いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第115回:老いる 


 母はこの4月に93歳になった。2年前にひとり暮らしだったマンション(サービス付き高齢者向け住宅=サ高住)からケアハウスに移った。そして、この5月末に特別養護老人ホーム(特養)に移る予定だったが、急遽、ゴールデン・ウィーク中に滞在型のデイサービス施設に入り、特養をキャンセル。ケアハウスでは対応が困難になり、特養入居予定の5月末まで待てない状況になったのだ。
 こういった高齢者施設と関わりなく過ごせればよいのだが、どうなるかはわからない。ここでは、老いと高齢者施設について、母の場合を例に紹介してみようと思う。

  2004年11月、父は79歳で亡くなった。そうして母のひとり暮らしが始まった。75歳だった。民間の賃貸マンションにいたので、妻が探してくれた「サ高住」に移った。
 「サ高住」は介護を要する「介護型」と介護不要の「一般型」に分かれるが、母は日常生活には問題がなかったため「一般型」に入居した。それでも、外から帰ったら玄関の決められた場所にキーを置くことが求められる。キーの有無やトイレの水の利用状況によって、外部から安否を確認できる仕組みになっている。
 ぼくら夫婦は、そこから電車で1時間ほどのところに暮らしていて、年に何度かは互いに行き来したりしていた。母はお年寄り向けの水泳スクールにも通い、身内で一泊旅行に出かけるなど、何の問題もなく10年近くが過ぎた。
 2012年4月、体調に異変を感じて精密検査を受け、完全房室ブロックとの診断。83歳で、生きる意欲いっぱいだった母は、心臓にペースメーカーの埋め込み手術を受けた。ほぼ2週間の入院だった。健康だった母は、ペースメーカーを入れたことにより身体障害者手帳が交付されると同時に要介護認定となり、ケアマネージャーもつくようになった。とはいえ、日常生活が大きく変わることもなく、ひとり暮らしも以前のとおりだった。

  2013年6月、近所のスーパーマーケットで転倒し、坐骨付近を2箇所骨折。ひと月ほどのち、入院中の病院のトイレで転倒して左腕骨折。計3カ月入院した。翌2014年2月、頸椎圧迫による痛みで3カ月入院。介護認定は重くなり、マンション室内には取っ手を取り付けたり、外出時にはステッキを用いるようになった。それでも週2回のデイサービスには出かけたし、われわれのところにも電車を乗り継いでやって来た。
 2019年7月には特殊詐欺の被害にも遭った、市役所の職員を騙る男に銀行預金通帳、郵便貯金通帳、それぞれのキャッシュカードを手渡し、暗証番号までも教えてしまい、数十万円引き落とされる。結果的には金融機関側がほぼ全額補償してくれ、期待もしていなかった措置なので驚いた。母は口座管理をすべて息子に任せたいのだが、金融機関側の壁は思いのほか厚い。このとき90歳。
 この頃から、体力的にも精神的にも一気に弱くなっていった。わわれわれのところへ来たのも、この年が最後になった。われわれの住まいも、母を受け入れられるほど広くはない。母はひとりでは買い物も食事の支度も億劫だし、面倒をみてくれる施設に入りたいと口にするようになった。

 ケアマネージャーと相談しながら、ケアハウス探しが始まる。複数の施設の見学や体験宿泊もへて、2020年8月4日に入居することになった。金額的には母の年金でぎりぎり収まるようだ。
 ケアハウスとは、会社の独身寮のような施設だ。居室はトイレ付きの個室だが、食堂、風呂、洗濯機の使用は共同である。各部屋には小さな流しとコンロもついているので簡単な調理は可能だが、基本的に食事は食堂でとる。
 身の回りのことは自分ですることが求められる。洗濯のほか、分別したゴミをゴミ捨て場に運ぶこと。食堂では、カウンターで料理が盛りつけられた食器をトレイにのせ、自分でテーブルへ運んで食事を済ませ、食器やトレイを返却することなど。身体的に異変があれば、ボタンを押して職員を呼べるが、夜間はスタッフはひとりになるので、対応は手薄になる。
 身体的に弱ってきてそれらが難しくなると、有料のオプションで職員に依頼する。食事のトレイをテーブルへ運んでもらうと1回につき100円。1日3回で、それだけで月におよそ9,000円になる。ゴミ捨ても同様にオプションで対応してもらえる。
 職員によるオプションにも限界があって、部屋の掃除や洗濯などは別に介護サービスを依頼する。週2回のデイサービスへの送迎や銀行や郵便局などへの外出は、送迎サービス専門の会社に依頼すると介護タクシーよりは安くなる。これはケアマネージャーが紹介してくれたのだが、そういったことが積み重なってくると、毎月かなり割高な料金を支払うことになる。

  ケアハウス入居ひと月前の7月上旬、またもや転倒で肋骨へひびが入り、痛みと精神状態の乱れもあった。入院は不要だがひとりでの暮らしは難しいとの診断で、ケアハウスのゲストルームに、予定よりも2週間ほど早く入れてもらう。当分は食事を部屋まで運んでもらった。われわれところから電車とバスを乗り継いで1時間半を要するようになった。
 そして8月、正式な部屋への引っ越しである。同じ建物内での引っ越しなので、前もって身の回りの細かいものや軽いものを運んでいてもおかしくはないのだが、まったくその気も起きなかったらしい。われわれが荷物やテレビを運び入れたりしているなかで、「疲れた、疲れた」を連発して横になりたがった。もう日常的に歩行器を使用するようになっていたし、話すことにも時折ボケが入るようになってきていた。
 入居ひと月半ほど過ぎた9月末、廊下で転倒し、頭部からの出血も多く救急車で病院へ搬送されたが、1週間ほどで退院。車椅子に乗せて外に食事に出かけるくらいには元気になっていたが、次第に耳が遠くなり、スマートフォンでのラインのやりとりでも意味不明のものが多くなってきた。
 2021年5月、室内で転倒、腰の痛みはあったが3日ほどで具合はよくなった。同年9月、夜間にトイレで転倒して動けず、呼び出しのボタンにも届かず、そのまま朝を迎えた。左肩完全骨折で手術によって92歳のか細い骨は6本のボルトで固定され、リハビリを経て3カ月で退院した。
 ケアハウスの室内には手すりを増やしたり、摑まるためのポールを立てたり、設備を整えてもらった。介護認定のおかげで医療費もそうだが、こういった経費は驚くほど安い。施設側では転倒を警戒し、食事も部屋まで運んでくれ、母を部屋の外へは出さないようにした。あまりよいことではないのだが、施設側の負担を考えると納得するしかない。もはや、それまでやっていた施設内の歩行練習どころではなくなった。
 訪ねるたびに痩せこけてきているように思えた。われわれが部屋に入っていってもベッドに横になったままで、口も開かず、自分の息子を見ても誰が来たのか理解できていない。それでもしばらく大きな声をかけていると、次第に表情も口も明瞭になってきて、声にもハリが出てきた。

  2022年2月より特別養護老人ホーム(特養)の申し込みを始めた。要介護3以上でないと入居できないが、母は4である。同居家族がいる場合は優先度が低くなるが、母は早々にある施設に5月末入居と決定した。
 入居といっても空いている部屋があるわけではなく、病院に入院しているひとの部屋の荷物を片付けて入るのである。その部屋のひとが退院してきた場合には、別の部屋に移るか、退院してきたひとが別の部屋に入るか、そのときの状況次第だという。特養とは、どこでもそういう仕組みなのだという説明だ。ケアハウスよりは狭い個室になるが、24時間介護が受けられる。
 2022年4月末の夜、ケアハウスから具合がよくないという電話が入る。ほとんど食欲も元気もないという。翌朝早く来てほしいという。これは異例な連絡である。翌朝8時には家を出た。確かに元気はよくなかった。それでも声をかけ、話しているうちに復活してきて、外に寿司でも食べに行きたいとまで話すようになった。職員は了解したが、われわれがうまく扱えそうもない。スーパーで買ってきたパックの握り寿司を差し出すと、母は目を輝かせ、ゆっくりだが1個ずつ、確実に食べすすめ、9割方食べてしまったのには職員も驚いていた。まだまだ食欲は旺盛である。
 常に生きることには積極的だった母だが、さすがに「あまり長生きするもんじゃないね」などと言い始めた。これは初めて聞く言葉だった。
 
 数日後、母が廊下に出て奇声を発したという連絡が入った。壁や天井を指さして「ほら、キラキラ何かが光っている」とか言ったいう。「せん妄」という意識精神障害のようだ。夜間になると対応が難しい。病院が運営している滞在型のデイサービス施設へ、今日中に移したいとケアマネージャーが了解を求めてきた。ケアマネージャーからの翌日の連絡によると、新しい施設が気に入っているようで、食欲もあり、同じテーブルになったひとと並んで写真を撮ってもらったりしていたという。
 施設長、ケアマネージャーなどと話した。先方が確認しておきたいのは、この施設で看取りとなってよいかということである。こちらはすでに納得ずくである。
 デイサービスとは、通常日帰りで利用する介護サービス施設だが、「お泊りデイサービス」というコースもある。数日程度の宿泊の想定だが、法的にグレイな状態で数年という例もあるという。母が入居した施設はそういうところである。大きな部屋で、デイサービスで使用する大きなテーブルのそば、雑然としたところにベッドが4〜5台置かれてあって、そのなかで過ごすことになる。プライバシーはまったくない。病院の大部屋に近いが、もっと雑然としている。閉鎖的な個室で過ごしてきた母にとってはよい刺激になったのかもしれないが、意欲的に何かに取り組みたいという意識のあるひとがいられるところではない。あくまでも、何をするにも介添えが必要なひとのための施設である。ここに来るにも、電車とバスを乗り継いで1時間半を要した。
 24時間介護で、定期的に医師や看護師が診てくれるが、介護保険適用外になるため金額的にはちょっと高い。あまり長期になるようだと、キャンセルした特養を再び検討しなくてはならない。いまのところ母は落ち着いた状態で、トイレ等の移動の際には車椅子を押してもらっている。87歳になる実の弟を連れていったところ、すぐに理解できたから、ボケもたいしたことはないようだ。

 母がお世話になってきたケアマネージャーさん、ケアハウス、いまいるデイサービスとも、皆さんの仕事には心から頭が下がるし、感謝しかない。それにしても母はよく転んでよく入院した。入院生活は足腰を弱くしてしまうから悪循環になる。これほど転ばなかったらまた違った展開になっていた可能性もあるが、長生きしていると、いつかはこうなるのかもしれない。またペースメーカーをつけるときには、慎重に考えたほうがよい。我が身を振り返ると暗澹としてしまうが、自分の意志で死を決定できる仕組みを望みたいものだ。 (2022/05)

  
<2022.5.19> 

イラスト/ヤマモリポテコ

いま、思うこと

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon