いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第144回:「ハイドパーク覚書」をめぐって
この夏、偶然のことから「ハイドパーク覚書」という外交文書を知った。匿名の「紅雲猫」氏のnote記事(2023年8月16日付)で紹介されているのを読んだ。
1944年9月18日、アメリカ、ニューヨークから北へ30キロメートルほどのハイドパークにて、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相(ともに当時)が会談を行い、このときの外交文書が「ハイドパーク覚書」であり、原本はハイドパーク郊外にあるルーズベルト大統領図書館に保管されている。
文書のタイトルは「TUBE ALLOYS[チューブ・アロイズ]」と記され、直訳すると「管状合金」とか「管用合金」となる。のちに「マンハッタン計画」に引き継がれる核兵器開発計画を指す暗号として使用されていた言葉だという。まさに原爆使用に関する両首脳の合意内容が記されたものである。
まず、「覚書」の重要な2項目について記しておく。訳文は、「紅雲猫」氏に従う。
1.管用合金の管理と使用については、国際協定を目指して、管用合金を世界に公表すべきであるとの意見があるが、この意見は受け入れられない。この問題は、極秘にし続けるべきものである。しかし、「爆弾」が最終的に使用可能となった時には、熟慮の後にだが、多分日本人に対して使用していいだろう。日本人には、この爆撃は降伏するまで繰り返し行われる旨、警告しなければならない。
2.管用合金を軍事目的、商業目的に開発する米英政府間の完全な協力作業は、日本敗北後も、両政府の合意によって協定が停止されない限り、継続されるべきである。
会談が行われた当時、ドイツは原爆開発をしていないことが判明していて、連合軍によるノルマンディー上陸作戦によりドイツの勢いも失せ、すでにドイツは原爆投下対象から消滅していた。
他方日本にとって、サイパンを含むマリアナ諸島の米軍占拠は大きな痛手となった。市民・軍人を合わせて5万人を失い、島々は米軍に占領され、戦況は一気に傾いていった。米軍はこの島々を拠点に日本本土への攻撃を繰り返しながら弱体化を待てば済む話だったともいう。すでに、日本にも原爆投下は必要ではなかった。
1945年4月12日、ルーズベルト大統領が急死。副大統領から大統領に昇格したトルーマンは、「ハイドパーク覚書」の方針を疑問の余地のないものとして、広島と長崎を対象に実行に踏み切った。
原爆投下の目的について、「紅雲猫」氏は次の3つを提示する。
・戦後を見据えて、英米がソ連に対して軍事的優位に立つため
・量産体制をととのえ、一発あたりのコストを下げる
・実際に投下し、効果を検証する
「ハイドパーク覚書」の記述には、「多分日本人に対して使用していいだろう」とある。「日本に対して」ではなく「日本人に対して」である。
この文言を書名にした本がある。岡井敏『原爆は日本人には使っていいな』(早稲田出版、2010年)である。「紅雲猫」氏の記事も、じつは「ハイドパーク覚書」ではなく、本書についての考察をテーマに据えたものだ。入手しようとしたが、古書価格があまりにも高価で断念した。
著者の岡井氏によれば、この覚書は外交文書というよりも会話のメモのようなものだという。「it might perhaps,after mature consideration be used against the Japanese」の部分も「まあ、日本人になら使ってもかまわないだろう」程度のニュアンスで、元になった会話は「日本人になら原爆を使ってもいいな」だったろうと推測している。
アメリカ社会の日系人に対する差別的な扱いは古く、日露戦争直後からカリフォルニア州で日本人移民排斥運動が起こっているという。市民権や土地所有権や借地も認められず、日本人移民男性には米市民権をもつ女性との結婚も禁じられた。そして1942年の戦時緊急措置として日系米人の強制収容へと繫がっている。
両首脳の会話もそういった背景のものであり、双方とも原爆が残虐兵器だという認識をもっていたからこそのものだ。ナチスによるホロコーストと同様の「人種差別による大量虐殺」である。岡井氏は「原爆投下は軍事行動ではなく犯罪行為なのだ」と糾弾する。
広島の原爆資料館(広島平和記念資料館)には、「ハイドパーク覚書」のレプリカと日本語訳が展示されているという。気づかなければ通り過ぎてしまうような小さな展示らしい。
原爆資料館では、訳文を当初「原爆は日本に対して使用」としていたという。岡井氏の指摘により、初めて「原爆は日本人に対して使用」と一部改められた。一部というのは、あまり目立たない部分のみ。原爆投下の意思決定の全体の流れが把握できるような文字の大きい展示では、いまだに「原爆は日本に対して使用」のままである。原爆資料館からもその旨連絡があり、最も望まぬ形で決着されてしまったという。
原爆資料館の運営主体は広島市出資の公益法人である。これらの対応は広島市によるものだろう。何か問題があれば国に判断を求めるだろうし、その結果と思われる。我が国の核戦略はアメリカの核抑止力への依存である。アメリカの加害者としての立場をより強調することは避けたいという日本政府の思惑であろう。
同じ核の話題になるが、ノーベル平和賞に触れておきたい。
ノーベル賞委員会は10月11日、今年のノーベル平和賞を広島・長崎の被爆者の全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表した。1956年の結成以来、世界に向けて被爆の実相、核廃絶を長年にわたって訴えつづけてきたことが評価された。被団協代表委員の田中熙巳[てるみ]氏が、石破茂新首相が持論とする「核共有」を、「論外!」と即座に強く批判したことが印象的だった。
長崎市の鈴木史朗市長は、「もっと早く受賞してよかった」と述べたが、当初の活動を牽引してきた谷口稜曄[すみてる]氏や坪井直[すなお]氏が亡くなっていることや、2017年に受賞したNGО「核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)」は10年しか活動をしていないことを思えばとそのとおりだろう。
フリードネス委員長は、読み上げた受賞理由のなかで、被団協の活動を「草の根運動」と形容しながらその努力を称えるとともに、「この核のタブーが圧力にさらされていることは憂慮すべきこと」と、いまの世界情勢に対する懸念も表明した。
アメリカのオバマ元大統領は、被団協への授与決定についてSNSに祝意を投稿したが、そのオバマ氏自身、2009年のノーベル平和賞の受賞者だった。大統領就任からわずか9カ月での授与決定だった。
その半年前(2009年4月)のこと、チェコのプラハでの演説で、核兵器を使用した唯一の核保有国としてのアメリカの道義的責任を認め、核なき世界の平和と安全保障を追求することを約束した。しかしながら、その後具体的な行動を起こすことはなかった。それどころか、翌年には臨界前核実験を行い、2016年5月、現職大統領として広島を訪問した際にはアメリカによる原爆投下の事実にさえ触れることもなく、ノーベル賞委員会の期待に背を向けたまま退任した。今回のフリードネス委員長のスピーチを聞きながら、ノーベル賞委員会の悔恨のようなものを感じた。
先に述べたように、我が国はアメリカの核抑止力に依存しているが、オーストラリア、ノルウェー、ドイツは、同じ立ち位置にありながらも、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加をしている。我が国もそこから始めてみてもよいのではなかろうか。(2024/10)
<2024.10.19>
投下された原爆のキノコ雲。下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。(1945年8月6日、エノラ・ゲイ乗員のジョージ・R・キャメロン軍曹撮影/「Wikipedia」より)
原爆死没者慰霊碑での安倍晋三首相とバラク・オバマ大統領(ともに当時。2016年5月27日/「Wikipedia」より)