いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第89回:新型コロナウイルスをめぐって
つい先日、土曜日の午後だったが、必要にせまられて日本橋の百貨店に出かけた。店内は客がまばらというほどではなかった。「なんだ、ちゃんと客は入っているじゃないか」というのが素直な感想だ。
新型コロナウイルスのせいで銀座、観光地としての浅草など客もまばらといったニュースを目にしていたので、どんなものかと思ったのだが、客はまばらではなかったし、しっかり買い物もしていそうだった。ただ往復の地下鉄の車内は、明らかに乗客は少なかった。
その2日前の夜、大手ビールメーカーが運営するビアレストランに入った。気の利いたつまみがあるので、何度も利用している店だ。夕方5時半頃から7時頃までいたが、ぼくらを含めて客は3〜4組。普段であればほぼ満席になる店だから、相当厳しい。しかも店員はひっきりなしにテーブルや椅子を拭いている。可哀相なくらいだった。
もっと近く、近所を見まわしてみると、平日なのに小学生が元気にサッカーボールを蹴っているほか、出歩く人はさほど減ったとも思えない。
WHO(世界保健機関)は3月11日、新型コロナウイルスの感染について、世界的な流行を意味する「パンデミック」と認定し、各国に対策の強化を訴えた。勉強不足なぼくは、「パンデミック」なる語を知ったのは10年ほど前である。それも新型インフルエンザを通してではなかったように思うし、新聞やテレビでこの語を目にするのは、ぼくは初めてのような気がする。
そんなことを思いながら、パソコン上に保存されている情報を調べてみたところ、辺見庸氏が『週刊金曜日』のインタビューで述べたものだった。彼は本来の意味とは異なる現象について、「パンデミック」という語をあてはめて用いていた。
まず経済、自然災害、病理などの外部的な破局について述べ 、さらに人間としてのモラル、社会規範、民主主義のありようの破局、これらが世界規模で起こっているという10年前の指摘である。その辺見氏が、今回の新型コロナウイルスについて「コロナファシズム」という語を提出し、次のように記している。
「コロナが『国家』を立ち上げている。国家はコロナを奇貨として聳立している」(「辺見庸ブログ」2020年3月3日付)
たとえば新型コロナウイルスの問題がなかったとしよう。国会は桜を見る会の問題や、河井克行・案里夫妻の問題、黒川東京検事長の定年延長の問題が追及されていたはずだった。新たな資料や疑惑も出てきていたので、安倍晋三首相は相当追い込まれる状況だったにもかかわらず、新型コロナウイルス問題のためにすべて吹っ飛んでしまった。
それに加えて新型コロナウイルスの急拡大に備える改正特別措置法を成立させた。首相の判断で「緊急事態宣言」を出して私権を制限することも可能にできることが目玉だが、アメリカやスペイン、イタリアなど15の国や地域で緊急事態を宣言しているところをみると、安倍政権が容易に持ち出してもさほど違和感のない環境になりつつあるともいえる。安倍政権にとっては、まさに「奇貨」ともいうべきものだった。なんということであろうか。
およそひと月以上も前から、テレビや新聞では、日本のPCR検査がすすまないことについて取り上げられているが、いまだに改善されることはない。検査に積極的な国、消極的な国があるので、同じ土俵で数値を比較できないはずなのだが、テレビでは各国の感染者数や死亡者数を比較して、コメンテーターが感想を述べたりしている。
WHOの緊急対応責任者マイク・ライアン氏が「感染していそうな少数の人しか検査をしないのであれば、前に進めない。(中略)検査の条件を症状のある人や一定の年齢以上に限り、いまだに中国への渡航歴に結びつけている国がある」(『朝日新聞』同年3月13日付)と、明らかに日本政府の姿勢を批判している。
日本のこうした現状について、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が2月26日付ツイッターで妙な呟きを投稿していた。
「感染者を減らしたい官邸と、沢山検査したくない感染研・医系技官の思いが見事に一致しましたね。検査しないから重症例に偏り、パニックになっています。(中略)日本は蔓延国とみなされつつあります。このままでは、東京五輪はだめでしょうね」
ぼくは「ん? なんだろうな」と思った程度だったが、翌日テレビ朝日の「モーニングショー」に登場した岡田晴恵白鴎大学教授は、偶然連絡のとれた中枢にある政治家から聞いた話として暴露していた。
「私はうがった見方をしていて、オリンピックのために汚染国のイメージをつけたくないという大きな力が影響しているのかなと思って、先生方に聞いたのですが、『そんなことのために数字をごまかすほど、肝の据わった官僚はいない。これはテリトリー争いなんだ。このデータはすごく貴重で、地方衛生研究所から上がってきたデータは、全部、国立感染症研究所が掌握しており、このデータは自分で持っていたいと言っている感染研OBがいる。そこらへんがネックだった』とおっしゃっていました」
続いてこのOBは誰かと調べ上げたのが、ジャーナリストの新恭[あらた きょう]氏である。2019年3月に国立感染症研究所獣医科学部長を退任し、岡山理科大学獣医学部微生物講座の教授に就任した森川茂氏に行き着いたようだ。森川氏は現在でも感染研への発言力を維持している実力者という(「MAG2NEWS」同年3月6日付)。
岡山理科大学獣医学部、つまり2018年4月に開学した加計学園獣医学部である。感染研からは、森川氏のほかに准教授、助教各ひとりが赴任している。新型コロナウイルス騒動が、まさか加計学園に行き着くとは思いもしなかった。
ところで2月14日、中国から日本へ1万2,500人分の検査キットを感染研に無償提供されているのだが(『毎日新聞』同年2月25日付)、それが使用されたという報道がまったくない。また、ドライブスルーを含む韓国式のPCR検査を欧米各国が採用しはじめ、それが世界標準となりつつあるようだが、日本は頑なにその採用を拒否している。これらの事情もすべて「そこらへんに」がネックになっているのであろう。
こんな政府の姿勢に抗して、当初から独自に積極的な検査をしてきたのが和歌山県で、新潟市も新たに続くようだ。
新型コロナウイルスの拡大防止策を検討する政府の専門家会議について、岡田教授はテレビで「私は専門家会議のメンバーではありませんし、なりたくもありません」と話していて、思わず噴き出したことがあった。先の上昌広氏は「帝国陸軍の『亡霊』が支配する新型コロナ『専門家会議』に物申す」(「新潮社Foresight」同年3月5日付)という論考で、専門家会議のメンバーたちの出身母体について明らかにしている。タイトルにあるとおり、日本は多くの分野でまだまだ戦前の体制を引きずっていて、そこを壊さないかぎり、生まれ変わることはできないことを痛感する。
3月12日、IOCのバッハ会長はオリンピックの開催について、「WHOの勧告にしたがう」と述べたが、その直後日本政府はWHOに対して166億円の寄付を行っていて、「あまりにも露骨」と批判されていた(「共同通信」同年3月14日付)。こうした多額の寄付にもかかわらず、開催の最終判断は再びIOC側に戻ってしまったようである。
そもそもぼくは東京オリンピックには反対の立場だったが、こうした事態は予想もしなかった。新型コロナウイルスによる世界規模の混乱はこれからである。とてもオリンピックどころではなくなるだろう。そんななか、「築地の水神様や波除様の祟りだ」というツイートもあって、なるほどと思ってしまった。日本政府は潔くさっぱりと諦め、新型コロナウイルス対策に本気で向き合ったほうがよいのではないかと思う。 (2020/03)
<2020.3.18>
新型コロナウイルスの状況=2020/03/16(WHOのHPより)