いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第135回:能登半島地震と原発

 今年元日、午後から外をぶらぶら散歩して帰り、ひと息ついたところだった。パソコンのモニターに「石川県で地震」のニュースが出た瞬間、東京にいる自分の足元も揺れはじめた。大きくはないが震度3程度だろうか。それにしてもずいぶん長い。あとからあとから揺れが来た。ようやく収まりテレビに目をやると、現地の最大震度は「震度5強」から「震度7」に変わっていた。
 1月1日午後4時6分、石川県能登地方を震源とする地震があり、最大の揺れは夕方4時10分で震度7、マグニチュード7.6。東京の揺れは震度3で、その揺れも能登の地震によるものだった。
 以来連日、被害や被災者の様子が報道される。46年前の冬、ひとり訪れた輪島の朝市は一面の焦土と化した。被災地のひとびとの様子を観るのはつらい。2週間も過ぎて水道も電気もなく、風呂にも入れないひともいる。災害でいつも思うのは、もし自分が同じ境遇に陥ったらということだが、ため息をついてごまかすしかないのだ。
 
 1月4日、岸田文雄首相の年頭の記者会見が行われた。会見終了かと思われたとき、ひとりの記者が「総理、原発について質問させてください。原発について質問させてください」と声を張り上げた。「地震から3日も経過して、いまだ総理が原発についてひと言もコメントしないのは異常です。質問させてください」と求めた。
 岸田首相は質問者を見つめたままで、司会者が「大変恐縮ですが現在挙手いただいている方につきましては、本日中に官邸宛にメールでお送りください。後日書面で回答させていただきます。ご協力ありがとうございます」と応じた。
 岸田首相は頷きながら資料を片付けはじめたが、記者はなおも「総理、原発再稼働は諦めるべきではありませんか? 地震大国の日本で原発の再稼働は無理だと今回わかったのではありませんか! 答えてください」と続けた。首相は一礼して会見場をあとにしようとしたところ、再び記者が「聞く力はどこへ行ったんですか!」と、ひときわ大きな声で問いかけた。
 こんなシーンがテレビで放映されるはずもなく、以上は『スポニチAnnex』(2024年1月4日付)による。『日刊ゲンダイ』(同年1月5日付)はこれほど詳しくないが、「地震から3日も経過して……異常です。質問させてください」と問われた首相は、記者に顔を向けることもなく「ニヤリ」と笑ったのを見逃さなかったとしているほか、聞こえないふりをしてそのまま去っていったという。
 
 能登半島西岸には北陸電力志賀原発1、2号機があるが、2011年3月の東日本大震災直前に定期検査のために停止、それ以降どちらも稼働させていない。14年に2号機再稼働に向けての新規制基準の適合性の審査申請したが、22年6月の震度6弱の能登半島珠洲地震の際も停止したままだった。
 気象庁は1月2日、震度7を観測した志賀町の揺れの強さを示す最大加速度が2,828ガルを記録し、東日本大震災で震度7を観測した宮城県栗原市の2,934ガルに匹敵する大きさだったことを発表している。さらに10日の原子力規制委員会の発表では、1号機地下で震度5強を観測。地震の揺れの加速度は1号機が最大957ガル(想定918)、2号機が871ガル(同846)で、双方とも想定値を若干上回り、被害も少ないとはいえない。
 北陸電力によると1、2号機の変圧器配管の破損で約2万リットル以上の油が漏れ、一部は海にまで流出した。また外部電源5回線のうち2回線が使用できず、使用可能な3回線と原発内の非常用電源で使用済み核燃料の冷却などの必要な機能を保っている。完全復旧には少なくとも半年を要するという。
 地震直後、北陸電力は「外部への放射能の影響はありません」と繰り返し発表したが、原子力規制委員会は1月4日、原発周辺約30キロ圏内に約120カ所ある区間放射線量を測定するモニタリングポストのうち、輪島市、穴水町など原発の北側18カ所で測定不能になっていたことを発表した。したがって地震直後の放射線量の測定はできていなかったことになる。

 国は2011年の福島第一原発事故の経験を踏まえて「世界最高水準の規制基準」(2013年)を策定、岸田首相はその新基準を念頭に原発回帰に踏み切った。会見での記者からの問いかけもそういった流れに沿ったものだ。
 しかし、小欄「88.原発と裁判官」(2020年2月)でも取り上げたように、日本の原発の耐震基準は民間住宅メーカーよりもはるかに低い。三井ホーム、住友林業の耐震基準は最大約5,100ガルに対し、伊方原発は650ガル、高浜原発は700ガルである。志賀原発も建設当時は490ガルで、その後600ガルまで引き上げられ、いくつかのマイナーな耐震対策を施して1,000ガルとして安全審査を申請しているという。
 ところで我が国では、2000年からの20年間に1,000ガル以上の地震が17回、700ガル以上が30回以上も起きている。つまり、原発の耐震基準を超える地震はごく普通に起きているにもかかわらず、原発の耐震基準は驚くほど低い。それでも「世界最高水準の規制基準」ということになっている。
 今回の地震の最大加速度は、先にも記したように原発のある志賀町の2,828ガルで、7地点で1,000ガル以上が観測され、志賀原発1号機は最大957ガル、2号機が871ガルである。志賀町は他の地域に比べて地盤が強固なため家屋の倒壊が少なかったという報道もあったが、志賀原発が過酷事故に至らなかったというのは、たんなる偶然のこと。参考のために記すが、我が国で記録された最大加速度の地震は2008年の岩手・宮城内陸地震の4,022ガル、その次が11年の東日本大震災の2,933ガルである。
 
 今回の地震で注意を引いたのが地盤の隆起である。テレビのモニターに写しだされたのは輪島市の鹿磯[かいそ]漁港の防潮堤だった。4メートルも上昇したことを金沢大学准教授が解説しているのだが、思わず画面に食い入りため息をついてしまった。しかも専門家ですら見たことのない風景だという。のちの情報によれば、それはわずか1分間の出来事であり、過去6000年間で最大規模の隆起で、鹿磯漁港全体が干上がった状態になってしまったという。仮の話だが、原発建屋のある地盤が数メートルも隆起すれば配管や回線はすべて破損し、どういう事態に陥るだろうか。
 志賀原発の周囲には複数の活断層が確認され、活断層に囲まれていることが明らかになっている。しかも原発敷地内にもいくつもの断層が認められ、北陸電力も調査の結果、敷地内の10本の断層はいずれも活断層ではないと主張。2023年3月、原子力規制委員会がそれを了承したという経緯もあった。
 1月14日、岸田首相は被災地を訪れ輪島市・珠洲市の避難所で被災者と意見交換したあと、記者会見に応じた。原発再稼働について「原子力規制委員会が新規制基準に適合すると認めた場合のみ、地元の理解を得ながら進める政府方針はまったく変わらない」と答えている。これが年頭会見での記者への答えである。
 我が国には志賀原発を含め54基の原発がある。いつでもどこでも原発の過酷事故は起こりうる。覚悟せよと、岸田首相は訴えているのである。 (2024/01)
 


<2024.1.19> 

輪島朝市通りで航空自衛隊によるドローンでの捜索活動(2024年1月6日/航空自衛隊)

避難所を視察する岸田首相(2024年1月14日/首相官邸HP)

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②

  
第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
LinkIcon
 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く
  
第31〜40回LinkIcon
 第31回:生涯一裁判官
 第32回:IAEA最終報告書
 第33回:安倍政権と言論の自由
 第34回:戦後70年全国調査に思う
 第35回:世界は見ている──日本の歩む道
 第36回:自己決定権? 先住民族?
 第37回:イヤな動き
 第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと

第41〜50回  LinkIcon
 第41回:寺離れ
 第42回:もうひとつの「日本死ね!」 
 第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問
 第44回G7とオバマ大統領の広島訪問の陰で
 第45回:バーニー・サンダース氏の闘い 
 第46回:『帰ってきたヒトラー』
 第47回:沖縄の抵抗は、まだつづく 
 第48回:怖いものなしの安倍政権
 第49回:権力に狙われたふたり 
 第50回:入れ替えられた9条の提案者 
 第51~60LinkIcon
    第51回:ゲームは終わり
 第52回:原発事故の教訓
 第53回:まだ続く沖縄の闘い 
 第54回:那須岳の雪崩事故について
 第55回:沖縄の平和主義
 第56回:国連から心配される日本
 第57回:人権と司法
 第58回:朝鮮学校をめぐって
 第59回:沖縄とニッポン
 第60回:衆議院議員選挙の陰で

第61回:幻想としての核LinkIcon 

第62回:慰安婦像をめぐる愚LinkIcon

第63回:沖縄と基地の島グアムLinkIcon

第64回:本当に築地市場を移転させるのか?LinkIcon

第65回:放射能汚染と付き合うLinkIcon 

第66回:軍事基地化すすむ日本列島LinkIcon 

第67回:再生可能エネルギーの行方LinkIcon 

第68回:活断層と辺野古新基地LinkIcon 

第69回:防災より武器の安倍政権LinkIcon 

第70回:潮待ち茶屋LinkIcon 

第71回:日米地位協定と沖縄県知事選挙LinkIcon 

第72回:沖縄県知事選挙を終えてLinkIcon 

第73回:築地へ帰ろう!LinkIcon 

第74回:辺野古を守れ!LinkIcon 

第75回:豊洲市場の新たな疑惑LinkIcon 

第76回:沖縄県民投票をめぐってLinkIcon 

第77回:豊洲市場、その後LinkIcon

第78回:元号騒ぎのなかでLinkIcon 

第79回:安全には自信のない日本産食品LinkIcon 

第80回:負の遺産の行方LinkIcon 

第81回:外交の安倍!?LinkIcon 

第82回:「2020年 東京五輪・パラリンピック」中止勧告LinkIcon 

第83回:韓国に100%の理LinkIcon 

第84回:昭和天皇「拝謁記」をめぐってLinkIcon 

第85回:濁流に思うLinkIcon 

第86回:地球温暖化をめぐってLinkIcon 

第87回:馬毛島買収をめぐってLinkIcon 

第88回:原発と裁判官LinkIcon 

第89回:新型コロナウイルスをめぐってLinkIcon 

第90回:動きはじめた検察LinkIcon 

第91回:検察庁法改正案をめぐってLinkIcon 

第92回:Black Lives Matter運動をめぐってLinkIcon 

第93回:検察の裏切りLinkIcon 

第94回:沖縄を襲った新型コロナウイルスLinkIcon 

第95回:和歌山モデルLinkIcon 

第96回:「グループインタビュー」の異様さLinkIcon 

第97回:菅政権と沖縄LinkIcon 

第98回:北海道旭川市、吉田病院LinkIcon 

第99回:馬毛島買収、その後LinkIcon 

  

第100回:殺してはいけなかった!LinkIcon 

第101回:地震と原発LinkIcon

第102回:原発ゼロの夢LinkIcon 

第103回:新型コロナワクチンLinkIcon 

第104回:新型コロナワクチン接種の憂鬱LinkIcon 

第105回:さらば! Dirty OlympicsLinkIcon 

第106回:リニア中央新幹線LinkIcon

第107回:新型コロナウイルスをめぐってLinkIcon 

第108回:当たり前の政治LinkIcon 

第109回:中国をめぐってLinkIcon 

第110回:したたかな外交LinkIcon

第111回:「認諾」とは?LinkIcon 

第112回:「佐渡島の金山」、世界文化遺産へ推薦書提出LinkIcon

第113回:悲痛なウクライナ市民LinkIcon 

第114回:揺れ動く世界LinkIcon 

第115回:老いるLinkIcon

第116回:マハティール・インタビューLinkIcon 

第117回:安倍晋三氏の死をめぐってLinkIcon

第118回:ペロシ下院議長 訪台をめぐってLinkIcon 

第119回:ウクライナ戦争をめぐってLinkIcon 

第120回:台湾有事をめぐってLinkIcon 

第121回:マイナンバーカードをめぐってLinkIcon 

第122回:戦争の時代へLinkIcon

第123回:ウクライナ、そして日本LinkIcon 

第124回:世襲政治家天国LinkIcon 

第125回:原発回帰へLinkIcon 

第126回:沖縄県の自主外交LinkIcon 

第127回:衆参補選・統一地方選挙LinkIcon 

第128回:南鳥島案の行方LinkIcon 

第129回:かつて死刑廃止国だった日本LinkIcon 

第130回:使用済み核燃料はどこへ?LinkIcon 

第131回:ALPS処理水の海洋放出騒ぎに思うLinkIcon 

第132回:ウクライナ支援疲れLinkIcon 

第133回:辺野古の行方LinkIcon 

第134回:ドイツの苦悩LinkIcon 

第135回:能登半島地震と原発LinkIcon 

第136回:朝鮮人労働者追悼碑撤去LinkIcon 

第137回:終わりのみえない戦争LinkIcon

第138回:リニア中央新幹線と川勝騒動LinkIcon 

第139回:ある誤認逮捕LinkIcon 

第140回:日本最西端の島からLinkIcon 

第141回:隠された米兵性的暴行事件LinkIcon 

第142回:親ユダヤと正義LinkIcon 

第143回:ベラルーシの日本人スパイLinkIcon 

第144回:「ハイドパーク覚書」をめぐってLinkIcon

第145回:鼻をつまんで1票LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon