いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第90回:動きはじめた検察
いまだ世界は、新型コロナウイルス禍のなかにいる。日本の場合、検査数は以前より増えたとはいうものの、抑えられている実態は変わらず、東京都では「ベッドの空いた分しか検査しない」という、ある都議の発言がツイッターに紹介されていた。つまり、日々発表される感染者数、死亡者数は氷山の一角でしかない。まったく実態がつかめていないのだが、どこかで判断を誤ったのである。日本の医療は「世界の最高水準」と聞かされてきたが、相当お粗末なもののようだ。そして巷では、「医療崩壊」「生活崩壊」という言葉さえ聞こえはじめてきているのだが、いったいどうなるのであろうか。
そんなさなかだが、検察の動きが激しくなっている。ここ数年、とくに政治家絡みの疑惑や事件があろうがほとんど動きをみせることもなく、その存在すら忘れられていた検察が、ようやく動きはじめた。
年が明けて間もない1月15、16日、広島市内にある河井案里参議院議員、夫の克行衆議院議員の各事務所、夫妻の自宅マンション、両氏の公設秘書の自宅や陣営スタッフの自宅など計8カ所に、広島地方検察庁は東京地検や大阪地検特捜部からも応援を得て一斉捜索に入った。
発端は、2019年7月の参議院議員選挙で広島選挙区に立候補した案里氏が、車上運動員へ規定以上の報酬を支給していたことが明らかになり、運動員買収疑惑が持ち上がったことによる。公職選挙法による車上運動員への報酬は日当15,000円だが、この金額で引き受ける人はおらず、規定以上の支給は「商慣行」として定着しているらしい。要するに、他の候補者たちは証拠が残らないように上手く処理しているのだ。
それがどうして表面化したのか。党内抗争とか、秘書へのパワハラの反逆といったことがあるようだが、この選挙運動を仕切っていたのが案里氏の夫の克行氏であることもあって、夫妻ともども疑惑が増してきていた。ただ、夫妻とも自民党所属の現職議員であり、安倍晋三首相に近いということもあり、あまり大きな問題にはなりそうにもないと思われていたが、『中国新聞』(2020年1月22日付)が報じた1億5,000万円疑惑が拍車を駆けることになった。
参院選公示前の昨年7月、河井案里氏と克行氏が支部長を務めるふたつの自民党支部に対して、本部から計1億5,000万円が渡されていた。同選挙区で、党公認を得て立候補し落選した溝手顕正氏に渡された資金は1,500万円で、党関係者からさえも「異常な額」との指摘があった。溝手氏は安倍首相批判を繰り返してきていたので、安倍首相による河井夫妻への肩入れとしかいいようがない。
その後、河井夫妻はもちろん、地元県議・市議関係者の取り調べもひろく進められ、なかには克行氏より20万円入りの封筒を受け取ったと証言する町長まで出てきているので、もう誤魔化しようもないだろう。
ただ地検レベルでは国会議員の捜査には手が出せないものらしいが、今回の検察の本気度の背景には検事総長の意思があるという。当然、夫妻に渡された血税1億5,000万円の使い道は徹底的に調べられることになる。
政府は1月31日の閣議において、2月7日付で定年退官する予定だった黒川弘務東京高検検事長について、6カ月の勤務延長を決定した。検察庁法では検事総長の定年を65歳、検事長以下の検事は63歳と定められており、黒川氏は2月8日に63歳を迎える。
検事総長は、近年の傾向としておおむね2年で交代しているが、本人の意思によっては65歳の定年まで居続けることも可能である。2018年7月に検事総長になった稲田伸夫氏は今年の7月で2年になり、官邸側は黒川氏を次期検事総長に推していた。そのためには、黒川氏の定年退官の2月7日以前に稲田氏が退任してくれればよかったのだが、稲田氏はそれを拒否した。
そもそも法務省の人事案では、次期検事総長は黒川氏と同期の林真琴名古屋高検検事長の起用だった。黒川氏は2月で定年退官し、後任に林氏をあて、林氏が63歳になる7月30日までに稲田氏が検事総長の座を譲る予定だった。
通常、こういった省庁の人事に政府は異を唱えることはしない。何か言いたくとも、そこはぐっと堪えるものだが、安倍政権はどうしても口を出したかった。そこで、稲田検事総長は黒川氏の検事総長就任に待ったをかけたのである。それに対抗して官邸側が持ち出したのが、検察庁法を無視し国家公務員法の解釈変更による黒川氏の定年延長という、あまりにも荒いやり方だった。
当然ながら法曹関係者からは違法の声があがったが、内閣法制局長官は「ウチは意見を聞かれたときに意見を言うだけ。責任は現用官庁にある」と逃げ、法務大臣は解釈変更の理由をまともに答えることもできないまま、政府は問題なしで押し切った形になっている。
黒川氏こそ、まさに検事総長として官邸が渇望する人物なのである。黒川氏は検察首脳として共謀罪実現に奔走したほか、甘利明前経済再生担当相の口利きワイロ事件のもみ消し、森友学園問題において財務省の公文書改竄事件で佐川宣寿元国税庁長官ら関係者全員の不起訴処分を主導したとされる人物で、「安倍政権のスキャンダルをもみ消す官邸の番人」とも「政権の守護神」とも呼ばれている存在である(「東洋経済 ONLINE」同年2月8日付)。
先にも述べたように、検事総長の定年は65歳である。現検事総長の稲田氏は65歳になる前日、つまり2021年8月13日まで務めることが可能である。まさか、就任2年の今年の7月での退官など考えにくいのだが、いかがであろうか。
いまの状況では、次期検事総長を期待された林氏は7月30日での退官は避けられない。6カ月延長となった黒川氏は8月7日がリミットである。稲田氏が7月で退官するなら官邸の望む黒川検事総長の誕生となるのだが、それがなければ黒川氏も検事総長になることなく退官となる。すべて現検事総長の稲田氏の意思にかかっている。
コロナ禍中にある4月16日、国会では3月に提出されていた検察庁法改正の審議がはじまった。現在63歳の検察官の定年を65歳に引き上げたうえ、政権さえ認めれば定年を超えて勤務できるという政府案には呆れ返ったものだが、執行は2022年からの段階的なものになる。もし仮に稲田氏が8月7日までに退官し、黒川氏が検事総長に就任するなら、政権が望むかぎり黒川検事総長の時代が続くことになりそうだ。
日本弁護士連合会はすでに声明を出していて、黒川東京高検検事長の定年延長を認めた閣議決定の撤回を求め、検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案へ反対を表明し、「法の支配と権力分立を揺るがすものだ」と批判した。
これまで事件捜査に慎重だった稲田検事総長が、河井夫妻の捜査を指示したのは、安倍政権への意趣返しともみられている。動機はどうであれ、検察はやるべきことは徹底的にやってもらわなくては困る。「どうせ検察は、動きっこないよなー」などと言われるようでは困るのだ。
ここに稲田氏の検事総長就任時の言葉から引用しておく。
「検察の使命は、厳正公平・不偏不党を旨としながら、迅速適正に、犯罪の真相を解明し、罰すべきものがあれば、これに対して公訴を提起し、適正な刑罰が科されるようにすることにあります。このことによって、社会秩序を維持し、安全・安心な社会の実現に貢献できるものと考えております」
河井夫妻の捜査だけではあるまい。桜を見る会の疑惑もあるし、森友学園問題も新たな資料が出てきているのだから、捜査のやり直しも必要と思われるのだが、動きはじめたという報道はまだみられない。「さすが、検察!」とでも言われるような存在感をみせてほしいものである。 (2020/04)
<2020.4.18>
検察庁のHPより「稲田検事総長の紹介」