いま、思うこと4 of 島燈社(TOTOSHA)

智恵子の実家.JPG

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第4回/工藤茂
ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles

 昨年の秋だった。ふと見たテレビには高倉健が映っていた。撮影現場の休憩時間だろうか。そばのテーブルのCDプレイヤーからは音楽が流れていた。英語の歌、男の声、ぼくのお馴染みの歌のようだった。
 「この歌が好きなんですよ」
 高倉健はそう言っていた。ぶっきらぼうな物言いだった。耳を澄ましてみたのだが、ぼくが聞き慣れた歌い手とは違うように聞こえた。

  むかしボージャングルという男と出会った。すりきれた靴に白髪頭、ぼろぼろのシャツ、だぶだぶの
  ズボン。彼は犬を連れて南部をどさ回りしていたダンサーだった。文無しで打ちひしがれていたぼく
  に人生を語り、優雅なステップで踊ってくれた。あるとき彼は涙ながらに話してくれた。犬との長か
  った旅暮らしを。その愛犬も亡くなって20年も過ぎたが、いまでも悲しくてたまらない。もう年老い
  て、安酒場で酒とチップのために踊る身の上。もうたくさんだと思っても「踊っておくれ!」と声が
  かかる。

 およそこんな内容の歌だ。1971年ごろに買ったニッティー・グリッティー・ダート・バンド The Nitty Gritty Dirt Band のアルバム『アンクル・チャーリーと愛犬テディ Uncle Charlie and His Dog Teddy』に収録されていた1曲がその歌、「ミスター・ボージャングル」だった。
 ニッティー・グリッティー・ダート・バンドは、ギター、フラットマンドリン、5絃バンジョー、ハーモニカ、アコーディオンなどをたくみに駆使して演奏する5人組のカントリー・ロック・グループである。音楽の幅もひろく、フォーク、カントリー、ブルーグラスを中心に、ロックンロール、ケイジャン、ブルースなど、ほぼアメリカン・ミュージック全体を網羅している。
 どんなきっかけでアルバム『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』を買ったのかは、いまとなってははっきりしない。しかし当時を思い起こせばFMラジオなどの音楽番組を聴いてのこととしか思えない。

 アルバム・ジャケットの写真はあくまでもアンクル・チャーリーと愛犬テディであって、ボージャングルと彼の愛犬ではない。アンクル・チャーリーはギターを弾きながら、よく知られた歌「ジェシー・ジェイムズ」をうたい始める。そしてホルダーにセットされたハーモニカを吹き鳴らす。愛犬テディも一緒にうたう。チャーリーのハーモニカに合わせてうたう。やがてフェイド・アウトしていくと同時にニッティー・グリッティー・ダート・バンドによる「ミスター・ボージャングル」のギターのイントロに移っていく。あたかもアンクル・チャーリー=ボージャングルかと思わせるようなたくみな構成である。
 このアルバムは名曲ぞろいだった。「ミスター・ボージャングル」のほかにも「シェリーのブルース」「プー横丁の家」など繰り返し繰り返し聴いた。ぼくはこの1枚でニッティー・グリッティー・ダート・バンド大ファンになってしまい、そんなこんなで数十年も聴きつづけてきていて、アルバムはLP、CDあわせて10枚以上は手元にある。

 「ミスター・ボージャングル」は、シンガー・ソングライター、ジェリー・ジェフ・ウォーカー Jerry Jeff Walkerが自身の経験をもとにつくった歌で、実話である。酔っ払って留置所にぶち込まれたときにそこで出会ったのが件の旅芸人の爺さんなのだが、その爺さんの名前がボージャングルだったかどうかははっきりしない。
 そもそもbojanglesは「のんきな」とか「成り行き任せ」という意味のスラングのようでもある。頭のなかはダンスのことばかりで成り行き任せの人生を送ってきた爺さんだが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーは彼の話を聞くうちに、その真摯な生き方に感動を覚える。そこで敬称の「Mr.」がついて「ミスター・ボージャングル」の出来上がりというわけだ。1966年のことだ。

 ジェリー・ジェフ・ウォーカーは歌を仕上げて1968年にレコーディングするが、マイナーヒットで終わる。そして1970年、それまで鳴かず飛ばずだったニッティー・グリッティー・ダート・バンドが大ヒットさせ、この歌は世界じゅうにひろまる。日本でもテレビCMのバックにも使われたし、おそらく知らない人のほうが少ないのではと思われる。

 一気にさまざまな分野の歌い手が取り上げるようになるが、なかでもよく知られているのはサミー・デイヴィスjrである。ハーレムのショー芸人の父のもとに生まれ、幼少から巡業に明け暮れたという生い立ちを「ミスター・ボージャングル」の歌詞に重ねあわせてしまうのだろうか、好んでうたったようだ。軽くステップを踏みながらのしみじみとした歌い方にはジーンとさせられ、だれもが惹きつけられた。やはり超一流のエンターテイナーである。
 ジェリー・ジェフ・ウォーカーは地味な歌い手だ。この歌を表情をあまり変えることなく淡々とうたうが、ときおり人間味あふれる表情を浮かべる。悪くない。なかなかいい味を出している。ニッティー・グリッティー・ダート・バンドはいくつになってもやんちゃな5人組で、歌の内容にしてはちょっと陽気なうたい方だが、バックのアコーディオンはたまらない。ハリー・ニルソンも渋くて味がある。ちょっと変わったところではジュリーこと沢田研二までもレコーディングしていた。
 ぼくは長年馴染んできたニッティー・グリッティー・ダート・バンドをあげざるを得ないのだが、最近You Tubeで何度も見たジェリー・ジェフ・ウォーカーの味わいも捨てがたくなってきた。いつの間にか、彼はバックにペダル・スティールをつけてカントリー・シンガーになっていたが。

 ところで高倉健が聴いていたのはだれの歌かとネットでさぐってみて驚いた。ニーナ・シモンだという意見が圧倒的だった。おかしいな、ぼくには男の声のように聞こえたのだが……。
                                      (2013/02)

<2013.3.16>

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工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon

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