向けた内容にはなっていなかった。これが村山談話とは異なる違和感のもとのように思える。
ガルトゥング氏の提案を読み、1冊の本を思い起こしていた。
ぼくがいつも頼りにしている政治学者に豊下楢彦氏がいるが、氏は『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫、2012年)において、高坂正堯[こうさか まさたか]氏の「海洋国家日本の構想」(『中央公論』1964年9月号、『海洋国家日本の構想』中公クラシックス、2008年所収)を紹介している。高坂氏といえば、1980〜90年代はよくテレビで見かけた保守派の論客だが、亡くなってすでに20年近くになる。
「海洋国家日本の構想」が発表されたのは東京オリンピック開催の年だが、アメリカがベトナム戦争に突入して戦争経済にあえぎ、中国が第三世界に影響力をひろめ核保有国になっていく時期でもあった。
高坂氏の基本認識は、「中国の台頭によって、防衛・外交をアメリカに依存するという戦後日本の政策の前提が崩れ始めている」「中国が軍事的侵略意図を持たない平和国家であるかどうかは別として、中国の指導者は高い代償を払ってまで軍事的侵略をすることを避けるだけの知恵を持っていることは明らかだ」というものだった。そして中国との緊張緩和策として、米軍基地はすべて引き揚げてもらい、長期的には日米安保条約はないほうがよいとまで述べ、軽武装による自主防衛に基づいた外交能力が、決定的な意味をもつと説いた。
これがのちに「御用学者」といわれた高坂氏の提案であることに驚くが、論壇デビューまもない30歳だった。もし、当時の池田勇人首相がこれを見逃すことなく真正面から受け止め、大胆な決断をもって外交政策を転換していたとしたら、いまのような日本ではなかったはずだ。まさに失われた50年である。
高坂氏に「理想主義者」と言われた坂本義和氏は左派の政治学者だったが、彼もここに並べて検討してみたくなるような提案を行っていたことも記しておきたい。
それにしても、いまの日本はどうだろうか。「軽武装による自主防衛に基づいた外交」とは対局へと向かっている。第1次安倍政権で防衛庁を防衛省に昇格させ、第2次安倍政権になって防衛費は右肩上がりに増え、2016年度は5兆円をこえる。いったいなんのための軍備なのか。最新鋭兵器を備えたアメリカがやったことといえば、ベトナムでの敗戦と中東での大量殺戮と大混乱を招いただけだ。その中東の混乱はもう手遅れの様相である。
日本は2012年に尖閣諸島のうち3島を国有化して以来、中国との関係悪化にひた走る。そして中国が軍備強化すればさらに中国脅威論を煽る。中国の鼻先、宮古島の軍事要塞化、与那国島にはレーダー基地計画をすすめる。中国の「抗日戦争勝利70周年」式典には多くの国が首脳級の参加を見送ったが、外相や閣僚、大使級の参加までも見送ったのは日本とフィリピンくらいで、外交的には異常なことだという(天木直人氏、2015年9月4日付メルマガ)。安倍首相には、せめて高坂氏のような認識に立って、中国に尖閣諸島の再棚上げを申し入れるくらいの度量はないものだろうか。そこまで戻さないことにはなにも始まらないだろう。
1990年にマレーシアのマハティール首相が提唱した東アジア経済グループ、そして2009年に民主党の鳩山由紀夫首相(いずれも当時)の東アジア共同体構想などもあったが、どれも頓挫してしまった。構成国については議論のわかれるところであろうが、東アジアにもEU同様ではなくとも、いま以上のつながりが必要であることは疑いがない。
ここで、前回にもふれた国民の70〜80%にものぼる多くのひとがいまの日米同盟を肯定しているという問題に触れなければならない。マハティール氏や鳩山氏の構想が頓挫した理由は、アメリカの牽制によるものだった。つまり、日米同盟最優先では自主的な外交さえもできない。
カナダはアメリカの重要な同盟国でありながら、ときにはアメリカと一線を画す。アフガンには派兵したが、ベトナム戦争にもイラク戦争にも加わらなかった。またフィリピンは、一度米軍基地を撤退させたのち、22年ぶりの再駐留にあたっては協定を改め、常駐を認めていない。アメリカは重要な国だが、適度な距離は必要である。
さらにもうひとつ、いまの安倍政権を倒したとして、新たな政治を託すべき人物も政党も見当たらない。これは深刻な問題である。一時、小沢一郎氏に期待する動きがあったが、マスメディアによる執拗な小沢叩きによって潰えた。ウィキリークスによって、この一連の動きがアメリカの指示によっていたことが明らかにされたが、傷つけられたイメージはもとに戻らない。
2カ月ほど前には、憲法学者小林節氏を首班とする政権構想も聞こえてきたが、いつのまにか消えた。維新の党の分裂によって新たな動きがありそうだが、期待する方向に逆行するものでしかない。民主党の分裂なしには期待のもてる動きにはならないだろう。
8月30日午後、安保法案の廃案、安倍政権の打倒を訴え、12万人ものひとが国会議事堂周辺にあつまったほか、全国300箇所で同様のデモがあった。思うところはそれぞれなのだろうが、まずは安保法案を廃案へと追い込み、安倍政権を倒す。そしてつぎつぎに立ち現れる混乱を、ひとつひとつ乗り越えていくしかないのだろうと思う。
映画監督のオリバー・ストーン氏や言語学者のノーム・チョムスキー氏ら海外の著名人74人が辺野古新基地建設に反対する声明を発表した(『沖縄タイムス』2015年8月23日付)。賛同者はその後109人になったが、その声明文の末尾は「世界は見ている」と結ばれていた。ガルトゥング氏へのインタビュー記事を読み実感したのも、まさにその言葉だった。──世界は見ている。日本には、アメリカと中国という軍事大国のあいだに立って、果たすべき重要な役割があるはずである。必要なものは軍備ではない。 (2015/09)
<2015.9.6>
豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫、2012年)
国会議事堂前で見かけた法被[はっぴ]姿のひと(2015年8月30日)/写真提供・筆者
歩道決壊直後。国会議事堂正面、両側10車線の車道をゆく。(2015年8月30日)/写真提供・筆者
国会議事堂正門前にあつまったひとびと(2015年8月30日)/写真提供・筆者