いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜
第14回/工藤茂
戦争のつくりかた
この秋から冬にかけて、『明治文学全集45 木下尚江集』(筑摩書房、1965年)などというたいそうな本を読んだ。旧字・旧仮名・異体字だらけで2段組、450ページもある分厚い本をみずからすすんで読むはずもなく、仕事上のことゆえ隅から隅まで目を通すことになった。長篇小説から評論、新聞論説まで網羅されたそのなかで、「不幸にして日本人は世界の好戦者なり」という一節に出会って驚いた。
「不幸にして日本人は世界の好戦者なり、其の嗜好は剣を抜き血を流がすことに在り、その技芸は城を踰
[こ]へ人を殺すことに在り、之を以て日清戦争の凱歌を揚ぐることに得、又た之を以て北清事変の列国軍
兵展覧会に先登の名誉を博せり、(中略)唯一の誇称たる愛国心とは則ち戦闘心の謂に外ならず、軍備拡
張に抵抗するが如きは、其の愛国の情に於て到底容赦せざる所なり、」(漢字は通用の字形のものに改め
た)
明治36(1903)年5月11日付の『毎日新聞』に掲載された「戦争人種」という表題の論説で、日露戦争直前に書かれたことになる。清の義和団の乱鎮圧(北清事変)に欧米列強以上の大量の軍隊を送り込んで「極東の憲兵」と呼ばれた当時の日本の情況がよくあらわれている。
いまの安倍内閣や石原慎太郎氏への支持の高さは、日本人の好戦的な部分からくるのではないかとかねてより思っていたことなので、驚きはしたものの妙に納得したところがあった。加えて集団的自衛権、NSC法案、特定秘密保護法案、武器輸出三原則見直しなどという言葉がテレビや新聞に躍っていたころに読んだこともあって、なおさらであった。
先の引用のあとにも「万国の武装は世界平和の担保なり、此時に当[あたつ]て先づ其武装を解く者は、必ず先づ滅亡せざるべからずと」などと続いて、まさに安倍首相の「積極的平和主義」そのものではないかと思ったものである。もちろん木下尚江はこういった風潮を非難する立場から書いているのだが、これが110年前の日本の姿だった。この半年後、日露戦争に突入することになるが、太平洋戦争直前もおそらくこんな様子だったのだろう。
2009年に亡くなった歌手の忌野清志郎氏が、阪神淡路大震災の数年後に「地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる」(『瀕死の双六問屋』光進社、2000年)と書いている。
自民党の小泉内閣が「備えあれば憂いなし」と有事関連3法案を閣議決定に持ち込み、2003年には自民、公明、民主の3党の賛成をもって国会を可決、成立させて有事(戦争)体制を固め始める。この3党はすぐさま有事における憲法の一時停止、国民の権利・自由の制限、私有地の強制使用、報道・言論統制などをふくんだ有事関連7法案の審議へと突き進んでいくが、それでも小泉内閣の支持率は50パーセントを超えていたのだから、支持者は少なくなかったといえる。東日本大震災の翌年にできた強権的な第二次安倍内閣の支持率は、特定秘密保護法案の強行採決後急落との報道もあるが、50パーセントを若干切った程度なので、まだそれほど低くはない。そして新防衛大綱、中期防衛力整備計画、国家安全保障戦略などとすすみつつある。
今回の特定秘密保護法案のときに偶然知ったのだが、10年ほど前に発行された『戦争のつくりかた』(マガジンハウス、2004年)という本がある。解説や資料をふくめてもわずか50ページほどの絵本だが、そこから気になる言葉をいくつか拾ってみることにする。
「わたしたちの国は、60年ちかくまえに、『戦争しない』と決めました。
でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、戦争しないと決めた国も、戦争できる国になりま
す。
わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、武器を持ってよその国にでかけるようになります。
せめられそうだと思ったら、先にこっちからせめる、とも言うようになります。
戦争のことは、ほんの何人かの政府の人たちで決めていい、というきまりをつくります。
政府が、戦争するとか、戦争するかもしれない、と決めると、テレビやラジオや新聞は、政府が発表した
とおりのことを言うようになります」
そして、国民の監視、密告奨励、戦時体制下での軍隊への協力義務、軍備増強のための増税、憲法改正へと、平和憲法の国から戦争のできる国へと変貌していく過程が描かれる。そして、終わりのほうには次のような言葉がおかれる。
「人のいのちが世の中で一番たいせつだと、今までおそわってきたのは間違いになりました。
一番たいせつなのは、『国』になったのです」
この絵本の出版は、麻生総務大臣、石破防衛大臣、安部自民党幹事長などの顔ぶれがそろった第二次小泉内閣が先にあげた有事関連7法案の成立をめざしていたとき、忌野清志郎氏の「地震のあとには戦争がやってくる」のころとほぼ重なる。
まず2004年5月にウェブ上に公開され、つづいて6月1日に自費出版の冊子版で発行されると2カ月で3万3,000部が売れたという。そして7月に一般書籍として出版されている。有事法案に反対の立場から勉強会をつづけていたグループからうまれた「りぼん・ぷろじぇくと」というネットワークによってつくられた。こういった動きには感動させられるし、この方々には尊敬の念すら覚える。
冊子版は国会議員全員に配られ、世論調査でも50パーセント以上が反対し大きな反対運動もあったが、2004年6月4日、有事関連7法案は可決、成立した。そして9年後の今年12月6日、安倍首相は国民の情報統制に重要な役割をもつ特定秘密保護法案を可決、成立させた。悲しいかな、事態はこの絵本のシナリオどおりにすすんでいるように思えてしまう。今度こそ「地震の後には戦争がやってくる」のであろうか。
長らく秘密裏に検討されてきていた有事法制は、冷戦崩壊、ソ連崩壊をへて朝鮮半島有事を念頭に一気に表面化してきた感があるが、そのころはまだ受け身だった。攻撃されたら、侵略されたらというレベルの問題だった。ところがこの数年の動きはどうだろうか。
2012年4月、東京都知事だった石原慎太郎氏がワシントンでの講演のなかで、中国とのあいだで領有権棚上げ状態にあった尖閣諸島を東京都が買い取る計画を明らかにしたところ、たった4カ月で9万人から14億円もの寄付が集まったことがあった。
早い話が石原氏は中国に喧嘩を売ったのである。マスメディアも大きくあおり、9万人もの国民がその喧嘩を応援した。しかも、当時の民主党の野田首相は、石原氏を批判することもなくさっさと国有化してしまった。野田氏もまた、好戦的な日本人のひとりかもしれない。
日本政府は石原氏が売った喧嘩に乗ってこのとき中国を敵と定めたのであり、マスメディアも多くの国民もそれに同調した。中国と話し合って棚上げにもどすべきだという意見もあったが、大きな声にかき消されてしまった。このころから中国を非難する報道、中国の負の部分をことさらあげつらうような報道が、テレビ、新聞、週刊誌上で目立つようになり、まさに敵は中国だと言わんばかり、あたかも政府から指示があったかのごとくである。
昨年12月、自民党の安倍政権へと移ったが、南西諸島への自衛隊配備など中国の鼻先に銃口を突きつけるような計画がすすめられ、さらに拍車がかかっているようだ。日中関係の悪化がいわれるが、日本側からけしかけているようにしか思えない。
最近の中国の防空識別圏の設定も日本が売った喧嘩へのお返しにすぎない。もともと日本の防空識別圏はアメリカ(GHQ)が一方的に設定したもので、アメリカも強く抗議できるはずもなく事実上認めるしかなかった。アメリカ、東南アジア各国の航空会社は中国へ飛行計画書を提出しているが、日本の航空会社は一度提出しながらも政府の指示で撤回している。しかも、北方4島はロシア、竹島は韓国の防空識別圏に取り込まれていながら、抗議の相手は尖閣諸島を取り込んだ中国のみというのも分かりにくい。先のASEAN特別首脳会議でも安倍首相の主導で中国包囲網をつくろうとしたが、ASEAN諸国は応じることはなく、日本のひとり騒ぎでおしまいというありさまで、日本の孤立感が増しているようにしか思えない。
連日のように武器輸出三原則見直し、NSC法、特定秘密保護法、中期防衛力整備計画、共謀罪、国家安全保障戦略、新防衛大綱などの文字が躍る。110年前に木下尚江が書いたままの日本である。数万人規模のデモをやろうが、90歳の老人たちまでがデモに出てこようが、国連の機関やノーベル賞受賞者、憲法学者たちが抗議声明を出そうが、本会議場に靴を投げ込もうが、まったく政治に影響をおよばすことができない。平和憲法をもつ日本が、国会のなかで民主的な手続きを踏みながら、軍備を増強し確実に戦争へと近づいている。
「何のための戦争なのか、国民はまるで分からない。最初から秘密だったからです」(むのたけじ談『東京新聞』2013年11月28日付)。戦争は国民に相談などせずに、ある日突然始められるものだそうだ。もしや今度の戦争は、戦争が始まったことすらまったく報道されず、気がついたら頭の上を戦闘機がブンブン飛んでいることになるのかもしれない。
日本国憲法前文には「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とある。われわれは本来なら排除されるべき法令をもちすぎてしまってはいないだろうか。あまりにも日本国憲法をないがしろにしていないだろうか。自民党憲法草案などけっして認めてはならない。もう一度日本国憲法に立ち返らなければならない。必要ならば、憲法に抵触する疑いのある自衛隊のあり方をふくめて検討し直してもよいとは思うが、いまの安倍政権下ではやめたほうが賢明のようだ(安倍首相の靖国神社参拝のニュースが飛び込んできた。12月中旬にもアメリカ側から忠告されていたというが、それを押し切っての参拝だというから、アメリカからの反応も早かった。自滅となるだろうか)。
今年の5月、安倍政権の動向にいち早く危機を察した「りぼん・ぷろじぇくと」から、新たなメッセージがホームページに掲載されているのを最近になって知った。
「残念ながらこの本で予言された未来は、着実に現実となりつつあるのではないでしょうか。私たちに残
された時間は、もうあまりないのかもしれません。
それでも、まだ道は残されています。私たちが気づき、変えていくことの出来る未来がきっとあります。
この国を愛するひとりでも多くの人たちが、『戦争をしない未来を選びとる』ことを、私たちは願ってや
みません」
(2013/12)
<2013.12.26>
日比谷野外音楽堂にて(2013年12月6日)