いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第16回/工藤茂
東京都知事選挙、脱原発派の分裂
2月9日に投開票が行われた東京都知事選挙は、舛添要一氏の圧勝で終わった。ぼくが投票のために近所の小学校に行ったのが9時半過ぎだった。前日の大雪が影響したとも思えないが、あまりにも閑散とした校庭の風景に驚き、さらに体育館のなかに入って愕然とした。投票に来ている人は12〜13人、しかもあとから続々来るでもない。これは相当まずいなと思ったが、やはり投票率はわずか46.14%という惨憺たる結果となった。過去3番目の低さだという。
今回は全国区の選挙ではないのだが、『東京新聞』は投票日の朝刊に「国政左右 岐路の一票」と見出しをつけた。これはたんに安倍政権が維持し続けようとしている原発のみならず、国を危うい方向へと導きつつある舵を正すべき選挙だった。そんな重要な位置づけにあった選挙だが、結果は自民党、公明党、連合が支援した舛添氏が200万票をこえる票を得て、事実上安倍政権を信任するという結果に終わった。
今回の都知事選の報道では、舛添氏が原発推進派、宇都宮健児氏、細川護熙氏が脱原発派と色分けされた。このまま争えば宇都宮氏と細川氏で脱原発支持の票が分散して共倒れとなり、舛添氏の当選は明らかだった。ただ、同じ脱原発派でも両者の危機感には大きな違いがあった。宇都宮氏は2012年に続いての立候補で、前回の政策に原発問題を組み入れての数十年を要する脱原発である。他方細川氏は、地震多発国には不向きな原発を基幹電源とするエネルギー政策の、即時転換を政府に求めるものだった。
鎌田慧氏、広瀬隆氏、河合弘之弁護士らは脱原発派候補一本化の必要に迫られ、告示日直前の1月20日に記者会見を開いた。その一本化とは、舛添氏を抑えるためには細川氏で一本化し、左派からリベラル保守層まで幅ひろく票を取り込むというものである。逆に宇都宮氏で一本化した場合、細川氏に入るはずだった票がそのまま左派の宇都宮氏に入るとは考えにくく、半分は舛添氏に流れてしまうと予想された。
本来なら、鎌田氏たちはもっと早くから両陣営と接触して候補者を一本化しなくてはならなかった。そして細川氏には、降りてもらう宇都宮氏に頭を下げてお願いしてもらう必要があった。しかしながら、なかなかそのようには運ばなかったのである。
両陣営ともに一本化を拒否した。細川陣営は準備不足や選対本部の内紛の処理に手間取り、鎌田氏たちの声に耳を傾ける余裕もなかったのかもしれない。当然のように佐川急便からの献金疑惑が再浮上したが、元自民党参議院議員村上正邦氏がでっち上げだったことを暴露して、あっという間に落着した。80歳になる村上氏の潔さは、老い先短い人生を意識してのものであろうか。他方、宇都宮氏の先の都知事選時の公職選挙法違反の告発で知られたブログ「澤藤統一郎の憲法日記」によれば、宇都宮陣営は全国から共産党の運動員を集めて組織的に展開したというから、この時点で宇都宮が降りるという選択肢などあり得なかったとも考えられる。
1月末になってとんでもない話が表面化したてきた。
宇都宮氏をふくむ3人で協議して落合恵子氏に出馬要請したにもかかわらず、落合氏の返事を待たずに宇都宮氏が抜け駆けで出馬表明したという話である。これについて落合氏は2月3日の会見で、はじめから出馬するつもりはまったくなかった、わたしが出るなら宇都宮さんは降りると聞いていたなどと答えているが、宇都宮氏は1月30日のインタビューで落合氏が断ったから出馬したとは語らず、ほかにも両氏の発言には食い違う部分があって真実がどこにあるのか分からない。もし落合氏が出馬していたなら、宇都宮氏、細川氏とも出ることもなく、落合氏の当選ということがあったかもしれないのだ。
さらに1月30日、宇都宮氏を支持するジャーナリスト岩上安身氏がツイッターで次のように発信した。すべて同日に行われたインタビューをツイッターにしたものである。
「ヤミ金など、消費者問題に一緒に取り組んできた仲間の弁護士が、自宅に押し入られた暴漢に家族の前で刺殺されている。オウムによって殺された坂本弁護士の妻は宇都宮氏の事務所で4年間働いていた。自分の仲間をそうやってテロで失ってきた痛切な経験が宇都宮氏には、ある。
『自分は覚悟ができているが、家族に手を出されることだけは……だから、家は防犯のため、セコムにも入っています』と語る宇都宮氏。しかし告示日前日の深夜12時に、自宅まで押しかけてきた人物がいた。連日、選対事務所に『一本化しろ』『降りろ』といった電話が鳴り止まない時期。
真夜中に自宅まで押しかけてきたその人物は、細川氏に票を集めるため、宇都宮氏に降りるように迫ったという。非常識極まりない。この話をした時には、温厚な宇都宮氏が顔を真っ赤にして怒りを露わにした。ご家族も『深夜の訪問者』に怯えたという。異常である。
『細川氏の選対に入って汗をかくわけでもなく、人に降りろと迫る。細川氏が裏切った時には、どう責任を取るのか。無責任だ』。宇都宮氏は、怒りを隠さなかった。
真夜中に自宅に押しかけた方も有名人。お名前は控えますが。我を忘れている感拭えず」
このツイッターを見た翌日の1月31日、細川氏を応援する有志による記者会見があった。細川氏をはさんで瀬戸内寂聴、澤地久枝、湯川れい子、菅原文太、なかにし礼、三枝成彰の各氏が並んだ。ぼくは澤地氏のスピーチに仰天してしまった。
1月21日の夜遅く、こんな時間ならいるだろうと宇都宮氏の家を、だれにも相談もせずたったひとりで訪ねたこと。雨が降っていて、それが雪に変わって本当に寒い夜だったこと。ただただ後悔しないようにとの思いで訪ねたこと。宇都宮氏と話し合って一本化は難しいだろうかとお願いしたこと。でも、細川氏のほうからは何も話が来ていないから難しいという返事をもらったこと。暗い知らない町をひとりで歩きながら、自分はやることはやった、細川さんのために応援しようと決心したことなどを切々と話した。
心に訴える素晴らしいスピーチだった。しかしながらこのスピーチを聞きながら、岩上、宇都宮両氏の腹にある黒々としたものに気づいた。先の宇都宮氏へのインタビューが動画でもみられるというので確認したところ、宇都宮氏のすっきりしないところがみえてくる。
2012年の都知事選で澤地氏は宇都宮氏の支持者として積極的に動いていて知らない間柄ではないが、インタビューでは名前が伏せられている。しかも澤地氏は83歳になる病身のおばあさんである。宇都宮氏は「家内もびっくりしていた」とは言っているが、怯えたとまでは言ってはおらず、岩上氏のツイッターは相当脚色されていることが分かる。岩上氏はその人物が澤地氏であることを知っていながら、さも恐ろしい暴漢に仕立て上げてツイッターを発信している。澤地氏が伏せられたままであることが前提でなければ書けた内容ではない。また宇都宮氏は「まるで嫌がらせとしか思えないですよ!」と吐き捨てるように言い放っているが、明らかに言いすぎである。たしかに深夜の突然の訪問は失礼ではあろうが、澤地氏の行動も理解できないことはないはずで、もっとその気持ちを汲んであげることはできないものか。岩上、宇都宮両氏にとって細川支持に回った澤地氏は明らかに敵であり、おとしめてやろうという意図がありありとうかがえるツイッターでありインタビューだった。
おそらく澤地氏はそんなツイッターや動画が出回っていることなどまったく知らず、堂々と明かしてしまった。両氏にとっては予想外のことで、非常に気まずい情況に追い込まれることになった。以後、岩上氏も宇都宮氏もこの件については口をつぐんでいる。
結局鎌田氏たちは一本化に失敗したが、それで諦められるものではない。2月3日、告示後にもかかわらず、前回とは別の会の名称で両陣営にはたらきかけの記者会見を行った。1月20日の会見と重なるのは鎌田氏と河合氏だけで、ずっと中心となってきた鎌田氏は憔悴しきった表情で座っていた。別の会になった意味について鎌田氏は「支持者を明らかにしていない人に来てもらった」と説明した。宇都宮氏側に配慮したということだろうか。
すでに1月23日に告示されているので、いまさら立候補を取り下げることはできず、事実上一本化は不可能である。にもかかわらずこのような会見を開いたのは、降りた側の候補が、自分の支持者に対してもう一方の候補への投票を呼びかけるという形での一本化をお願いするためだった。無理は承知のうえ、最後までどうにかしたいという悲痛な思いからの会見だった。
席上、99歳になるむのたけじ氏は、「争われるのは都知事のイスひとつだが、そこに込められた時代の問いかけは、第三次世界大戦、原子爆弾の乱れ飛ぶ世界を許すのかどうかだ。大事な大事な別れ道だ」と声を張り上げた。一本化最後の試みも失敗し、河合弁護士が2月6日にその報告を行ったが、そのときの発言を整理したものを記す。
「重要なのは保守政治家から脱原発の声があがったという歴史的転換点にいるという認識。誤解を覚悟で言えば、新自由主義者でさえも脱原発を言いだしたということがスゴイことだと……、そういう大きな捉え方をすべきだと思っている。それがいかに重要なことなのか、左翼や人権派といわれた人たちは歴史に学んでいない。そんな千載一遇のチャンスが天から降ってきたのに、いざ目の前にすると勝つことを忘れた闘争者のように不統一な運動を展開する人たちがいる。そんな大局観のない運動が今回の分裂を招いた。宇都宮さんは脱原発を3番目か4番目に上げて他の課題もあるというが、いまの福島の現況をみれば大事故が起これば老人の福祉とか雇用・教育などと言っていられなくなるのが分かる。細川さんは脱原発を最重要課題と位置付ける。優先順位が違う」
ついでに鎌田氏の、宇都宮陣営を仕切る共産党への怒りも記しておく。「戦争に向かおうとしている、この危機的な状況にもかかわらず、広く手を結んで共同行動に立ち上がらず、あれこれ批判を繰り返している人たちに訴えたい。いったい敵は誰なのか、と」(『東京新聞』1月28日付)。ターゲットが舛添氏であることを忘れた宇都宮陣営による、細川、小泉攻撃にはすさまじいものがあった。選挙後、宇都宮氏は「元首相連合に勝った。達成感がある」と述べ、支援者とともに勝利の喜びに沸いたという。やはりそうかと頷くしかなかった。宇都宮陣営の選挙運動は、先の衆・参両院議員選挙に続く共産党の党勢拡大が目標で、いまの日本の危機をどうにかといったものではなかった。細川氏を破ればそれで満足なのである。
残念ながら、鎌田氏らが訴えた危機感はひろく理解されないままに終わった。報道では細川氏の街宣演説が「弱々しい」「力がない」、また「小泉氏目当てに集まった多くの聴衆」とか表現されていたが、それは否定しておきたい。たしかにヒトラーのような演説とはまったく異なるものだが、いまの日本の危機をゆっくり張りのある声で語りかけていて、聴衆は耳を澄ませてじっと聞き入っていたのである。けっして主役は小泉氏ではなかった。
細川氏はほとんどの討論を拒否したうえ、テレビもうまく利用することができなかった。かつて佐藤栄作元首相が記者会見場から新聞記者を追い出してテレビカメラだけに向かって語りかけたこと思い起こしたが、細川氏のスピーチにはマスメディア全般への不信感が深くにじみ出ていた。また舛添、宇都宮両陣営の選挙運動が大きな組織をバックにしたプロのものだとしたら、細川陣営は素人のものだったことは否定できない。
ぼくはこれまで自民党にも民主党にも票を投じたことはなかったし、先の都知事選は宇都宮氏に投票した。しかし今回は大局を読み細川氏に投じたのだが、むなしい結果に終わった。
茨城県東海村の村上達也前村長は「(都民は)平和憲法の精神を壊そうとする安倍政権を支持した。東京が日本を駄目にしていく」と嘆いた(『東京新聞』2014年2月11日付)。まさに河合弁護士の言うとおり、千載一遇のチャンスを逃したのである。3.11以前の日本に、いや戦前の日本に戻るのだろうか。国際的な孤立、そして狂気の時代に突き進む。いや、そうなる前に安倍首相は行き詰まり、自滅することを期待したい。 (2014/02)
<2014.2.19>
国会前/2014年2月7日夜