いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第123回:ウクライナ、そして日本
クリスマスをひかえて慌ただしい12月21日、ウクライナのゼレンスキー大統領の姿はアメリカ、ワシントンのホワイトハウスにあった。戦時下の指導者が現場を離れて国外へ出るなど異例のことである。
助けを乞うためにゼレンスキー大統領が願い出たわけではない。アメリカ側が呼び寄せたものだった。12月11日の電話会談の際にバイデン大統領が打診し、18日には正式決定していた。
ゼレンスキー大統領にとって、ロシア侵攻以来初の外国訪問になる。戦時下の指導者の移動は極秘裏に行われた。鉄道でのポーランドへの出国は20日深夜。アメリカ側の車で移動し米空軍の輸送機に搭乗、NATO軍用機が北海上空を巡回するなかを飛び立ち、それをイギリス駐留米空軍のF-15戦闘機がイギリス領空に入るまで護衛した。21日昼、一行はワシントン近郊の空軍基地に降り立ち、ホワイトハウスへと入った。アメリカのお膳立てによるドラマのような訪米劇だった。
連邦議会で上下院議員を前に立つゼレンスキー大統領の様子は何度もニュース映像で流されたが、相変わらずのヒーローだった。
「アメリカによるウクライナへの支援が、我々の勝利を加速させることができる。あなた方のお金は慈善ではない。世界の安全保障と民主主義への投資だ」
支援の継続と拡大を訴えるとともに、ロシアを「テロ国家」と表現した。演説中18回のスタンディングオベーションが起こり議場は白熱。戦地の兵士たちがサインしたウクライナ国旗をペロシ下院議長とハリス副大統領に手渡すと熱気は最高潮を迎えた。
バイデン大統領は、ゼレンスキー大統領と腹を割って話したかった。これ以上戦火をひろげることなく、ウクライナが納得する形での停戦はできないものか、戦争をどのように終わらせられるか。
残念ながら、会談の具体的なやり取りは明らかにされていないが、会談後の共同会見での両氏の様子は次のように報道されている。
「(ゼレンスキー氏は)ウクライナの主権や領土の一体性は譲歩しないとして、全領土奪還まで戦闘を続ける姿勢を堅持した。プーチン(大統領)が撤退すれば戦争が終わる。だが、それは起きそうにない。バイデン氏は侵攻長期化は不可避だと認めるしかなかった」(「ワシントン、キーウ共同」2022年12月23日付)
アメリカは地対空ミサイルパトリオットなど、18億ドル(約2,400億円)規模の追加支援を約束し、23日にはウクライナ側が「テレグラム」でゼレンスキー大統領の執務室での映像を公開し、キーウに戻ったことを伝えた。
外交評論家の天木直人氏は自身のメルマガで、「バイデンはゼレンスキーに振り回されている」と断じた(同年12月23日付)。もともとはウクライナを将棋の駒として、アメリカがけしかけたような戦争だ。そろそろこのあたりで終わらせようと考えたが、ゼレンスキー大統領はそれには乗らなかった。それならとウクライナを切り捨てるわけにもいかない。軍事支援を続けるしかなくなったのだ。
年が明け、ウクライナによる大規模軍事攻勢計画の報道があり、3月に戦闘が最も激化するという。バイデン大統領やNATO各国は本格的な軍事支援に踏み切るだろうし、戦闘は長引く。戦闘が長期化すれば、兵士のみならず市民の死者も負傷者も増えるし、インフラや住居の被害も拡大する。それでよいはずはない。
1945年2月、昭和天皇が近衛上奏文を受け入れ、終戦交渉に踏み切っていたなら、沖縄戦はなかった。東京大空襲も、広島・長崎の原爆被害も避けられたはずだ。すべて昭和天皇がそのタイミングを逸した結果である。今回の訪米はそのタイミングではなかったか。それは、誰にもわからないことだ。
ウクライナは、西側寄りとロシア寄りの間の微妙なバランスで、ロシアを刺激しないように国家運営を行ってきた国だが、大統領になったゼレンスキー氏が、EUとNATOに入ることを宣言した。突然西側につきロシアを敵とすることを宣言したのである。ほかにもミンスク合意破棄をはじめ、いくつかの判断ミスが指摘されている。
どんな理由があれ、他国への軍事侵攻など許されることではないが、ゼレンスキー大統領の判断ミスや強引な手法がプーチン大統領を怒らせ、戦争を誘引したことは否定できない。だが、その危うい判断を強力に後押ししたのがアメリカである。
ゼレンスキー大統領は「これは正義の戦いだ!」と訴え、西側諸国に対し当然のように武器の支援を要求する。その姿勢は一貫していて、傲慢にさえみえる同氏の行動は、すべてアメリカの強力なバックアップあってのものだろう。繰り返すが、それでよいはずはない。
昨年末、岸田文雄政権は慌ただしく安全保障関連3文書を閣議決定した。「敵基地攻撃能力(反撃能力)については日米で協力して対処していく」と明記されたものだが、アメリカのメディアや専門家は、これらの文書を日本の安全保障政策の劇的な転換、数十年にわたる「平和主義」の放棄、野心的な軍事的役割の主張と大々的に報じた(「東洋経済ON LINE」2023年1月13日付)。
1月9日、岸田首相は欧米5カ国歴訪に旅立った。5月のG7サミットへの議長国としての地ならしとされていたが、行く先々で新たな軍事的連携強化を約束しているところをみると、現実には安全保障政策の転換の説明だったことが察せられる。それは、国会審議もないままに国際公約となってしまったのだ。
13日、最後にアメリカを訪れたが、重要事項は直前の日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)ですべて決められていて、バイデン大統領との会談後、15日の『東京新聞』朝刊には大きな見出しが躍った。1面には「日米軍事一体化極まる」「敵基地攻撃能力で協力確認」「平和外交姿勢見えず」。2面にいくと「敵基地攻撃 米へ手土産 国会審議経ず」「台湾有事に『参戦』現実味」である。
もはや軍事面での日米一体化の加速は確実である。全国にある自衛隊基地、米軍基地は自衛隊と米軍によって共同運用される機会も増えるのだろう。いざ台湾有事となれば、共同訓練に従って自衛隊と米軍が対応することになるが、憲法を盾に自衛隊を出さないという判断など入り込む余地はなく、自衛隊は米軍指揮下に入る。最前線に出るのは自衛隊だろうか。ウクライナは自国を戦場としてしまったが、日本の場合、沖縄、先島諸島が戦場に極端に近い地域であり、どういう状況になるのか想像もつかない。
いま岸田首相は、額に汗して戦争のための地ならしに励んでいるが、ウクライナ戦争の影響で、世論調査での安全保障政策に批判的な割合は少数派だ。飾り物にすぎない日本国憲法の改正も容易だろうし、いずれ徴兵制度も必要になるだろう。
1月10日、中国政府は日本人と韓国人を対象としたビザ発給を停止した。日本人については、新型コロナの水際対策強化への報復という見方が一般的だ。だが実際は、中国を敵対視した日本の安保戦略強化への反発にあるとの見方も少なからずある。
かつての「全方位外交」という言葉も懐かしい。我が国は、周辺の国々とうまく折り合いをつけられない国になってしまった。中国との関係がこれほど顕著になってきたのは、2012年9月の尖閣諸島国有化以降の10年ほどのこと。それに合わせるようにアメリカの対中強硬姿勢が強まり、政治理念の希薄な日本の政治家はそれに振り回され、緊張を煽る行動に邁進している。日本の最大の貿易相手国は、なんといっても中国である。その中国を敵に回してしまって、産業界や我々の暮らしは成り立つのであろうか。
中国やロシアも、強権的な習近平氏やプーチン氏には早々に退陣してもらい、鄧小平・胡錦濤やゴルバチョフのような指導者でなくてはいずれ行き詰まるだろう。 (2023/01)
<2023.1.17>
ゼレンスキー大統領(パブリックドメインQより)
岸田首相とバイデン大統領(首相官邸HPより)