いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第105回:さらば! Dirty Olympics  

 なんということであろうか。数週間後には東京オリンピック・パラリンピックの開会式だというのに、驚くほどの静けさである。
 1964年の東京オリンピックのとき、小学6年だったぼくは、あの雰囲気をよく記憶している。ぼくが暮らしていた秋田の田舎町でさえも、どこへ行っても「オリンピック音頭」が流れていた。張りのある三波春夫の歌声である。調べてみると、正確な曲名は「東京五輪音頭[とうきょうごりんおんど]」である。10月の開催だったから、夏の花火大会でも盆踊りでも盛んに流れ、踊られていた。
 YouTubeで確認してみると、石川さゆりや加山雄三が登場する「東京五輪音頭2020」があるのだが、街でもテレビでも聞いたことがない。どうにも盛り上がりに欠けるオリンピックである。それもそのはず、世間はそれどころではないのだ。新型コロナウイルスは第5波かともいわれ、このままオリンピック突入では、選手村を含めて東京が感染者であふれることを危惧している。それに加えて静岡県熱海市の土石流である。家が流され死者、安否不明者が多数出て捜索中である。本当にオリンピックをできるのかと、誰もが危ぶんでいるはずだ。
 東京新聞による都民意識調査では、開催中止が42.4%、無観客が25.3%、観客数を制限するが23.8%である(『東京新聞』同年6月29日付)。土石流被害以前の調査でもこういう結果である。
 天皇も同様だった。間接的ながらも発せられた天皇の声には、憲法とのからみで懸念もあるようだが、生身の人間としての自然な心情だろう。その2日前には菅義偉[よしひで]首相による内奏が行われたというが、根拠の希薄な「安心、安全」の話に、よけいに不安を覚えた可能性がある。

 IOCのトーマス・バッハ会長の評判がよろしくない。『ワシントン・ポスト』紙には「ぼったくり男爵」と、コロナ禍での開催強要を批判されていた。よく言えば「やり手ビジネスマン」、悪く言えば「お金に汚い」というのが本国ドイツでの評価である。広島を訪問したい意向だが、新型コロナの感染状況とあわせ、いまの雰囲気ではとても歓迎されるはずもない。バッハ会長にはそういう心情が理解できていないらしい。
 オリンピック開催が1年延期となったせいであろうか、IOC幹部たちの勘違いしたかのような厚遇要求があからさまにされたうえ、傲慢な発言もあって、聞く者たちを呆れさせることになった。
 演出家の宮本亞門氏が、オリンピック招致の裏側を告発したのには驚いた。
 「東京の招致決定後、あるトップの方とお会いした時、招致が決まった会場で、裏でいかに大金の現金を札束で渡して招致を決めたか、自慢げに話してくれたのです。驚いた私は『それ本当の話ですか?』と言ったら笑われました。『亞門ちゃん若いね。そんなド正直な考え方で世の中は成り立ってないよ』」(『日刊ゲンダイ DIGITAL』同年6月20日付)。JOC前会長の竹田恆和氏は、まさにその疑惑で辞任したのだが、フランス検察当局による捜査は継続中のはず。IOCはコメントを拒否している。

 バッハ会長が不用意に使った「犠牲」という言葉で炎上し、慌てて訂正したことがあった。「犠牲」という言葉で、国立競技場そばにあった都営霞ヶ丘アパートを思い出してしまったのだが、あそこは犠牲の典型ではなかったか。
 霞ヶ丘アパートの住人たちは老朽化した建物の改修を求めていたのだが、願いかなわず、新国立競技場建設のために立ち退き、取り壊しとなり、最後まで残っていた150世帯の住人たちは改築された都営神宮前アパートや若松町アパートへと移された。高齢で、隣近所のひとたちとも離れてしまうなどの環境の変化もあって2、3年で亡くなった方も少なくなかった。結果をみれば、新国立競技場はザハ案が退けられて当初の規模は縮小され、建て替えて残すことも不可能ではなかった。そもそも国立競技場自体建て替える必要もなかったものだった。
 哲学者の内山節[たかし]氏は、1964年の東京オリンピックのときには中学生だった。オリンピックに関連し、彼の家近くの道路の拡幅工事のために、道路沿いの住人たちは立ち退きを迫られた。最後まで拒否した1軒の家だけを中洲のようにのこして幹線道路は完成し、横断歩道もつけてはくれなかった。その家の住人は車が途切れた隙に道を駆け足で横切って家に飛び込む有様で、やむなく立ち退きに同意した。その様子をずっと観察していた中学生の内山氏は、オリンピックを冷めた目で見ていたという。
 「オリンピックには、スポーツの祭典という言葉だけでは語れない問題が存在しているのである。今年の東京オリンピックは現政権が選挙に勝つための開催になってきた」。それは「政治のための祭典でもある」と指摘している(『東京新聞』同年6月20日付)。
 G7から帰国した菅首相は、全首脳からオリンピック開催で支持を得られたと胸を張った。そもそもオリンピックの開催など、G7での議題になる性質のものではない。「結構じゃないですか」という社交辞令程度のものだ。いったい自国民の民意と外国首脳の相槌のどちらを優先するというのか。今回のオリンピックほど政治色が露わになった大会はなかったのではないか。
 こんなオリンピックでも、まだ開催を望む都市、国があるのだろうか。内山氏はオリンピックの廃止を提言している。オリンピックなど、そこに暮らす住人を追い出してまで開催するほどのものではない。なにか勘違いしているIOC幹部たちや商業主義、政治からも距離をおいた、純粋にアスリートのための「スポーツの祭典」を新たに考えてみてはいかがであろうか。
 『TIME』誌が「Dirty Olympics」という特集を組んでいるという。それはそれはとネット上を探してみたところ、作者不明、表紙写真の洒落たパロディであった。  (2021/07)


<2021.7.6> 

新国立競技場(2020年11月撮影)/写真提供・筆者

『TIME』誌表紙のパロディ/同上

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 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②

  
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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon