いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第143回:ベラルーシの日本人スパイ
東欧の国ベラルーシといえば、さほど注目される国ではなかった。それが2022年2月のロシアのウクライナ侵攻以来、同盟国として一貫してロシア(プーチン大統領)に寄り添うルカシェンコ大統領の姿は、テレビや新聞を通してすっかりお馴染みだ。
そんなベラルーシで9月4日(現地時間)、日本の民間人がスパイ容疑で拘束されたというニュースが流れた。しかも、その翌日には国営放送で特別番組まで放映されたという。
その日本人は50代の中西雅敏氏。同国南東部にあるゴメリ国立大学で日本語教師をしていたところ、この夏に労働規律違反で解雇、現地時間7月9日、出国前に拘束された。現在は国家保安委員会の拘置施設に収容されているという。拘束されてから公表まで2カ月も要している。おそらく慎重な取り調べが行われたはずだ。
放映された16分間の特別番組「東京から来たサムライの失敗」について、「日テレNEWS」(2024年9月6日付)が詳しく紹介していた。
中西氏とみられる人物が複数の男たちに両手両足を抱えられ、ワゴン車に押し込まれるシーンから始まり、手錠を後ろ手にかけられ情報機関KGBによって連行される様子や、施設の廊下を歩く様子が流されたほか、2021年に中西氏が国営テレビの取材を受け、「ベラルーシの人々が、日本のような遠い国の文化に興味を持ってくれることを、とてもうれしく思います」と述べるシーンもある。
さらに、ウクライナとの国境付近での情報収集のほか、軍事施設を含む9,000枚以上の写真も撮影していて、日本の情報機関に渡す予定だったという。これらの行為について中西氏自身が、犯罪であることを理解していると述べている。
中西氏は番組のなかで、自分が連絡を取っていた日本の情報機関関係者を明かしていて、その人物の表の顔は長野県の会社経営者だという。証拠として関係者との間でやりとりされた日本語のメッセージ(LINE)も紹介されている。そこではただの挨拶程度のものが、犯罪とするのに都合のよい内容のロシア語に誤訳されて紹介されていた。
「日テレNEWS」が当人に取材したところ、中西氏の知人であること、連絡を取ったことは認めたものの、スパイについては否定している。紹介されたメッセージのやり取りも2、3年前のものだという。
いまのところ、現地の日本大使館員が中西氏と面会し、健康上の問題がないことを確認した程度でとどまっていて、真相はわからない。林芳正官房長官は、ベラルーシ外務省に抗議したことを明らかにしている。
同様の事案は、時折報道されるのを目にすることがある。2023年3月にアステラス製薬現地法人幹部の日本人が、帰国する際に中国国家安全局に拘束され、今年8月、スパイ罪で起訴されたというニュースがあった。
ところで、昨年読んだ気になる記事があるので紹介する。書き手は筑波大学名誉教授で、中国問題グローバル研究所所長遠藤誉氏。今年83歳になるが、頻繁にブログを上げているところから察するに、まだまだ健康である。
「習近平が反スパイ法を改正した理由 その2」(2023年7月4日付)という記事のなかで、気になる当該部分を次のように書きはじめている。
「これまで何十年も日本国のために口外してはならないと思い、グッと呑み込んで我慢してきた。しかし、これ以上一般の日本人犠牲者が増えるのは耐えがたいので公開することを決意した」
以下、概要を紹介したい。
遠藤氏は長きにわたって法務省の公安調査庁某支部へ、報酬なしで情報提供してきたという。「何十年も」とあることから、数十年前からということである。
執拗に情報提供を求められ、「自分自身が研究を深め、あるいは海外で資料調査や取材など、学問的視点から得た知見の範囲に限」ってだが、膨大な時間と体力を消耗しながら、我が国のためになるならとの想いだったという。
それがあるとき、「研究のための出張のついでに、中国の某地点で、◯◯に関する情報を取ってきてほしい。証拠写真も撮影してほしい」と頼まれた。
遠藤氏は驚き、それはスパイ行為ではと、非常に不愉快な気持ちになって、その場ですべてを断った。その後、日本語学校や大学関係者、企業関係者で、中国に出張する際に同様の依頼を受けたひとたちがいることを知ったという。
そこで遠藤氏からの提案である。プロによる諜報活動はアメリカやカナダなども普通にやっていることだ。日本は中国人のスパイ天国でもある。しかしながら、中国で拘束・逮捕されてしまう一般の日本人があまりに多い。日本も、もっとプロの諜報員を活用して一般人の犠牲をなくしてもらいたい。
我が国の諜報機関といえば、遠藤氏が情報を提供していた公安調査庁や、内閣情報調査室、防衛省情報本部などが素人でも思い浮かぶ。詳しく調べればもっとあるのだろうが、それらがどんな活動をしているものか、おぼろげに想像するのみである。
おそらく在外公館などにも諜報員が派遣されているはずだが、目立ちすぎることを避けるため、商社の海外駐在員などに依頼することもあるという記事を読んだこともある。
今回の中西氏の件でも、新聞、テレビの報道が2〜3日ほどで終わったところをみると黒に近いようにも思えてくる。国としては、あまり掘り起こされては不都合な部分もあるので、報道を控えるよう指示したのではあるまいか。
あるひとつの例を紹介する。
約30年にわたって日中交流事業に携わってきた鈴木英司氏には、200回以上も中国への渡航歴がある。それが2016年7月、帰国しようと到着した北京の空港で国家安全局に拘束され、スパイ罪で起訴、懲役6年の実刑判決を受けて服役後の22年10月に帰国した。
帰国から半年後、以前より交流のあった天木直人氏が事情を聞いたときの内容がメルマガに紹介されている(同氏メルマガ、2023年4月24日付)。
鈴木氏には国の機関からの依頼で行動したという事実はなく、そういう意味では冤罪である。しかし、依頼は受けていなかったとはいえ、公安調査庁に複数の知り合いがいて、会食したり意見交換するような付き合いがあったという。疑われてもやむを得ない部分もあったのだ。しかも鈴木氏は中国でも胡錦濤派といわれるひとびとと親しく、権力争いに巻き込まれたという一面もあるという。また、日本大使館員の対応にはひどく失望したという。
駐日ベラルーシ大使館のホームページには、中西氏の件に関して国営ベルタ通信の質問に答える形で、9月9日付の外務省報道官の声明が掲載されている。それによれば、すべての捜査手続きはベラルーシの法律およびすべての国際法規範に従って行われ、捜査はすでに最終段階にあって、犯罪に対する責任は裁判所によってベラルーシの法律に従って判断されると記されている。
不幸にも、遠藤氏が強く危惧していたことが現実となってしまったのだ。拘束された中西氏の幸運を祈るのみである。 (2024/09)
<2024.9.14>
駐日ベラルーシ大使館のX上で、日本政府に対して抗議した事実を伝えるポスト(2024年9月6日付)