いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第148回:砂川事件裁判はまだ続く

 1月31日、1957年の砂川事件をめぐり、元被告が「公平な裁判を受ける権利を侵害された」として国に損害賠償を求めた控訴審判決で、東京高裁は原告の控訴を棄却した。テレビではまったく報道を観なかったが、『東京新聞』(2025年2月1日付)は比較的大きく扱っていた。
 訴訟の形や内容を変えながら最初の東京地裁判決から65年、再審請求からでも10年の間、判決や控訴を繰り返しながら続けられてきた裁判である。当初の被告で現在原告となっているのは90歳になる土屋源太郎氏のみで、他の原告は当初の被告の家族である。
 砂川事件については小欄でも2017年10月に取り上げているが、勉強不足ゆえの不正確な記述も確認されたので、再び裁判の経緯から触れてみることにする。
 
 1950年代から60年代、東京都下砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地の拡張計画に抗議する住民運動があった。その抗議運動のさなかの57年9月、デモ中に基地内に立ち入ったとして23人が逮捕され、7人が起訴される事件が起きた。このときの被告のひとりが土屋氏である。
 1959年3月、その一審において東京地裁(伊達秋雄裁判長)は、「外国に軍隊を出動し得る駐留米軍は、憲法第九条二項で禁止されている戦力保持違反」として7人に無罪を言い渡した。一般に「伊達判決」と呼ばれているものだ。
 これをうけて検察は控訴をへずに最高裁へ「跳躍上告」。同年12月の最高裁大法廷(田中耕太郎裁判長)は、「安保条約のような高度の政治性を有するものは、裁判所の判断になじまない」として地裁判決を破棄、のち差し戻し審をへて1963年12月、被告全員は罰金2,000円の有罪が確定した。
 それから45年も過ぎての2008年以降、研究者らによるアメリカ国立公文書館での調査や開示請求によって砂川事件関連の資料が発見される。それは一審と二審の間に、アメリカ側からの圧力や情報交換といえるものの存在を示すものだった。
 2014年6月、土屋氏らはそれらの公文書の新証拠をもって、「公平な裁判を受ける権利が侵害された」として東京地裁に再審請求、免訴の判決を求めたが、一審(2016年3月)、二審(2017年11月)とも棄却。小欄17年10月の記事は、二審の判断待ち段階のものだった。
 ここから冒頭の裁判になるが2019年3月、「公平な裁判を受ける権利が侵害された」として国に損害賠償を求め東京地裁に提訴。24年1月の一審の棄却に続き、25年1月の二審も棄却とした。
 
 日米安全保障条約(旧)が改定されたのは1960年1月19日である。しかし、59年6月には改定作業はほぼ終えていたにもかかわらず、6月下旬になって突然署名が延期され、翌年の1月に署名が行われることになったという。
 この間の事情が、前出アメリカ国立公文書館で入手した文書から明らかになったのである。以下『しんぶん赤旗』(2008年4月30日、2013年4月8日付)の記事から紹介する。
 日米両政府にとって、駐留米軍を違憲とする伊達判決(1959年3月30日)は予想外で衝撃的なものであったが、他方、判決は当時の安保改定反対運動に大きなエネルギーを与えることになった。両政府は血眼になって伊達判決を葬り去ろうとしたのは、言うまでもない。
 伊達判決の翌日早朝、マッカーサー駐日大使(連合国軍最高司令官マッカーサーの甥)は当時の藤山愛一郎外相に秘密会談を申し入れ、最高裁へと跳躍上告を行うようにはたらきかけ、4月3日には上告させている。この動きの早さには驚くしかない。
 その数カ月後には、マッカーサー大使は田中耕太郎最高裁長官と都内某所で密会。砂川裁判を優先的に扱うこと、決定までに「少なくとも数カ月」を要するという見通しが同大使に伝えられる。「決定」とは伊達判決の破棄であり、事実そのとおりに進められ同年12月16日、伊達判決は破棄とされ、東京地裁へと差し戻された。
 この一審破棄に至るまでの数カ月間、田中長官とマッカーサー大使は数回にわたる密談をもっているほか、田中長官とレンハート首席公使との会談も確認されていて、公判の日程や判決の見通し、伊達判決破棄への決意などが伝えられている。ここには「司法の独立」など、まったく存在しなかったことが明らかにされたのである。
 
 前回(2017年)の記事でも触れたように、東京地裁は2016年3月の再審請求棄却判決では、極秘文書の存在を認めながらも、田中長官がマッカーサー大使と会ったことは単なる社交で、「直ちに不公平な裁判をするおそれが生ずるとは解しえない」という見えすいた詭弁を弄した。米軍基地駐留の憲法適合性を問う裁判を控え、当該国大使と最高裁長官との密会が単なる社交で済むとは誰も思わないだろう。
 そして今年1月31日の二審では、判決理由のなかで次のように述べている(前掲『東京新聞』)。
 「裁判官は、裁判や裁判所に対する国民の信頼を損なうことがないように、慎重に行動するべきだ」。また、アメリカ側への長官の言動について「裁判所の公平さに疑念を抱かせる恐れがあり、不適切と言わざるを得ない」
 日本法曹界の大先達の言動ではあるが、後輩裁判官はそう言わざるを得なかった。しかしそうでありながらも、被告らが公平な裁判を受ける権利が侵害されたとは言えないと結論づけ、さらに次のように続ける。
 「大使らに具体的な評議の内容や、予測される判決内容まで伝えていた事実は認められない」
 いったい極秘文書の中身をどう解釈すれば、そんな言い方が可能になるのであろうか。原告側弁護士は次のように批判した。
 「アメリカ側に裁判情報を漏らすのはとんでもないこと。不公平な裁判というのは誰が見ても明らかなのに、そうなると日本政府が困る。裁判所が政府に忖度して、理解不能な判決を出した」
 まさに理解不能である。原告は上告を検討するという。裁判はまだ続くのだ。
 
 田中耕太郎は最高裁長官を歴代最長の10年務めたのちの1961年、国際司法裁判所判事となり、その職務も9年務め、いま「闘う司法の確立者」と崇められている。その田中が、伊達判決を破棄とした際に次のような補足意見を述べている。
 「かりに(中略)それ(=駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」「規定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」
 学問上の真理をねじ曲げ、世間や権力にへつらうことを「曲学阿世」というようだが、田中のような人物を「曲学阿世の徒」というらしい。 (2025/02)
  

 <2025.2.14> 

田中耕太郎(「Wikipedia」より)

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon