いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第3回/工藤茂
おしりの気持ち。
わずか8ページの薄い冊子をめくっていて「愛しき体内」と題したコラムに目がとまった。「生まれて初めて内視鏡検査を受けた。……」と冒頭にある。同じく内視鏡検査を受けたばかりのぼくにとっては他人事とは思えず、そのまま400字ばかりの文章を読み終えた。もう結構なトシだし、長年酷使した胃腸を検査してみたらと周囲に勧められ内視鏡検査をうけたところ、とくに問題はなかったが、このとき以来、長年の酒や暴食に耐えて黙って我が身を支えてくれた内臓が愛おしく思えるようになったという内容だ。
さて、昨年の暑い夏のさなか、ぼくも生まれて初めて胃腸の内視鏡検査を受けた。ことの発端は健康診断の折、近所の同年代の医師が血液検査の結果を見てこう言ったのだ。
「赤血球数が少ないし(391)、ヘモグロビン量も少ない(血色色素13.3)。貧血気味だ。ここ何年もこの状態が続いているから、消化器系に出血の疑いがあります。一度、内視鏡検査を受けてみたほうがいいですね」
「体調もいいし自覚症状はなにもないんですが……、やはり受けたほうがいいですか」
「もうトシもトシだし、受けてみたほうがいいですよ。大腸検査といっても、男なんか簡単ですから。紹介状を書きますよ」
大腸検査が男と女でさして違うとも思えなかったが、精神的負担の度合いだろうかとも思った。このところ「もうトシだし……」という言葉には、いたってヨワいのだ。イヤと思いながらも返す言葉もなく、首を縦に振るしかなかった。紹介状1枚に1,500円と言われ、「ナニぃ?」と思っても「トシもトシ」だから黙って支払うのだった。
数日後、歩いて15分のところにある総合病院に出かけた。初めて入る病院である。総合受付で「紹介状のない方は2,100円負担いただきます」という張り紙を見て、紹介状をもらってきて少しだけよかったような気分がした。
消化器内科に案内され、40歳くらいの女医が担当となった。医師は紹介状を見ながらぼくの日常生活をいくつか尋ねてから切り出した。
「胃と大腸の内視鏡検査ということなんですが……」
さて、言うべきことは言わねばとぼくは踏ん張ったのだ。
「赤血球、ヘモグロビン量が低いといっても、ほんのちょっとじゃないんですか?」
「うーん、でも、紹介状がありますから……」
「だから、本当に検査が必要なほどの数値なんですか? というところをお聞きしたいんですよ」
医師は、ここで初めて笑った。
「うーん、そうですね。でも内視鏡検査を受けたことがないんですか?」
「……ないですね」
「じゃ、一度くらい受けてみたほうがいいですね」
このひと言で、ぼくは観念した。
同意書にサインして、胃の検査は翌日、そして大腸の検査、総合診断など、スケジュールは流れるように決められて、3種類の下剤を持たされて正門を出た。
この正門を入るときは「内視鏡検査など受ける必要はないはずだ。絶対受けない。頑張るぞ!」という心積もりだったことを思い出した。「こりゃ負けか? いや、そういう問題ではないはずだ」などと、瑣末なことが頭を過ぎった。
胃の内視鏡検査は前日の女医みずから担当した。内視鏡検査は腕の善し悪しが大きく影響するというが、初めて体験する者に判断がつくことではない。しかしながら、どう贔屓目にみても上手いとは思えなかった。内視鏡を手に振り回す女医が、一瞬金棒を振り回す鬼のように思えた。嗚咽、苦しさに身をこわばらせているうちに、知らず知らずのうちに涙がジワーとにじむのだった。
1週間後におこなわれた大腸の内視鏡検査は40代半ばの男の医師が担当した。検査着姿で左腕に点滴と血圧計をセットして診察台でまな板の鯉となったものの、なかなか医師は現れない。女性看護師さんが2〜3人動き回っているなかで、左向きで無意識のうちにお尻をいくぶん突き出し気味に横になっているのだが、なかなか恥ずかしい。恥ずかしいから目はうつろにうつむき気味になる。体調が悪そうだと勘違いした看護師さんが「大丈夫ですか?」と、心配そうに声をかけてくる。そんなことが2度ほどあったのだが、「いや、大丈夫です」などと気丈そうに返事をしながら、心のなかでは「早くやってくれ!」などと思っていたりした。
そんなところに顎髭の医師が現れ、前述のスタイルで初対面の挨拶をかわした。大腸内視鏡は1万回こなしてはじめて一人前らしいが、はたしてこの医師は大丈夫だろうか。
「工藤さん、眠くなったらそのまま眠っていいですから」
そう言うなり、いきなりぼくの肛門に指を突っ込んだ。麻酔薬か? そこまでは意識があった……が、あとは不覚にも失った……というか、点滴で送り込まれた鎮静剤のせいかなにも覚えていない。ふと気がついたときには一連の作業も終わる寸前だった。ぼくはしっかりモニターを見る心積もりでやって来たはずだが、なにも見ていないことに気づいて「ああーッ」と落胆した。
「大腸は綺麗ですよ。出血しているようなところはありません。もともと、赤血球が少ないといっても大したものじゃありませんから。ただ、なかにいぼ痔がありましたよ」
あわててモニターに顔を向けると、いぼ痔が大きくアップにされていた。といっても、いぼ痔を見るのは初めてなので、これがいぼ痔ですと言われれば頷くしかないのだが。ぼくは呂律のよく回らない口で尋ねた。
「で、ど、どんな治療を、するんでしょう?」
「外来の医師と相談してください。座薬かなにかで済むようなものです」
こんな会話をしながら、医師はさっさと内視鏡を片付けはじめた。ぼくは車椅子で別室に移動し、ベッドに横にさせられた。鎮静剤の影響がなくなるまで休むのだそうだ。この大きな部屋にはベッドがたくさん並べられてあり、ぼくのような、ちょっと横になって休む必要がある人ばかりいるようだった。30分ほどして看護師がやってきた。
「ちょっと立って歩いてみて下さい。ふらふらしませんか」
「腹の中が空っぽですから、ふらふらですよ」と答えると笑われた。
大腸内視鏡検査の体験談はネット上にたくさんあるので、それをご覧いただければよいのだが、ぼくの場合、前夜8時ころから2種類の下剤を、当日朝からは2リットルの下剤を飲み、何度もトイレに通って中のものを出しきった。体重がおよそ2キロ減り、体にまったく力が入らない状態で病院に出かけることになる。胃腸を空っぽにするということ自体は、思っていたほど大変でもなく、やってみれば呆気なくできてしまうのだが、けっして楽しいことではなかった。
病院から帰ると、ぼくはいぼ痔の治療に通うことを覚悟した。田辺三菱製薬が無料配布している『おしりの気持ち。』という80ページの立派な冊子を送ってもらって痔について勉強した。驚いたことに日本人の3人に1人は痔に罹っているらしいが、自覚症状のない例が多いらしい。さあーっと冊子に目を通すと、ぼくは立派に痔主の気分になっていった。
大腸検査から10日後、総合診断の結果を聞きに出かけた。というよりも、気持ちの大半はいぼ痔の治療の相談のつもりだった。担当の女医は機嫌がよかった。彼女から意外な事実が告げられた。
胃も大腸もなにも問題はなかったというのだ。胃に糜爛(びらん)があるが、問題になるようなものではなく、大腸も問題ないという。近所の医師が危惧したような出血箇所もまったくみられず、健康そのものだというのだ。
ぼくのほうから、恐る恐るいぼ痔の件を切り出してみた。男の医師は「いぼ痔」と言ったが、女医は「いぼ痔」などとは言わない。滑舌よく「内痔核」と言った。ぼくに写真を見せながら、大小2個あるが、自覚症状もまったくないことだし、治療は必要ないという。つまり放っておいてかまわないというのだった。「なにかあったらすぐに来て下さい。データは揃っていますから」とも忘れずにつけ加えた。
「ぜひ、また来年も内視鏡検査にいらして下さい」という言葉に送られて診察室を出たぼくは、再びひどく落胆していた。まるで、痔主から小作人になったような気分だった。机の上の『おしりの気持ち。』はもう手に取られることもなくなり、本棚の納まりどころに困っているようだ。
これが、昨年の暑い夏の思い出である。
(2013/02)
<2013.2.18>
高橋寿雄・山口トキコ『おしりの気持ち。』(田辺三菱製薬、2007年初版、2010年5刷)