いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第136回:朝鮮人労働者追悼碑撤去

 すでに新聞、テレビで報道されているが2月2日、群馬県は県立公園「群馬の森」(高崎市)に設置されていた朝鮮人労働者の追悼碑を撤去した。
 我が国には、戦時中に強制連行されてきたまま犠牲となった中国人や朝鮮人を悼む碑が少なくない。だいぶ以前にぼくが訪ねた栃木県足尾(日光市)にも、中国人や朝鮮人の追悼碑や慰霊塔があったのを記憶している。
 群馬県では群馬鉄山(中之条町)など3カ所の工事現場で6,000人以上の朝鮮人が強制連行された記録があり、かつて陸軍の岩鼻火薬製造所があった戦争遺跡でもある群馬の森に追悼碑が設置されていた。
 市民団体の要望をうけ、「政治的行事を行わない」という条件で県議会でも全会一致の賛同を得て2004年に設置されたものだった。碑の表には「記憶 反省 そして友好」の大きな文字が刻まれた金属製のレリーフが配され、裏の金属プレートには次のような碑文が刻まれている。
  
                      追悼碑建立にあたって
 20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のなか、政府の労務動員政策により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊いいのちを失った人も少なくなかった。
 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。
                                                 2004年4月24日
                           「追憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会

 県に提出された碑文案にあった「強制連行」の文言が問題視され、国とも協議のうえ「労務動員」に置き換えられた。そうした協議を重ねて落ち着いた碑文だったが、20年も過ぎると、碑の存在自体を問題にするひとびとが登場してくる。
 追悼碑の設置許可は10年ごとに更新されてきた。しかし、過去に行われた追悼集会出席者からの「強制連行の事実を伝え、正しい歴史認識をもてるようにしたい」との発言を、「政治的行事及び管理を禁じた公園使用許可の条件に違反する」として、県は2014年の更新を拒否した。大澤正明前知事のときのことである。
 背景には2012年頃から抗議電話や街宣が繰り返されるようになり、公園で右派団体と職員の小競り合いもあって、県側が神経質になっていた時期ともいう。市民団体は13年からは追悼碑前での集会を控えていたが、右派団体「日本女性の会 そよ風」が群馬県議会に追悼碑設置許可取り消しを求める請願を提出、賛成多数で採択された。せめて県議会が真っ当な判断をしてさえいれば、今回のような事態にはならなかった。
 
 やむなく市民団体は県の処分は裁量権を逸脱、乱用にあたるとして処分取り消しを求め前橋地裁に提訴。2018年、地裁は提訴内容を認め違法とし、処分取り消しとした。しかし21年、東京高裁は一転して県の主張を認め、22年、最高裁は市民団体の上告を棄却。高裁判決が確定する。
 その後の県との話し合いでも移転や存続の合意ができず、2023年4月、県は市民団体に撤去と原状回復を命令。応じなかったため7月、撤去に着手しない場合行政代執行を行うことを通知。撤去期限の12月までに応じなかったとして今年1月29日、公園を全面閉鎖した状態で代執行に着手、2月2日に工事を終えた(『東京新聞』2024年2月6日付)。県は撤去費用およそ3,000万円を市民団体に請求するとしていたが、請求したという報道はいまのところないようだ。
 工事着手の前日の1月28日、群馬県警の警察官約200人が取り囲むなか、市民約150人が追悼碑前に集まり、設置の経緯を学ぶなど学習会を開き、献花した。周囲では保守系の街宣車などが学習会に抗議していた(『東京新聞』同年1月28日付)。
 
 ところで前橋地裁は、県の処分は裁量権の逸脱、乱用にあたり違法として処分取り消しとしたが、東京高裁は地裁の判断を覆した。
 高裁は、追悼碑建立時に県側と市民団体が話し合い、碑文から「強制連行」という文言を削除した経緯を踏まえると、「強制連行という用語を使えば政治的行事とみなされることは、団体も認識していた」。そして「追悼碑の存在自体が論争の対象となり、都市公園にある施設としてはふさわしくない」として、県の不許可処分を認め、最高裁もそのまま認めた。
 「強制連行」=政治的とも受け取れてしまい、少々乱暴な判断とも思える。市民団体側弁護団事務局長は会見で、「市民団体などは、強制連行という言葉を使うと政治的行事になるとは認識していなかった。政治的とは曖昧で、具体的規定もなかった」。さらに「表現の自由に重大な萎縮を与え、追悼式と公園での表現活動が著しく制約される」とも述べている。加えて弁護団長は「(発言内容を政治的かどうかを県が事前に判断すれば、)憲法で禁止されている検閲につながる。表現の自由という大きな憲法問題が絡んでいるので、最高裁で扱わせ、口頭弁論を開かせたい」とも述べていた(『東京新聞』2021年9月7日付)。にもかかわらず、最高裁は市民団体の上告を棄却。口頭弁論もないまま、門前払いで高裁判決が確定した。
 
 憲法の専門家としてこの問題に関わってきた藤井正希群馬大学准教授は、高裁・最高裁の判断は、県の更新不許可を合法としただけで、撤去を命じたわけではないという。追悼碑の前ではもう10年も追悼集会が開かれておらず、撤去に至る理由もないとも。
 「県は撤去を求める右派の主張に偏り、日本の加害責任をなかったことにする歴史修正主義に手を貸している」(『東京新聞』2024年1月22日付)
 「著しく公益に反する場合にのみ認められる行政代執行は、市民生活の影響のない追悼碑に行うのは適当でない。県は撤去ありきで進めてしまった。碑を巡って騒動を起こせば撤去につながるという悪しき前例になる」(『東京新聞』同年1月30日付)。
 山本一太知事は「存在自体が論争の対象になってしまい、公益に反する」と応じている(『東京新聞』同年2月6日付)。
 
 すでに奈良県天理市では、飛行場の建設で「強制連行があった」という説明板を市が撤去したという。また、東京都墨田区の都立横網町公園には、1923(大正12)年の関東大震災時のデマにより殺害された犠牲者のための「朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。右派団体「日本女性の会 そよ風」はこの追悼碑の撤去も求めているが、都は2020年、同会を都人権尊重条例に基づきヘイト認定している。したがって、都議会に追悼碑設置許可取り消しを求める請願を提出したとしても受け付けないことを期待している。
 かつては「強制連行」などという文言は当然のように使われていたが、2004年時点で問題にされるようになり、それから10年で碑の存在自体が疎まれ、さらに10年で完全に無きものにされてしまった。さて、これからどういう世になっていくのであろうか。 (2024/02)



<2024.2.15>
 

「記憶 反省 そして友好」の碑(2013年5月撮影「Wikipedia」より)

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon