いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第38回/工藤茂
外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
佐藤優氏という作家、元外務省主任分析官がいる。外見もなかなかの強面だが、ぼくと同じ方角を向いたひととは思っていないので、彼の書いたものを積極的に読んだことがなかった。彼は『東京新聞』のコラムも担当しているが、あるときから沖縄について書いたものは見逃せなくなってきた。
「あるとき」というのは、おそらく今年の初めくらいであろう。彼が沖縄について書いたものが信頼に足ることに気づいた。そのコラムでは、彼の母が沖縄県久米島生まれであること、自分を沖縄系日本人とも書き、また沖縄の言葉についても解説してくれていた。
ある日、図書館をぶらつきながら本棚を眺めていたところ、偶然佐藤氏の文庫本に眼が止まり、そのまま借りてきた。『母なる海から日本を読み解く』(新潮文庫、2009年)、『佐藤優の沖縄評論』(光文社知恵の森文庫、2014年)の2冊である。どちらも沖縄に関するものだが、一気に読み終えたときには、沖縄に限りぼくと同じ方角を向いていることを確信した。もちろん彼の言説すべてに同意するわけではない。彼は自分を「右翼」「国家主義者」と書いているが、この2著ではその匂いをまったく感じることはなかった。
『母なる海から日本を読み解く』には出鼻をくじかれた。漠然と米軍基地中心の話だろうと思っていたのだが、それは久米島の歴史から始まった。母の故郷久米島はかつて琉球王朝とは別の独立国家であり、やがて首里王府の進攻をうけ統治下に入っていく過程を、久米島出身の仲原善忠の著作に寄り添いながらすすめていく。
まったく予期しない重要な事実を知らされて戸惑いを覚えた。久米島に限ったことではない。首里王府は16世紀には、北は奄美諸島から南は八重山諸島までを服属させ、中央集権体制を確立する。琉球世界のなかに、たんなる地形的な離島差別とは異なる、日本本土と沖縄と同様の縮図があることを提示されて困惑したのだが、これは今回の本題ではない。
『佐藤優の沖縄評論』は『琉球新報』連載の「ウチナー評論」をまとめたものだが、このなかで外務省沖縄出張事務所と沖縄大使について触れている。
「これは過去の話ではない。外務省の沖縄出張事務所には、極秘、極秘限定配布などの極めて強度な暗号をかけることができる通信施設がある。モスクワやワシントンの日本大使館と同じ、秘密通信施設が置かれている。なぜ、日本国内であるにもかかわらず、このような防諜体制を外務省はとっているのだろうか? 外務省はどういう目つきで沖縄県民を見ているのだろうか? 旧日本軍と現外務省の沖縄に対する目つきが似ていると筆者は感じる」
さらに別の項では尊敬する先輩として、ある沖縄大使について3回にわたって書いている。尊敬する先輩なのだから実名も出してのことである。
日本国内の特命全権大使の存在と暗号による通信に驚き、さらにネットで調べてみた。「『日本人沖縄大使』をただちに廃止せよ」(『週刊朝日』2010年3月12日号)という記事を引用しているブログがあったので、そこからまとめてみる。
沖縄大使とは、在沖米軍にかかわる事項などについての沖縄県民の意見、要望を聞いて日本政府に伝えるとともに、米軍との連絡調整をすることを職責として、橋本龍太郎元首相の肝いりで設けられたポストである。1997年2月に初代大使が着任し、現大使は11代目、水上正史氏。外務省の正式文書では「特命全権大使(沖縄担当)」、あるいは「沖縄担当大使」となっているようだ。佐藤氏によると外務省のエース級の人物があてられるという。
初代大使着任時の沖縄県知事大田昌秀氏は、次のようにコメントしている。
「外務省に限らずとも、米軍や米国に言いたいことがあったら僕は直接どんなことでも伝えることができました。経験から言うと、外務省は沖縄の要望を米国に伝えるのではなく、むしろアメリカ側の言い分を聞いてくれという人たちばかりでしたね。県庁に出向してきた外務省職員が私に基地受け入れを迫ったことがありますし、ホワイトハウスの安全保障担当者との面会が外務省の横やりで中止になったという嫌な思い出もあります。(沖縄大使が)何のためにいるのかわかりません」
別のサイトでの佐藤氏の発言によると、たとえ通信データを盗んだとしても、スーパーコンピュータで1年半もかけないと解読できないような暗号が、沖縄出張事務所と本省間でやりとりされているという。さらに次のよう続けている。
「沖縄大使が着任した90年代後半は、沖縄が基地返還のアクションプログラムをつくって抵抗し始めた時期でした。沖縄大使とは、地元の声を聞くという名目で沖縄の声を吸収しながら日米の利害を調整し、米軍への直接行動を阻むために外務省がたくらんだ米軍基地永続のための仕組みで、沖縄はまるで植民地扱いです。そんな沖縄大使のポストは早くなくなった方がいい」
これでは沖縄出張事務所というのは大使館で、大使もいる。しかも暗号を用いて本省と情報のやりとりをしているのだ。国内でありながらも、沖縄県だけには絶対漏らしてはならない機密情報があることになる。他県にはそういったものがないのだから、異様なこととしか言いようがない。
しかしながらこの10月、米軍普天間飛行場所属のオスプレイの佐賀空港への訓練移転を取り止めたことがあった。どうして沖縄県と扱いがちがうのかと翁長[おなが]知事は憤ったが、佐賀県の民意以前にアメリカ側が拒否していたという事実がある(『時事ドットコム』2015年10月28日付など)。また原発をはじめ核燃サイクル事業をとってみても、民意はまったく無視されて事業は維持の方向だ。そもそも安倍政権の政策は国民を向いていない。沖縄県に限らず民意などまったく考慮していない。これに加えて沖縄県の場合は大使館の存在があり、要するに「植民地」ということになるのだろうか。
11月4日午前6時20分ごろ、米軍キャンプ・シュワブゲート前に警視庁機動隊と沖縄県警の機動隊200人前後による、反対派市民約130人の排除が始まり騒然となった。沖縄県警の機動隊では警備が手ぬるいとでも言いたいのか、いよいよ東京の警視庁から機動隊が派遣された。
ちょうどその頃、ネット上に沖縄県幹部の話として、翁長知事がゲート前で反対派住民の先頭に立って座り込むという話が流れた。いつのこととは書かれていなかったが、いよいよ闘いが始まると思った。
その数日後の7日、ゲート前に翁長知事の妻、樹子[みきこ]氏が訪れた。そして「(夫は)何が何でも辺野古に基地は造らせない。万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している。ただし、まだまだ万策は尽きていない」と語りかけると、市民からは拍手と歓声が沸き上がった。さらに「世界の人も支援してくれている。これからも諦めず、心を一つに頑張ろう」と訴えた(『琉球新報』電子版、2015年11月8日付)。
まずは、翁長夫人が辺野古の現場で直接思いを表明したことはよかった。発せられた言葉には意気込みを感じさせるものがある。夫人は24日にも訪れ、「どんなに苦しくても闘わなくてはという思い。知事と一緒に闘ってください」と呼び掛けている。
2013年1月、東京の日比谷野外音楽堂では「NO OSPREY東京集会—オスプレイ配備撤回! 普天間基地の閉鎖・撤去! 県内移設断念!」が開かれ、銀座をパレードしている。沖縄県全41市町村の首長・議長が参加したが、そのとき先頭に立ったのが当時那覇市長・沖縄県市長会会長の任にあった翁長氏だった。
地元の民意を無視し続けるのであれば、辺野古でもこのときの再現となるだろう。いまは辺野古新基地容認の首長もいるが、それでも翁長夫妻を先頭に多くの首長・議長が集まり、これに反対派市民たちが、そして本土からの応援部隊も加わる。東京でも同時に抗議集会が開かれるはずだ。これまでも、沖縄選出国会議員や市町村議会議員が座り込みをしては機動隊にいとも簡単に排除されてきた。しかし、今度ばかりはどうなるか。沖縄県警機動隊は黙して見守るだけであろう。はたして東京からやって来た警視庁の機動隊はどう動くのであろうか。
12月2日、福岡高裁那覇支部にて辺野古代執行訴訟が始まり、翁長知事の口頭弁論も行われた。日本の司法は権力者には抗えないようだが、この裁判の結審が大きな節目になることは間違いないだろう。
これまで当たり前だったことが、年を追って否定される状況となり、いつのまにか少数派へと追いやられてしまったような気がする。安倍内閣の支持率は上がっている。財界のバックアップも強力だ。好戦的な雰囲気のなかで年が明ける。くれぐれも柳条湖事件の再発のような事態が起こらないことを祈りたい。 (2015/12)
<2015.12.11>
『母なる海から日本を読み解く』(新潮文庫、2009年)
『佐藤優の沖縄評論』(光文社知恵の森文庫、2014年)