いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第29回/工藤茂
「みっともない憲法」を守る
「日本国憲法の前文には『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』と書いてある。つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと言っている。そして『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』(と書いてある)。自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね。そんな憲法を持っている以上、外務省も、自分たちが発言するのを憲法上義務づけられていないんだから、国際社会に任せるんだから、精神がそうなってしまっているんですね。そこから変えていくっていうことが、私は大切だと思う」
これは2012年12月24日、Google 主催の「政治家と話そう」というイベントで、安倍晋三氏が語った内容である。第二次安倍政権発足2日前のことである。視聴者からの質問に対して安倍首相が答えていく構成だが、この発言の直前の問いかけは、憲法を学んでいる女子学生からのもので、「国際社会で日本としての発言力が弱いように思うが、どのようにしていくつもりか」というものだった。憲法を学んでいるとは言っていたが、とくに憲法について質問したわけではない。日本国憲法にからめていったのは安倍首相自身だった。
この安倍首相の発言自体がすでに日本国憲法99条違反と言いたくなるし、解釈にも首をかしげてしまうのだが、あえて触れないでおこう。ここはただ安倍首相とは対極にある発言を並べておくことにしたい。
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」(2013年12月18日「天皇陛下お誕生日に際し」部分)
「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」(2013年10月「皇后陛下お誕生日に際し」文書にて、部分)
「私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは、愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし、私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」(2015年2月20日「皇太子殿下お誕生日に際し」部分)
すべて宮内庁のホームページからひいたものだが、皇室に身をおく3人の言葉には憲法に対する敬意の念がうかがえる。日本国憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」にそった発言である。これらの発言を並べてみると、あたかも天皇家と安倍首相との闘いのようにも思えるが、憲法をこき下ろす安倍首相ごときに惑わされることのないよう、天皇家総出で国民に訴えているようにも思えてくる。安倍首相にとっては「目の上のたんこぶ」といった存在になのだろうか。
正直のところ、ぼくは皇室についてあまり関心がない。さほど必要を認めないし、基本的にはもう役割を終えたのではないかと思っている。かつて田中優子氏は、日本国憲法は第1条から8条は不要とまで言い切っていた。つまり「第1章 天皇」の部分は不要という意味だが、ぼくにはそこまで言い切る度胸はない。もっとも田中氏もいまは大学の総長となり、当時と同じことを言えるかどうか分からないが。
しかし、地震や土砂崩れの被災地に赴き、膝をついて被災者に向き合う今上天皇夫妻の姿をテレビなどで目にし、また安倍内閣発足以降に多くなった先にあげたような発言をみていると、その存在をあながち否定できなくなる。あってもよいのかもしれないと素直に思う。そして先の発言に関しては、もっと言ってほしいくらいにも思う。
憲法上の制約から、天皇は政治に関与できないことになっている。ところが1946年11月3日の日本国憲法公布後も、昭和天皇は政治にまったく口を出していないわけではない。『昭和天皇実録』(東京書籍、2015年)にも明記された1947年の沖縄メッセージなど、いくつか知られているものがある。
今上天皇の憲法に関する発言も、宮内庁での検討をへてのぎりぎりのものともいわれる。しかし、いまは緊急事態である。安倍首相へ退任勧告ぐらい発してもらえぬものかと思う。ここは、天皇一家にすがるしか術がないのではないかとさえ思う。
じつは、皇太子にはあまり期待できないと思っていた。しかし、今年の誕生日に際しての会見ではどうだろう。日本国憲法を取り上げ、ここまで踏み込んだ発言をしたのは初めてではなかろうか。親の背中をみて育つというが、明らかに両親の姿勢を受け継いでいるようだ。はやく次男の秋篠宮にも加わってほしいところだ。
家族でなんらかの打ち合わせのようなものがあったのだろうか。日常的に日本の政治状況について話し合うこともあるのだろうか。安倍首相について話したり、自民党「憲法改正草案」について話したりといったこともあるのだろうか。
話題の若杉冽[れつ]氏の小説『東京ブラックアウト』(講談社、2014年)には、原発政策についての天皇の発言や、安倍首相とおぼしき人物を批判する生々しい天皇の言葉が出てくるようだが、あながち作り話でもないという。そういう本音のところを知りたいし、もっと声をあげてほしい。
自民党の憲法改正推進本部長船田元[はじめ]氏は、憲法を改正できるのなら、出来がよくないとはいえ、自民党「憲法改正草案」などずたずたになってもかまわないとまで言っているし、「国民に一度憲法改正を味わってもらいたい」と言う安倍首相側近もいる。このひとたちは、とにかく憲法をいじりたくてしようがないらしい。
そうはいっても憲法改正となると、ハードルが高くておいそれとはいかない。以前ひいた井上ひさし、樋口陽一『「日本国憲法」を読み直す』(講談社文庫、1997年/岩波現代文庫、2014年)に次のような記述があった。それぞれ別のところからひいたもので、つながった会話ではない。
「日本は憲法の問題でも、みんなが言葉を信用しないから、すべて解釈運用でまかなえるわけです。一八八九年に公布された大日本帝国憲法は、翌年の一八九〇年(明治二十三年)から一九四五年(昭和二十年)八月の敗戦まで五十五年間、『不磨の大典』とみなされていた。事実、その条文は一字一句変わっていないが、その憲法下で展開された政治体制は百八十度異なったものでした」(樋口)
「デモクラシーのルールに従ってデモクラシーを否定する集団が権力を握ることもあり得る。デモクラシーがそれ自身に忠実にあろうとすればこれを避けることができない」(井上)
これは1992年から翌年にかけて行われた対談だが、日本はこのふたりが危惧した方向へとしっかりとすすんでしまっていることが分かる。いまぼくらは、権力を手にした「デモクラシーを否定する集団」が、日本国憲法を自在に読み解くさまを唖然としながら眺めている。樋口氏が指摘する大日本帝国憲法下の「百八十度異なったもの」と安倍政権の解釈改憲では、どちらがどうなのか分からないが、安倍政権はこれまでの自民党政権が踏み込むことを戒めてきた領域まで侵しつつあることは明らかだ。
それでも、ぼくらはデモクラシーに忠実であろうとする。そうである以上、いかにはやくルールに従った方法で彼らを引きずり下ろすかである。いまの憲法にも問題があることは分かる。安倍首相が言うとおり時代に合わなくなってきているところだってある。しかし、憲法の基本も理解していない彼らに憲法をいじらせてはいけない。とりあえず「みっともない憲法」を守りながら、さっさと彼らを引きずり下ろさなくてはならない。
「安倍ごときに惑わされるな、はやく目覚めよ!」。今上天皇は国民に対してこのように訴えているように思えてならない。
ところで京都の上賀茂神社をはじめ、各地の神社に改憲推進の署名コーナーが設けられたというツイッターが目立つようになった。ぼくはまだそんなコーナーをみていないが、神社本庁の動きも活発化してきているのだろうか。 (2015/03)
<2015.3.17>