いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第65回:放射能汚染と付き合う
3月10〜11日の新聞紙面は凄まじかった。東日本大震災から7年、米朝会談の予測、森友文書書き換え問題、東京大空襲72年などなど。あまりのことに恐れをなし、さーっと眺めただけで閉じてしまった。
すべてをきちんと理解しようなどとは端から思ってもいないのだが、それでも少しは受け止めておきたいとは考えている。ただ、これほどさまざまな事柄が一度に押し寄せてこられては手に負えるものではない。溜め息をつきながら、数日前の新聞の気になる見出しを思い起こしていた。
『東京新聞』(2018年3月8日付)には、次のような大きな見出しが踊っていた。
「福島米『安心』まだか」
「放射能『安全』でも『風評なお』」
2011年3月の福島第一原発事故の周辺被災地や福島県のことである。やっぱり……、そしてしょうがないだろう? という思いで眺めたことを思い出した。放射能に汚染されたと思われる地域で作物をつくり出荷して暮らしていく以上、どうしても避けられない問題だろう。
みんなが福島の米や野菜を拒否したら福島の農業は完全に崩壊してしまうことになる。放射能に鈍くなった大人たちは、福島の食材をしっかり食べなくてはいけないのである。ただし子どもと妊婦には食べさせてはいけない。頭では理解していても、なかなかそうはいかないのが実態である。
栃木県の足尾鉱毒事件では足尾山中の松木村と麓の谷中村の2村が廃村となった。1911(明治44) 年4月、「栃木県北海道移住団」として谷中村をはじめとする1町6カ村、66世帯、総勢210人、第二団として1913(大正2)年に30世帯がサロマベツ原野へ入植、佐呂間町栃木という字名の部落がつくられた(林えいだい『望郷 鉱毒は消えず』亜紀書房、1972年)。
原発事故直後にはこのような移住もあるかと思っていたが、そういうことにはならず、福島第一原発を取り囲む形で大熊町・双葉町に汚染した廃棄物や土壌を貯蔵する中間貯蔵施設をすえ、ほかの地域は時間をかけて復興させる方針のようだ。要するに、事故以前と同じ田畑で米や野菜をつくって暮らしてもらおうとしているのだ。
米の放射性セシウムの基準値は1キログラムあたり100ベクレルである。2012年4月からこの基準値になった。事故直後の暫定基準値は500ベクレルだったが、100ベクレルまでと厳しくなったのである。それでも、小出裕章元京都大学原子力実験所助教によれば、事故以前は1キログラムあたり0.1ベクレル程度だったという。
厚生労働省のHPをのぞいてみよう。「より一層、食品の安全と安心を確保するため」に、一般食品の場合は1キログラムあたり100ベクレルという基準値を設定したとしている。これをどのように解釈すべきか。つまり、事故後の暫定基準値でも健康上問題はないのだが、「より一層」の安全と安心を確保するために100ベクレルに設定したと受け止められる。国としてはこれなら大丈夫と自信をもてる数値ということらしい。
原発事故以前であれば100ベクレルという数値は、放射性廃棄物処分場に封じ込めるか否かという基準だった。原発事故がなかったならば、そんな危なかっかしい数値のものを口に入れても大丈夫などという話はなかったはずだ。そういうものを安全とか安心とか言われても途方に暮れてしまう。さらに「風評」という言い方にも反発したくなってくる。
「セシウムボール」についての報道があった。福島第一原発から5キロメートル圏内の土壌からセシウムボールが見つかったという。球形、溶岩状、細長いものなど形状はさまざまなガラス質で、かろうじて肉眼でも見えるくらいの小さな物体だという。
これまでは、原発から放出された放射性セシウムは水に溶けやすく、環境中では徐々に薄まっていくと考えられていた。ところが水に溶けにくいセシウムが見つかったのである。川でも発見されていることから、水に溶けることなく土から川に移動し海まで到達しているものとみられる。周辺環境に与える影響は少ないというが、体内に入ったらどんな影響を与えるかまだ不明だという(「TBS NEWS」同年3月7日付)。
事故を起こした原発の地元5町村の公立小中学校は、この4月から再開を予定しているのだが、通学予定の生徒数は事故前の3%にとどまるという。放射能からの長期の避難によって、避難先に生活の基盤が移ってしまったことが大きな原因だが、地域によってはまだ放射線量が高いところもあるという(『東京新聞』同年3月9日付)。
結果的に鉱毒事件の谷中村の移住に近いことになっているが、避難先に生活基盤ができているのであれば、子どものいる家庭は戻らないほうがよいのだろう。ぼくは65歳。このくらいの年齢なら、もうどうなってもよいのだが。
このような放射能汚染は事故周辺地域にかぎらない。数年前から気になっているのだが、放射能測定器やRO浄水器(逆浸透膜浄水器)の販売・測定検査を行っている (株)シーデークリエーションという会社がある。原発事故後、水道水中の放射性物質が騒がれたことがあったが、この会社ではシャワーのヘッド部分にゼオライトを入れ、一定期間使用したうえで放射性セシウムを測定してみたところ思いのほか高い数値となったという。
現在、飲み水の放射性セシウムの基準値は1キログラムあたり10ベクレル。米などの一般食品よりも厳しい。東京都の金町浄水場発表の2017年1月の放射性セシウムの値は、セシウム134、137とも検出限界値(0.6〜0.8)以下で検出されていない。
それではこの会社のHPから、墨田区のある家庭の例を取り上げる。2016年12月初旬から2017年3月下旬まで、通水量21,000リットルで、放射性セシウム合計179.84ベクレル。これが100日ほど流した水道水からゼオライトが除去した放射性セシウムの濃度である。食品であれば体内に入れてはいけない数値である。
シャワーの水は飲んでいるわけではないから問題ないと思いがちだが、シャワーや風呂を通して体内に取り込む化学物質の量は、口から入るよりも6〜100倍多いというアメリカのピッツバーグ大学の水質学教授の報告もあるので安心できない。
(株)シーデークリエーションではこういった実験を繰り返し、2016年11月にセシウム除去用シャワー浄水器(CDSW-01)を開発、発売にいたったという。購入するかどうかはともかく、日々の生活でこのような物質を体内に取り込んでいることは自覚しておいてよい。
ある程度の年齢の人間ばかりなら、長期にわたる人体実験だなどとのんびりかまえていてよいのであろうが、若者まで巻き込んでよいのかどうか心配になる。しかし、国の方針にしたがえば結果的にそういうことになる。
電力余力は例年、冷房が使われる夏にもっとも低くなるらしいが、昨年夏は福島第一原発の事故前の2010年を大幅に上回っていたことが明らかになった。再生エネルギーの拡大や節電意識の定着してきた結果だという(『東京新聞』同年3月8日付)。
電力には充分に余裕があるので、もう原発は不要だということである。それでも3月14日、大飯原発3号機が再稼働された。福島の事故後に再稼働された原発は、高浜原発3、4号機、伊方原発3号機(現在点検中)、川内原発1、2号機だが、さらに5月には大飯原発4号機が予定されている。適合となった原発の再稼働が国の方針だし、高速増殖炉もんじゅは断念したが、核燃料サイクルの技術開発は継続する。
しかしながら、今後事故が起きないとは断言できないにもかかわらず、避難計画は充分とは言いがたい。事故が起きれば周辺住民の受ける影響は大きく、故郷を離れるか、汚染のなかで生きるかの選択が迫られる。電力会社や国が負う事故処理関連費用も莫大である。採算が合わないことも、稼働によって出る放射性廃棄物の管理が不可能に近いことも、世論調査で将来的に原発ゼロが圧倒的に多いことも国は承知のうえだ。
1月17日、今年7月16日に30年の満期を迎える日米原子力協定の自動延長が決定した。この協定が原発ゼロを不可能にしているという意見もあるが、正確なところはわからない。おそらく今後も放射能と付き合いながら生きていくことになるが、少なくとも大きな原発事故が起きないことを祈りたい。そしてなによりも、日本の原子力政策を大きく変換できる政権を望みたい。 (2018/03)
<2018.3.18>
足尾・旧松木村跡(1981/04)<写真提供・筆者>
旧谷中村跡(1981/03)<写真提供・筆者>
福島第一原発から20キロ圏内(2016/11)
「J-POWERによる仁賀保高原風力発電所(秋田県にかほ市、2013/09)<写真提供・筆者>