いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第2回/工藤茂
壊れゆくもの
2カ月ほど前のこと、新聞で一篇の投書を読んだ。題名は「福島への言葉の暴力」。投稿者は33歳の男性、専門学校生とあり、内容を要約すると次のようになる。
2011年の東日本大震災のあと、放射能を懸念し、勤めていた福島の会社を辞め1歳との子ども、妻とともに東京に移り住んだ。休日のある日、帝国劇場横で東北物産展が行われていて、ベンチで「そば、いかめし、野菜スープ」の昼食をとった。そばをおかわりしにいって戻ると、妻の様子がおかしい。通りかかったお年寄りの男性が「そのいかめしは放射能にまみれているから、小さな子どもに食べさすんじゃねえ!」と言い放ったという。さらに妻に「どこから来たのか?」と訊ね、「福島から」と答えると、「だめだ、もう終わりだな」と言って去っていったという。投稿者は怒りのあまりその男性を捜したがすでに見当たらなかった。真意を聞いていないので不明な点はあるが、人の心を傷つけるのはやめてほしい。また東北から来ている物産展の人々にも謝罪してほしい。東北の食品に対する偏見を他者に露呈するのをやめてほしい。
正直のところ困惑してしまったのだが、それぞれの判断なのだからやむを得ない。とはいえ、この投稿者は放射能の不安から福島を逃れ東京へやって来たのである。にもかかわらず、積極的に東北の食品を食べることに矛盾や不安はないのだろうか。1歳の子どもにも、今後妊娠する可能性のある妻にも、もっと配慮が必要とは思わないのだろうか。そして、東京は本当に安全なところなのだろうか……。
こんなことを思ったのだが、ちょっと乱暴な声をかけたお年寄りが言うように、もう手遅れなのかもしれない。この家族、というよりも日本がである。亡びの始まりなのかもしれない。
福島第一原発事故の直後、You Tube上に黒沢明のオムニバス作品『夢』(1990年)のうち「赤富士」一篇のみが切り取られて流された。
この『夢』は公開当時映画館で見ているが、まったく引き込まれるものがなく「何なんだ、これは?」と、おおいに疑問を持ちながら映画館を出た記憶がある。しかしながら、事故直後にネット上で改めて見た「赤富士」には驚愕した。また、『夢』にこんな作品があったことすらすっかり忘れてしまっていたぼく自身にも驚いた。
改めて見た「赤富士」では、富士山が真っ赤になって爆発しているのである。いや正確ではない。富士山周辺にあるいくつもの原発が連鎖的に爆発を繰り返し、やがて自身も噴火を始め真っ赤になった富士山のふもと、放射線がただようなかを多くの人々があてもなく逃げ惑う姿が描かれていた。当然ながら、原発の爆発事故を体験したばかりの身には切実に迫ってくる映像だった。
この「赤富士」と福島第一原発事故をからめて論評した記事もweb上にあるので、興味のある方はそちらをお読みいただきたい(http://www.cinematoday.jp/page/N0031643)。
ついでにまた夢の話である。こちらは福島第一原発事故から半年ほど経ったころに、ぼく自身が見た夢である。
どうやらぼくはひとり山登りに出かけ、下りにかかっているようだ。明るい尾根道から、よく手入れの行き届いた杉と檜の混交林の細い山道を降りていった。よく足慣らしに出かけた奥武蔵や奥多摩の雰囲気である。しばらく下ると妙なものが眼に入ってきた。おびただしい数の鋼鉄製の大きな円筒形の容器が並べられている。しかもよく見ると放射線マークが描かれているではないか。使用済み核燃料の輸送用のキャスクである。細い山道が走る林のなかに、広範囲にわたってそれらが並べられていた。驚いたぼくは逃げるように山道を下ったが、逃げたところでどうなるものでもなかった。林のなか、いたるところにそれらは並べられているのだ。ふもとの村に辿り着いたのだが、異様な雰囲気は変わらない。ぼくのずっと先を村人が歩いているのが見えるのだが、歩き方が尋常ではなかった。ゆらゆらふらふらと大きく揺れながら歩いているではないか。
何度かの原発事故をへて放射線まみれとなった日本列島は、すでに世界地図から消えていた。それでも、日本という国があることは世界中の暗黙の了解だった。そこには世界中の使用済み核燃料が運び込まれ、日本は使用済み核燃料置き場として存在しているのだった。すでに日本政府などというものはなく、アメリカの管理下におかれている。住民もいるのだが、みな放射能に侵され、世界各国から運ばれてくる食料を頼りに、使用済み核燃料と米軍事基地の隙間で、亡霊のようになってかろうじて生きているのである。日本はそんな国になっていた。
つい先日、1月14日の報道では、アメリカのエネルギー省は、2048年までに使用済み核燃料を地下深くに埋設する最終処分場を建設し最終処分を開始すると発表したが、もしや、この最終処分場というのは日本のことではないだろうか。
壊れたものが もっとも静かに
壊れていくことをつづけていくようである。
私はもう世間に対して
さして意見をもたなくなった
(天野忠「破れたガラス」より)
(2013/01)
<2013.1.21>
写真/工藤茂