いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第61回:幻想としての核
9月20日、ニューヨークの国連本部で「核兵器禁止条約」の署名式が行われた。この条約は核兵器の開発や使用を国際的に違法とし、被爆者の苦しみにも言及したもので、7月に122の国と地域の賛成で採択された。初日だけで必要となる50カ国が署名を済ませたが、批准後90日をへて発効となる。日本政府はこの条約に一貫して反対しているため、署名式を欠席した(『東京新聞』2017年9月21日付、同日付夕刊)。
さらに10月に入ってノーベル平和賞の発表があり、核兵器禁止条約採択への貢献が認められ国際NGOの国際核廃絶キャンペーン(ICAN)の受賞が決まった。ICANのベアトリス・フィン事務局長は「広島、長崎の被爆者全員へも与えられる賞だ」と述べ、核兵器禁止条約採択に果たした被爆者たちの貢献を強調した(『東京新聞』同年10月7日付夕刊)。
関連報道はまだ続く。
10月27日、国連総会第一委員会(軍縮)において、日本主導で提出した核兵器廃絶決議案が144カ国の賛成を得て採択された。核兵器禁止条約の採択には一切言及せず、アメリカの意向を反映して、核兵器使用の非人道性をめぐる表現が例年よりも大幅に後退した内容だったこともあって、多くの批判が投げかけられるなかでの採択だった。これは日本が1994年から毎年提案している決議案だが、賛成は昨年より23カ国減り、棄権が10カ国増えて27カ国、賛成数は2003年以降で最低となった(『毎日新聞』同年10月28日付、『東京新聞』10月29日付)。
今年の3月、国連本部で開催された核兵器禁止条約制定交渉会議において、日本政府は不参加を表明した。空席となった日本代表の席に大きな白い折り鶴が置かれた様子が新聞でも紹介されたが、その翼には「Wish you were here [あなたがここにいてくれたら]」と書かれていた。この折り鶴を置いたのがノーベル平和賞授賞となったICANだった。ICANはこの交渉に貢献した国に対して平和の象徴としてその折り鶴を贈っていたのだが、日本にだけは「参加してほしい」という期待を込めて特別に贈っていた。ICAN関係者は、同条約に参加しようとしない日本政府に対して「被爆者への背信行為」と批判のうえ再考を求めた(『東京新聞』同年3月30日付、10月10日付夕刊)。
この条約に不参加だったのは日本だけではない。米ロ英仏中の5カ国やインド、パキスタンなどの核兵器をもつ国、日本と同様にアメリカの核の傘の下にあるカナダ、ドイツなどNATO加盟国、オーストラリア、韓国なども不参加である。
ただ、この条約採択における日本の被爆者たちの貢献は小さくなかった。それはノーベル平和賞の授賞式に広島・長崎の被爆者が1名ずつ出席するほか、カナダ在住の広島での被爆者サーロー節子氏がフィン事務局長とともに受賞演説することからも明らかだ。それにもかかわらず日本政府はアメリカの「核の傘」にしがみつき、後ろ向きの姿勢を変えることはない。「被爆者への背信行為」と批判される所以である。
河野太郎外相は「核廃絶という思いは共有するが、日本政府のアプローチとは違う。核保有国、非保有国の橋渡しをして究極的な核廃絶に向けて前進したい」と強調し、安倍晋三首相は「北朝鮮の危機のある中で核抑止力を否定してしまっては(米国の『核の傘』の下にいる)日本の安全を守り切ることができないと判断した」と述べている(『東京新聞』同年9月21日付、10月12日付)。
その「日本政府のアプローチ」について河野外相は、「核兵器の保有を米ロ中英仏の五カ国に限る核拡散防止条約(NPT)を重視している。他国への拡散を防ぎつつ、保有国の核兵器を減らす」というものだと説明する。はたして日本政府が主張するような核兵器削減は可能なのか、そして「核の抑止力」「アメリカの核の傘」有効なのか。
まず、世界の核兵器のほとんどを保有するアメリカ・ロシア2大国みずからの大幅削減なくしては「核拡散」は止まらないだろう。1940年代から70年代にかけてアメリカ、ソ連、イギリス、フランスが核兵器を開発し、わずかに遅れて中国も手にした。自分たちはよくて遅れてやって来たお前たちは駄目だなどという論理は通るはずがない。NPTを無視してでも核開発に突きすすむ国が出てきても不思議ではない。話し合いに持ち込みたいのなら、核大国はみずからの大幅削減が先だ。日本が「核保有国、非保有国の橋渡し」をするというのなら、トランプ、プーチン両大統領と親密だという安倍首相が説得に乗り出すべきだ。安倍首相のノーベル平和賞も夢ではないだろう。
アメリカとソ連が直接軍事衝突することなく冷戦期を乗り越えられたのは、互いに核兵器を保有していたためだといわれる。それを核抑止力というのであればそうかもしれない。しかし、追い詰められた者はなにをするかわからないという論理でいけば、核のボタンが押されることがないとはいえない。その程度のものが抑止力などといえるのであろうか。
そして核の傘はどうか。非現実的なことだが、北朝鮮が日本に対して先制核攻撃をしたとする。アメリカは日本のために北朝鮮への核攻撃を開始し、核弾頭を装備したミサイルの撃ち合いになるだろうか。これは大統領の一存で決まることではなく、議会の承認を要することである。在日米軍基地が標的となった場合にはアメリカは参戦せざるを得ないだろうが、たんに日本が攻撃を受けただけでは積極的に参戦することは考えにくい。核の傘などおそらく幻想である。
そうであれば、日本も自前での核武装となるのだろうか。保守系の一部議員が呟いては時折報道されている。いま北朝鮮がすすめている核開発は核抑止力を信じ、国際的な発言権を求めてのものだ。しかしながら、NPTもあって国際社会からの抵抗も大きく、容易ではないことはいまの北朝鮮をみれば明らかだ。
ここで日本国憲法の精神に立ち返ってみよう。被爆地のひとつ長崎市が2007年から提案してきている「北東アジア非核兵器地帯条約」がよいお手本になりそうだ。同市のホームページでみることが可能だ。
非核兵器地帯条約とは、ある区域内の国々が、核兵器の製造、実験、取得、保有などをしないことを約束するもので、すでに南半球の国ぐにを中心に、1967年のラテン・アメリカ核兵器禁止条約をはじめ、南極条約、南太平洋非核地帯条約、アフリカ非核兵器地帯条約、東南アジア非核兵器地帯条約など4つの非核兵器地帯条約が結ばれているという。
その北東アジア版、つまり日本、韓国、北朝鮮をふくむ北東アジア地域を「非核兵器地帯」にしようというものである。核兵器を禁止する地域の範囲や、核兵器を所有する中国、ロシア、アメリカとの関係によって数種類の案が検討されていたが、北朝鮮が核保有を表明したため新たな展開が必要となってきたとはいえ、よいヒントにはなるだろう。
長崎大学核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授が、日本のあるべき姿について明解に述べているので、それを引用しておきたい。
「本来であれば、日本は米国の傘への依存度どう下げていくかを考え、東アジアの安全に寄与する議論をすべきなのに、実際は『目には目を』の核武装論が広がっている。今の状況で、被爆国の日本が核武装を論じること自体が、挑発を続ける北朝鮮と同じレベルに立って、やっぱり核兵器はなくせない、必要なんだと、世界にメッセージを発するのと同じことだ。結果として、核兵器の価値を高めることになり、その責任は大きい」(『東京新聞』同年9月16日付)
だが、どうしても悲観的にしかなれないのだ。もし、いま「核の傘」に関する世論調査を行ったとしたら、多くのひとびとは「核の傘は必要」と答えるにちがいない。日米安保条約・日米同盟と同様にである。 (2017/11)
<2017.11.14>