いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第22回/工藤茂
書き換えられる歴史
前回取り上げた沖縄県八重山地区の育鵬社教科書と似たような問題が、いくつかの地域で起きている。
2013年6月のこと、東京都教育委員会が、実教出版の高校日本史教科書について不適切という見解を都立学校に伝えた。そして今年の6月12日の記者会見において、木村孟[つとむ]都教育委員長は「記述が変わらないかぎり、都教委の考え方に変わりはない」と述べ、2015年度使用の教科書選定にあたっても昨年同様の見解を通知する方針を明らかにした。
実教出版の高校日本史教科書の内容がひどいものかというと、けっしてそうではなかった。東京都教育委員会が問題視しているのは、実教出版の『高校日本史A』と『高校日本史B』の2点の教科書の一部の記述である。国旗掲揚や国歌斉唱に関して「一部自治体で公務員への強制の動きがある」という脚注での記述が都教育委員会の考え方と異なるというのだ。これを根拠に採択を不適切とする見解を各学校へ通知し、その結果、東京都では実教出版版を選んだ学校は皆無となった。
他方、神奈川県教育委員会は、昨年、実教出版版を希望した県立高校28校に対して再考を促し、全校が他社版に変更している。『朝日新聞』(2013年8月6日付)によると、ある校長は「変更しなければ、いろいろな団体の攻撃にあう」として、実教出版版を望む社会科教諭の反対を押し切ったという。未確認だが、県教育委員会は、従わない場合は右翼団体による攻撃をほのめかし、学校名の公表を突きつけたともいう。
埼玉県では昨年8校の採択を了承した教育委員会に対して県議会が反発し、教育委員長が辞任し、今年の採択はなくなった。2015年度は、東京都、神奈川県、埼玉県では実教出版版の採択は1校もない。ほかに大阪府、兵庫県でも同様の問題が起きているが、実教出版版の採択を認めつつも、教育委員会が指定した資料の併用を義務づけるなどの条件付きで対応したようだ。
さて、実教出版の『高校日本史B』の採択率は12.5%(2014年度)。山川出版社、実教出版、東京書籍の順で、山川出版社の66.5%には大きく離されているとはいえ、高評価である。なかには、京都大学受験生にとっては必須の教科書という個人的な意見まであった。
このように、竹富町の場合は特定の教科書を後押しする政府による直接介入の問題だったが、実教出版版教科書をめぐっては、文部科学省が許可した教科書を教育委員会や県議会が認めないという問題がある。微妙に異なるが、結局どちらも行政側による不当介入であり、憲法23条「学問の自由」に抵触してくる深刻な問題である。
少々話は変わる。日中戦争は1937年の盧溝橋事件を発端として始まった。この事件から77年目にあたる2014年7月7日、中国の習近平国家主席が、北京市豊台区の盧溝橋近くの中国人民抗日戦争記念館での式典で演説を行った。
それは、名指しを避けつつも、当然ながら安倍政権批判を含んだ内容となった。「いまも少数の者が歴史の事実と戦争で犠牲となった命に目を向けず、時代に逆行しようとしている」「侵略の歴史を美化する者を、中国と各国人民はけっして認めない」と強調した(『朝日新聞』2014年7月8日付)。
さらに『朝日新聞』は7月9日付の社説で「日本にとって、今の中国の最大の問題は海軍や空軍の拡張だ。これらの動きに真正面から批判を加えるべきときに、侵略の歴史を否定するような言動でやり返したらどうなるか」と、中国政府を批判しつつも安倍政権をも批判している。なによりもここでは、盧溝橋事件を「侵略の歴史」と位置付けて、習近平主席の発言を踏まえていることを抑えておく必要がある。
ところで、盧溝橋事件絡みで「辺見庸ブログ」が大騒ぎと紹介しているブログがあったので、「辺見庸ブログ」に飛んでみた。7月7日のブログには学校で習ったりみずから学んだ盧溝橋事件の概要が記されているが、そこには、日本軍による謀略はもちろんのこと、第1次近衛内閣よる「南京政府の反省を促すために日本は派兵する」という声明、昭和天皇による「中華民国の反省を促し、すみやかに東亜の平和を確立するために」という出兵へのお墨付きが紹介される。当時は昭和天皇を含め、安倍首相の「積極的平和主義」そのままの論理でもって戦線拡大に向かっていった様子が描かれる。
そして7月8日のブログでは「ニッポン外務省のホームページをみて仰天した。目をこすった。新たな対中戦争がはじまっている。あるいは、日中戦争はいまもまだつづいているのだ」と始まる。この仰天の意味するところは、日本政府の公式見解を示しているはずの外務省のホームページの盧溝橋事件の解説からは「ニッポンによる中国の侵略、軍事占領、半植民地化という重大な歴史的事実が、ごそっとえぐりとられている。なんということだろう」ということである。辺見氏の驚きもごもっともで、まさに中国に喧嘩を売っているのである。続いて「このホームページはだれの指示で、だれが書いたのか。すごいことがおきている。どうも気流がおかしい。気圧が尋常ではない。息が苦しい。気象病か。気色わるい。精神がささくれだっている」と嘆いている。
辺見氏は、ここでは外務省の以前の記述については触れていないが、まったく知らずにこのような書き方をするとは考えにくい。おそらくここ数年の間に書き換えられたものであろう。当然のことながら、外務省のホームページの記述の書き換えと歴史や公民の教科書をめぐる動きは間違いなく連動していて、このように史実が曖昧にされてしまう。
安倍首相や菅官房長官は、「対話のドアは常に開かれている」と中国、韓国に会談を呼びかける。問われれば「村山談話は踏襲する」と答える。しかしながら、政府の公式見解となるはずの外務省のホームページでは、「植民地支配と侵略によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを再確認し、謝罪を表明する」とした村山談話の根幹部分は削がれ、中国、韓国側の主張を結果的に却下しているのである。足を踏んづけながら、笑顔で対話を呼びかけるという図である。
そんなことを考えているうちに、8月15日がやって来た。2007年の第1次安倍内閣当時の戦没者追悼式の首相式辞には「我が国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という文言があったが、今年はなかった。昨年からなくなっているという。この6年ほどの間に、安倍首相にはなんらかの心境の変化があったのである。辺見氏が指摘する外務省のホームページの記述の変更も、このころのことであろうか。
ついでになるが、「天皇陛下おことば」にも侵略についての謝罪はない。宮内庁のホームページでは平成元年以来の「天皇陛下おことば」を読むことができるが、アジアへの侵略についてはまったく触れていないことが判明した。あえてそういう問題には触れないようにしているかのようだ。そして、多少の字句は変えてあるものの、毎年毎年、みごとなコピペなのだが、こうして全部読めてしまうと、そういうものかもしれないと思ってしまう。
こういう事柄と並行して、太平洋戦争中の加害や悲惨さを記した碑や説明板の撤去が、各地で相次いでいるという報道があった。代表的なものは、戦時中に日本軍によって行われた中国人や朝鮮人に対しての強制連行を記した碑や説明版である。それらについて、一部住民から自治体に対して「根拠が曖昧だ」「憩いの場である公園にふさわしくない」として撤去の要望が出され、自治体が検討したうえで撤去となる例が多いようだ。国からなんらかの指示や圧力があったわけでもなく、自治体自身による自主規制である。こういう動きが始まると、自治体発行の印刷物からそういう記述が消えていくのは自然の流れである。とすれば、そういう事実はなかったことになり、史実は曖昧にされる。
いま、ぼくらの見ている前で歴史が書き換えられている。むかし、ぼくが学校で学んだ歴史は誤りと指摘される時代になりつつある。いま、ぼくらはそういう現場に立っていることを自覚しておきたい。図書館の歴史の本など、すっかり入れ替わってしまうのかもしれない。これこそが正しい歴史と思える本を手元に確保しておく必要がある。まさか、こんな事態に遭遇するとは思いもしなかった。教育現場に立つ教師の心境を思うとつらいものがある。こうした流れの行き着く先はどこであろうか。世の中がおかしな雰囲気になってきたと思ったら、あっという間に戦争になっていたと、戦争体験者は語る。
石原慎太郎東京都知事(当時)が、東京都による尖閣諸島購入を打ち出したのが2012年4月である。野田民主党代表による政権投げ出しをへて、右へ右へとハンドルを切って、わずか2年あまりでここまでやって来た。そして再び石原氏の登場である。『週刊現代』(2014年8月9日号)誌上のインタビュー記事の末尾アンケート企画において、「いちばんの野望は?」と問われ、「支那と戦争して勝つ」と答えている。これが尖閣諸島購入の目的だったのか。もはや、早急に安倍政権も石原氏も政治生命を絶たなければならないようだ。間違ってもふたりを近づけてはならない。 (2014/08)
<2014.8.19>