いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第111回:「認諾」とは?
財務省近畿財務局の職員だった赤木俊夫さん(当時54歳)が、森友学園問題の公有地売却をめぐる公文書改ざんを上司から命じられ、自ら命を絶ったのは2018年3月だった。妻の雅子さんは国などを相手取った裁判で、改ざんの経緯を俊夫さんが記したとされる「赤木ファイル」の開示を求めていた。
当初、財務省は拒否していたが、大阪地裁の指示により2021年6月、518ページにおよぶファイルがようやく開示された。それでも、本省や財務局幹部職員以外の名前は黒塗りで隠され、誰が指示したのか特定できるものではなかった。
そして同年12月15日に大阪地裁で開かれた、雅子さんが国と財務省理財局長だった佐川宣寿[のぶひさ]元国税庁長官に損害賠償を求めた訴訟の進行協議(非公開)の場で、国は損害賠償責任を認め、約1億円の請求を受け入れて国との訴訟は終結してしまった。ただ、佐川氏への訴訟は今後も続くことになる。
雅子さん側の弁護士は、「事実を解明する訴訟だったが、非公開の協議で訴訟を終わらせてしまった。国は隠したい事実があるのではないか」と批判し、雅子さんは「負けたような気持ちだ。悔しくて仕方がない。ふざけるなと言いたい」と怒った。
『東京新聞』(2021年12月17日付)「社説」は、「相手の請求をのみ、損害賠償を支払う『認諾』という方法がある。確定判決と同じ効力がある」と解説してみせるのだが、その数行あとには「これは賠償金を払って、真相を『隠蔽』する幕引きに他ならない」「国側が訴訟の手続きを逆手に取った」「訴訟終結で証人尋問などは行われず、真相究明は遠のく。政治家や幹部職員の関与が闇に葬られるのは到底許されない」「はびこる隠蔽主義は、国民への背信行為である」と、やはり怒りを露わにしていた。
「認諾」という言葉を初めて聞いた。法曹関係以外の者には縁のない言葉であろう。しかしながら、テレビでニュースを伝えるアナウンサーは、さも以前からあることというように淡々と原稿を読み上げていた。とんでもないことが起きたという雰囲気はまったくみられなかった。そんな映像を眺めたり新聞の記事を読んだりしていると、少々ずる賢いことなのだろうが、日本のように中途半端な民主国家ではよくあることなのだろうと受け止めていた。
それにしても賠償金を支払うのは国だ。税金である。われわれの了解もなしに勝手に支払うつもりか。岸田文雄首相の決断抜きではあり得ないはずだが、判断を誤ったとしか思えない。学術会議問題、石原伸晃氏の内閣官房参与への起用、年末の2年ぶり、3人の死刑執行など、感心できない判断が続いている。これでどうして支持率が高いのか。前首相に比べ、中身はなくとも誠実そうに質問に応じているようにはみえるが。
話を戻そう。数日おいてネット上で目にした「FRIDAY DIGITAL」(同年12月25日付)の認諾関連記事の見出しには、「法曹界絶句」とあった。さらに中ほどの小見出しは「法曹界が仰天した『禁じ手』の理由」である。やはり、とんでもないことなのだ。
京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授の言葉が引用されているが、内容は、先に紹介した『東京新聞』の「社説」と重なる部分も多い。
「『認諾』つまり、訴えの全てを認めてしまえば、それ以上裁判になりません。打算的な判断です。これには、なにか不純なものがあるんじゃないか、制度が悪用されたと感じます」
さらに赤木さんの自死の際、国会での調査ができなかった。強力な安倍政権が長く続いたことにより忖度がはたらき、国政調査権が機能しなかったのだという。ドイツなど諸外国では「少数派調査権」があり、国会議員の4分の1の発議で国政に関する調査が可能な仕組みがあるという。政権与党の反対によりすべてが止まってしまうわが国とは明らかに違う。
日本にも「調査委員会」が設置される制度があるが、もっと公共性の高い航空機事故や医療事故であれば可能だが、今回のような個別の件では難しいという。国有地払い下げ問題や入管での人権侵害の問題でも困難らしい。
曽我部教授は、日本社会の普遍的な問題だと指摘する。組織の命令には逆らえない。組織は命を守ってはくれない。個人の尊厳よりも組織の利益が優先する社会。今回の国家賠償請求を担当した国側の「訟務[しょうむ]検事」も組織の人間である。
「国は真相を究明させないためには、こんな突然の方針変更も厭わない。もし、私が法務省の中の人だったら良心がとがめます。しかし、勤め人である現場の訟務検事は、認諾を決めた上層部に従わざるをえないでしょう。法務省の職員たちも、組織の人ですから」
このような件は、ひとごとではなくみんなに関わってくる問題で、雅子さんが実名を出して訴えていることが重要。理不尽なことがあれば、とにかく声を上げていくことしかなく、曽我部教授は雅子さんの勇気を高く評価するという。
ところで「少数派調査権」のような制度が、どうしてわが国にはないのか。それを整備するにはどうしたらよいのか。曽我部教授もそこまでは踏み込んでくれていない。
わが国では、あらゆる法律は国会での審議をへて成立する。つまり政治家にすべてを託しているのだ。公職選挙法や政治資金規正法など、政治家の選挙活動、身分・処遇に関する法律までも政治家に委ねてしまっている。はたして国会議員の圧倒的多数を占める政権与党が、自分たちに不利になるような、少数派の権利を認めるような制度を認めるであろうか。まず、そのしくみから改めなくてはならない。
いつも絶望的になってしまうのだが、少なくとも政治家から独立した委員会のような組織によっても、法律を審議・成立させることが可能なしくみが必要なのだ。そういった組織なしには、「少数派調査権」のような制度はできない。問題はそういう動きをどのようにつくるかということだが、いまのマスメディアを覆う沈滞した空気のなかでは望むべくもない。なにか方法を考えねばならないのだが。 (2022/01)
<2022.1.13>
財務省本庁舎(国土交通省HPより)