いま、思うこと30 of 島燈社(TOTOSHA)

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いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第30回/工藤茂
沖縄よどこへ行く

 この3月23日、翁長雄志[おなが たけし]沖縄県知事は、沖縄防衛局に対して辺野古での一連の海上作業を停止するよう指示し、従わない場合は許可の取り消しもあることを通告した。日本政府が話し合いもなしに新基地工事の前段階となるボーリング調査を一方的に推し進めていることや、米軍が制限区域内の県側の立ち入り調査を許可しないことから、追い詰められての行動だった。
 翌24日は、全国紙のほとんどが1面トップで報じたうえ、これを契機にしたように、テレビも辺野古や沖縄の問題を大きく取り上げるようになってきたようだ。
 菅官房長官は「この期に及んで……、粛々と……」と繰り返し、防衛相、農水相は即座に「知事の指示は無効」と、作業を停止させることはなかった。それどころか、キャンプ・シュワブゲート前の機動隊員を倍増させて、全面対決の姿勢をみせるようになった。

 少々前のことになるが、『朝日新聞』web版(2015年2月14日付)に載った記事を読み、妙に感じたことがあった。辺野古新基地建設反対を掲げて当選した翁長知事だが、就任以来2カ月もたつのに一度も辺野古に足を運んでいないという。周囲からすすめられても、「偏った見方をされないだろうか」と答えたという。
 驚いた、というよりも、なにを言っているのか理解できなかった。稲嶺名護市長も反対派国会議員も何度も行っているし、ともに知事選挙を闘った「オール沖縄」の仲間ではないのか。
 記事によれば、保守系支持者のなかには反対派の抗議行動に距離をおくひとも少なくないため、翁長知事は直接の政権批判を封印しつつ、「環境整備」を優先させているのだという。そうはいっても、現実にはなかなか一歩を踏み出せず、国がすすめる強引な作業についても「遺憾だ」を繰り返すのみだったではないか。
 作業停止指示を出す直前の現地の雰囲気を伝えてくれるツイートを紹介しよう。
 「現地へ行くと、翁長雄志を信じて見守ろうという空気がとても強いんですよ。オール沖縄を分断するような発言は控えろとか、大和人に言われたくないとか。(中略)本当なら、デモ隊が県庁を囲んで突き上げてもおかしくないほど事態は切迫しているのに」(「世に倦む日日」氏のツイート、2月27日)
 「翁長知事に対する発言はとても今難しい。下手なこと言うと国側に利用されるから。でも、黙って待ってる余裕はないのは誰もジリジリと感じていることだろう」(三上智恵氏のツイート、3月13日)
 停止指示の会見は、こんな雰囲気のキャンプ・シュワブゲート前でも流され、みんなでカチャーシーを踊った。強引な国相手のこと、この指示が決定打とはならないことは承知のうえだ。それでも翁長知事が一歩を踏み出したことを喜んだ。とりあえず、国に対して無視できないボールを投げつけたということはできそうだ。これが翁長知事流のやり方なのであろう。
 ぼくは、先の翁長知事の言葉の真意を探るべく原稿を書きすすめていたのだが、途中で方針をかえた。「すでに腹は決まっている」という彼の言葉に望みを託すことにした。
 しかし、今後も国と県側のボールの投げっこが続くのであれば、そのあいだも作業はすすめられるだろう。また、いずれ法廷闘争に突入する可能性も否定できないが、それについて『噂の真相』元編集長岡留安則氏の面白い記事を読んだ。
 裁判の結果、沖縄県側が損害賠償を負う必要が生じた場合は、140万人の沖縄県民が1人1,000円ずつカンパすれば14億円になる。自腹を切ってでも闘うという民意を改めてアピールするというが、これは県知事選のときに、翁長選対関係者との間で合意していることだというのだ(『日刊ゲンダイ』web版、2015年2月16日付)。こんな動きがひろまったら全国からカンパが寄せられるにちがいない。ぼくもひと口乗らせていただく。

 いま辺野古新基地は本当に必要なものなのか。南シナ海に進出しつつある中国対策としてどうしても必要だという意見もあれば、緊急時の任務を担う海兵隊は辺野古には必要なく、かえって大きなリスクを呼び込むことになるという見方もある。
 読めばどれもなるほどと思え、素人のぼくには正確なところは分からないが、安倍政権は、辺野古新基地をアメリカへの貢ぎ物にしようと強気一点張りだ。沖縄はいずれ抵抗を諦め、長いものに巻かれるものと高をくくっているのだろうか。こんなやり方は沖縄のひとびとを、ますます反政権、反米へと硬化させる。
 アメリカ政府は沖縄、日本国内の嫌米・反米感情に一気に火がつくことを恐れているという。安倍政権が強硬になればなるほどメディアの扱いが大きくなり、沖縄県民のみならず、国民全体の反発を招いているようだ。それが沖縄県や名護市へのふるさと納税急増という形であらわれてきている。強硬なやり方は日米両政府にとって得策ではない。辺野古新基地を断念し、普天間基地の撤退しかないだろう。

 4月5日午前、那覇で翁長知事と菅官房長官の初会談が行われた。知事就任直後に自然な形で会ってさえいれば、これほどメディアの注目を集めることもなかったのだろうが、政府側が拒否しつづけてきたこともあって、部屋には入りきれないほどの報道陣が集まった。
 会談場所となった沖縄ハーバービューホテルは、米軍軍政下では「沖縄鹿鳴館」とも呼ばれた社交の場で、キャラウェイ高等弁務官の「沖縄の自治は神話だ」という自治権否定の言葉が発せられたところでもあるという。ここを会談の場に指定したのは菅長官だというが、翁長知事は高等弁務官と対峙する心づもりで会談に臨むことになったのではあるまいか。
 菅長官からは振興策や「辺野古断念は普天間基地固定化につながる」など通り一遍の発言しかなかったが、翁長知事からは「上から目線の粛々と進めるという言葉は問答無用と言われているように感じ、怒りが増幅するのではないか」「県民に大きな苦しみを与えておいて、世界で一番危険だから危険性除去のために負担しろということ自体が日本国の政治の堕落だ。新基地建設はできないと確信している」などと強い口調の発言が出ている(「琉球新報辺野古問題取材班」ツイートによる)。
 天木直人氏は、会談前のメルマガで「菅官房長官は逆立ちしても翁長知事には勝てない。役者が違う」と書き、会談後には「見事な横綱相撲だ」と評した。会談を終えた菅長官はホテル裏口から猛スピードの車で走り去ったという。
 さて東京へ戻った菅長官は、翁長氏は普天間の危険除去について具体案を示さなかったと述べている(『産経新聞』web版、2015年4月7日付)。どうやら翁長知事の言葉の意味を理解できなかったらしい。国が仕掛けた愚かな戦争のために無理矢理奪われた土地だ。国の責任で持ち主に返すのがスジだ、と言っているのだ。解決にはまだまだ遠い道のりだが、これからも翁長知事流のやり方に注目していきたい。

 翁長知事が4月中旬、日本国際貿易促進協会の一員として中国を訪問するという報道があった。一瞬琉球王国に回帰し、中国と独自外交再開かとも思ったが、そうではないにしろ、いま中国と良好な関係を築いておくことは新たな展開を切り開く可能性がある。さらに、国内や欧米の世論にもひろく訴えることも急ぐべきだ。日本外国特派員協会に問い合わせたところ、就任直後から翁長知事に会見を呼びかけているが、まだ実現していないのだという。
 沖縄県のワシントン駐在員もようやく任務に就いたというが、大田昌秀元沖縄県知事はそれでは進展は期待できないという。やはり知事自身がアメリカへ行き、国外の基地に権限をもっている上院軍事委員会に訴えて議題に挙げてもらうのがもっとも効果的だという。大田氏自身アメリカでそのアドバイスを受けたのが任期切れ間際で、なにも手を打てなかったことを悔やんでいる。ちなみに大田県政時代に、辺野古新基地推進の立場から大田氏を強く攻撃したのが県議会議員だった翁長氏である。ここは翁長知事のほうから大田氏に頭を下げ、アドバイザー就任を打診してもらいたいところだが、難しいだろうか。
         *
 題名「沖縄よどこへ行く」は、沖縄出身の詩人、山之口貘氏の詩の題名を借用した。町のあちこちに「琉球人お断り」の札の掛かる日本にやって来た貘さんは、敗戦後に書いたこの詩を「蛇皮線の島/泡盛の島/沖縄よ/傷はひどく深いときいているのだが/元気になって帰って来ることだ/蛇皮線を忘れずに/泡盛を忘れずに/日本語の/日本に帰って来ることなのだ」と締めくくった。そんな貘さんは1963年に逝き、そして9年たって沖縄は貘さんの望みどおり日本に帰ってきた。それから43年が過ぎたが、日本政府はひどく傲慢で冷たい。貘さんにこれからの沖縄のことを相談してみたいものだ。  (2015/04)




<2015.4.10>

工藤30/01.鮪に鰯.jpg『山之口貘詩集 鮪と鰯』新装版(原書房、1974年)
工藤30/02.jpg「沖縄よどこへ行く」冒頭(同上)

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工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon