いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第131回:ALPS処理水の海洋放出騒ぎに思う
8月24日午後、東京電力は福島第一原発にたまっている汚染水を浄化処理した水の海洋放出を開始した。ジャーナリストの青木理氏によると、海外主要メディアはこの水を「汚染水」「放射性水」「放射性処理水」「放射性排水」などと表現しているそうだが、とりあえず「ALPS(多核種除去設備)処理水」としておく。
ALPS処理水は海底トンネルを通して沖合約1キロの海底から24時間態勢で放出され、今回は17日間で7,800トンを流す予定だ。8月時点の全貯蔵量は約134万トンで、廃炉完了まで約30年続けられるというが、それでは終わらないともいわれる。
すでに我が国は、2011年の同原発メルトダウン事故で大気中へ、海洋へ、土壌へ、河川へと膨大な量の放射性物質を拡散させた。にもかかわらず12年が過ぎて、今後数十年にわたってALPS処理水の海洋放出を続けるという。こういう厄介なものは、基本的には外に出してはいけない、せめて国内に留めておくべきものだろう。
調べてみると、海洋放出以外にいくつかの方法もあって表向き検討したことになっているが、ひらかれた議論もないまま、はじめから海洋放出ありきで進められたようだ。結局「安くて手っ取り早い方法」というところに落ち着いたのだ。
「処理水の放出は日本政府による決定であり、この報告書は日本の方針を推奨するものでも、支持するものでもありません」
これはIAEAの報告書にある記載だが、IAEAは海洋放出にお墨付きを与えてはいないし、日本政府に他の方法を提案することもなかった。IAEAにはあまり多くを期待していないが、せめて今後も日本政府、東京電力の作業をしっかり監視してもらいたいと願うばかりだ。
通常の原発からの排水には炉心を通る冷却水もあるが、それはステンレス製の被覆管に覆われた燃料とは直接触れることはない。ただ、運転によって原子炉内で生成されたトリチウムを含むという。
福島第一原発の1〜3号機の汚染水は、被覆管も燃料もドロドロに溶け落ち、格納容器の底にあるデブリを直接冷却したもので、数多くの放射性物質(核種)が含まれている。それをALPSで浄化処理しているが、トリチウムは除去しきれずに残っている。こういった海洋放出例は過去にないという。
政府は、ALPSによってほとんどの放射性物質は取り除かれ、残存するトリチウムも海水によって希釈され、国際的な安全基準はクリアされているため、人体や環境への影響は無視できるレベルにとどまるという。
しかしながら、この問題を以前より追ってきているフリーランス・ライターの木野龍逸氏によれば、ALPSではトリチウム以外にも12核種が除去しきれずに残っていることがわかっているという。しかもサンプリング検査しか行っておらず、すべてのタンクの汚染水を調べたわけでもなく、含まれている放射性物質がすべて判明しているわけでもない。今後も東京電力がモニタリングを続けるというが、東京電力のデータは信用できないともいう。これまでも何度も検査分析ミスを起こしていて、外部の多数の研究者が検査データをひろく公開して監視可能な状態にすることを要求しても、頑としてデータの公開を拒んでいるという(木野龍逸「なぜ東電は問題だらけの汚染水の海洋放出に追い込まれたのか」2023年8月26日付)。
こういうALPS処理水を安全といってよいのかどうか。ほぼ問題ないといわれるトリチウム自体の危険性を訴える専門家もいるのである。
1979年のスリーマイル島原発メルトダウン事故の裁判では、「たとえ環境基準を満たす水であっても、スリーマイル島原発由来の水はサスケハナ川に流さない」という和解条項を電力会社が受諾したという(烏賀陽弘道氏X〈旧ツイッター〉同年9月2日付)。
ALPS処理水を数十年も流し続ける間には人為的ミスを含め、何が起きても不思議ではないというのが現状であろう。日本政府や東京電力が信頼に足るかどうかにある。「専門家は嘘をつき、国も企業も事実を隠蔽する」は、水俣病の教訓だった。
海洋放出をめぐり中国政府が日本産水産物の禁輸措置に入ったことに関し、野村哲郎農水相の「まったく想定していなかった」との発言には驚いた。2021年4月、菅義偉前首相による放出方針発表当時から中国は何度も抗議声明を出していた。今年4月の日中外相会談での話し合いでも平行線に終わり、岸田文雄首相がバイデン大統領の支持を取り付けての放出開始だった。岸田首相は遠くのアメリカには飛んでいくが、より近いはずの中国へは足取りが重くなりがちのようだ。
IAEAのラファエル・グロッシ事務局長はTBS「報道特集」(2023年8月26日放映)のインタビューで「謙虚さをもって説明を続け、彼ら(漁業関係者)の信頼を得なければ未来はありません」と応えていた。
「彼ら」とは漁業関係者に限らない。抗議していた中国や韓国、太平洋諸島18カ国も含まれる。代理人ではなく岸田文雄首相みずから赴き、なぜ習近平国家主席や各国首脳と向き合えなかったのか。
我が国は中国包囲網構築を進めるアメリカに足並みを揃え、関係諸国を回って協力を求めてきた国である。2012年の尖閣諸島国有化もあった。中国相手に喧嘩を仕掛けたり、追い詰めたりしているのはこちら側なのだが、日本側にはその意識が希薄なようだ。事前に、より慎重な、誠意をもった対応があってしかるべきだった。
おそらく政府内部では、そういう話も一度くらいは出たのではなかろうか。でも、結果的にはやめた。福島県の漁業関係者との面会も、同様にやめたのであろう。
外交への影響は大きい。8月末の山口那津男公明党代表の訪中は延期となった。9月5日から10日までASEAN首脳会議、G20と続くが、G20に出席予定だった習首席は欠席となった。ASEAN首脳会議では、李強首相との会議での発言以外は立ち話程度だ。
その会議の映像を観て驚いたのだが、岸田首相は今回の海洋放出は当然のことという姿勢だ。自然環境に流してはいけないものをやむを得ずという様子はなく、世界に対しての謝罪などあるはずもない。
これは当初より政治の問題である。科学的根拠を持ち出したところで、中国包囲網の要、アメリカ主導でつくられたIAEAに対して中国は信頼をおいていない。経済的依存度の高い中国と今後どう付き合っていくつもりなのか、岸田首相の姿勢がみえない。アメリカに急きたてられるまま、このまま戦争へと突き進むのではあるまいな。
ジャーナリストの飯田和郎氏による気になる記事を目にした。
旧日本軍が旧満州へ軍事行動を起こした満州事変が勃発したのは、1931(昭和6)年9月18日である。中国ではこの日に、反日運動の炎が各地で燃えあがったことがあるという。どうやら、今年は要注意のようだ。 (2023/09)
<2023.9.8>
インタビューに応じるIAEAのグロッシ事務局長(TBSテレビHPより)