いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第140回:日本最西端の島から
「国防最前線の与那国から参りました!」
憲法記念日の5月3日、東京都内で開催された公開憲法フォーラムで登壇した沖縄県与那国町町長、糸数健一氏の第一声である。
フォーラムの主催は「『21世紀の日本と憲法』有識者懇談会」(櫻井よし子代表)で、岸田文雄首相もビデオメッセージを寄せている。『産経新聞』web版(2024年5月7日付)が、その糸数氏に焦点を当てた記事をまとめていた。
およそ30年前、糸数氏がそれまで暮らしていた東京から、故郷の与那国島へ戻ったところ、島の西側3分の2が台湾防空識別圏にあることや、沖縄本島から与那国島までの509キロメートルの間に自衛隊基地も米軍基地もないことを屈辱的に感じ、防空識別圏の見直しの要望、自衛隊の誘致活動を始めたという。
小欄「55.沖縄の平和主義」(2017年5月)では、作家の立松和平氏が「与那国サトウキビ刈り援農隊」として何度か訪れたのどかな島であることを紹介した。あの頃は軍事基地をいっさい置かないことを誇りに感じていた、そんな時代だった。
2005年の町長選挙で、自衛隊誘致推進派の外間守吉[ほかま しゅきち]氏が当選。糸数氏が町議会議員となったのはその翌年だった。08年には町議会が自衛隊誘致を決議、糸数氏念願の先島諸島への自衛隊配備計画が進められる。皮肉にも09年に誕生した民主党政権がその計画を担った。途中、自衛隊誘致の賛否を問う住民投票や駐屯地工事差し止め仮処分申し立て裁判などをへて、陸上自衛隊駐屯地が新設されたのが16年だった。外間氏は町長を4期務めて21年に退任し、糸数氏が町長に就任した。
与那国島に続いて2019年には宮古島、奄美大島(鹿児島県)へ、23年には石垣島にも陸上自衛隊駐屯地が開設される。糸数氏は、先島を断固として守り抜くという政府の明確な意思表示が発信できたと、ようやく安堵したという。
「台湾は一番大切な隣国だ。旧宗主国として責任を放棄してはならない。台湾が中国に、武力行使であれ、名ばかりの平和統治であれ併合されれば、台湾海峡問題は与那国海峡問題になる。そうならぬようにする必要がある」
「旧宗主国として責任」とはいったい何であろうか。おそらく、糸数氏の妄想であろう。改めて我が国と中国・台湾の関係を振り返ってみる必要がある。
我が国と中国は、1972年の日中共同声明によって正常な国交関係を樹立した。我が国による尖閣諸島国有化以降関係が悪化したとはいえ、我が国はいまだこの声明を破棄してはいない。この声明にて、中華人民共和国は台湾が自国の一部であることを表明し、日本はその立場を十分理解し尊重したうえで、ポツダム宣言第8項の堅持も求められた。ポツダム宣言第8項は、まずカイロ宣言の履行を求めたうえで、我が国の主権範囲を定めている。そのカイロ宣言の条項で、我が国は中国に台湾を返還済みである。これが両国の基本的な立ち位置である。
糸数氏は、中国に返還済みの台湾に対して「旧宗主国として責任」を負わなければならないと主張する。台湾は我が国にとって経済的にも文化的にも大切な隣国ではあるが、それ以上に何かを言える立場にはないだろう。
台湾の頼清徳新総統の就任式に、我が国の超党派の国会議員31人が出席した。それに対し、呉江浩駐日中国大使の「民衆が火の中に連れ込まれることになる」との発言が物議を醸したが、日中間の基本的な立場から日本側が逸脱してしまっているのだ。台湾にしろウクライナにしろイスラエルにしろ、岸田文雄政権はアメリカに従うことを優先し、本来の立ち位置を見失っているように思う。
そして、講演の締めくくりが勇ましい。演壇から降りた糸数氏は、フォーラム代表櫻井よし子氏よりさぞかし絶賛されたことであろう。
「このような国家存亡の危機にひんしては超法規的措置を取ってでも国家の命運をかけ、首相はじめ国会議員はもちろん全国民がいつでも日本の平和を脅かす国家に対しては一戦を交える覚悟が問われているのではないか」
5月17日、エマニュエル駐日米国大使が与那国島や石垣島を米軍用機で相次いで訪問し、地元自治体幹部と意見交換のうえ陸上自衛隊駐屯地を視察した。駐日米国大使の先島諸島訪問は極めて異例で、米軍用機の民間空港使用自粛を要請したがすべて無視された。明らかに台湾情勢や中国を念頭においた訪問だが、わざわざ中国を緊張させるために行ったようにさえ感じられた。
この前日、与那国町町民有志が、糸数氏の講演、そして駐日米国大使の訪問など、一連の動きに対する抗議の記者会見を開いた(『琉球新報』web版、2024年5月17日付)。
「こんな小さな島で戦争の準備が進められることは許せない。(国や町長は)この島を軍事の島にしようとしている」「あなた一人の与那国島じゃない。1,700人の人が住んでいる。この人が町長では島がだめになる」
先にも触れた台湾の新総統に就任した頼清徳氏は、「台湾独立派」として中国が警戒していた人物だ。5月20日の就任演説では「台湾独立」の4文字は封印したものの、「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない」などと述べ、台湾は中国の一部という中国側の主張を否定してみせた。これに反発した中国は台湾周辺で23日から2日間、陸・海・空軍に加え、ミサイルを運用するロケット軍も参加しての大規模な総合軍事演習を展開した。
中国問題に詳しい筑波大学名誉教授遠藤誉氏によるブログ「アメリカがやっと気づいた『中国は戦争をしなくても台湾統一ができる』という脅威」(同年5月26日付)を参考にする。
習近平氏が目指すのは平和的な台湾統一だが、台湾側が独立を叫んだ場合は強引に抑え込むことになる。台湾の弱点はエネルギー資源をもたないことで、2022年のデータではエネルギー資源の97.3%を輸入に頼っている。もし台湾の港湾を封鎖し輸入を遮断すれば2週間で枯渇してしまうという。
台湾の発電源の割合(2022年)は、石炭42.0%、液化天然ガス38.9%、原子力発電8.2%、再生エネルギー8.3%だが、これでは石炭と液化天然ガスが抑え込まれればお手上げだ。石炭の在庫は39日間、液化天然ガスは11日間しかないという。
今回の軍事演習は「台湾港湾封鎖作戦」の訓練である。アメリカのシンクタンクも、ようやく最近になってこの分析に至ったらしい。
おそらくアメリカが誘い込まない限り、軍事侵攻を伴う台湾有事はない。
あの沖縄戦のとき、与那国島への米軍の上陸はなかったが、日本軍の基地を目標とした米軍機の空襲があり、島民36人が犠牲になった(ほかにマラリアでの犠牲が366人)。基地があれば攻撃を誘引することにもなる。台湾有事となれば、糸数氏たちが誘致した自衛隊基地が目標となって戦場となる。150人程度の自衛隊では島を守ることはできない。はたして、自衛隊誘致は正しかったのだろうか。
6月16日に投開票のあった沖縄県議会議員選挙で、辺野古容認派と反対派が同数となり、民意が二分される結果となった。しかも投票率は過去最低という。岸田首相は安堵したのではあるまいか。沖縄を吹く風も変わりつつあるようだ。(2024/06)
<2024.6.18>
与那国島(YouTube「国境のコトー島 与那国島の絶景を訪ねて」より〈与那国町HP「広報チャンネル」〉)
エマニュエル駐日米国大使と糸数健一氏(ラーム・エマニュエル駐日米国大使X〈2024年6月17日付〉より)