いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第84回:昭和天皇「拝謁記」をめぐって
『東京新聞』8月19日夕刊1面トップには、「昭和天皇、戦争後悔語れず」「『反省』お言葉削除」という見出しが大きく躍っていた。初代宮内庁長官を務めた故田島道治(みちじ)氏が、昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料が公開された。「拝謁記」と題された手帳やノート18冊に記されており、遺族から提供をうけたNHKが公開したという。
翌日朝刊1面にも「昭和天皇の声 克明」「戦争『反省』退位言及」「再軍備を主張」といった見出しが、3面には「『君主』引きずる『象徴』」「昭和天皇 冷戦期、改憲に言及」「戦前の軍部暴走『下克上』と批判」といった見出しが並んだ。さらに6面の三分の二を使って詳報が設けられ、「私ハどうしても反省といふ字を入れねばと思ふ」「(憲法)軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい」と、昭和天皇の発言が見出しに掲げられている。
田島氏が宮内庁の前身である宮内府長官に就任したのが1948年6月、翌年宮内庁へと組織変更され、53年まで初代宮内庁長官を務めている。昭和天皇訴追回避のうえで行われた東京裁判の判決言い渡しが48年11月。そういう時期の昭和天皇とのやりとりである。当然、大戦の反省や戦争責任絡みの退位の内容が中心になっている。
『東京新聞』(2019年8月20日付)1面には、「昭和天皇の発言ポイント」が箇条書きにまとめてあった。
1,(日本の独立回復を祝う1952年5月の式典でのお言葉に)どうしても反省という字を入れねばと思う
2.戦争は、もっと早く止める事が出来なかったのかと、退位論者でなくとも疑問を持つ
3.実際は「下克上」でとても出来なかった
4.(南京で)ひどい事が行われている。注意もしなかった
5.情勢が許せば退位や譲位も考えられる
6.国民が退位を希望するなら、少しもちゅうちょしない
7.(退位は)日本の安定に害があるように思う
8.軍備の点だけ堂々と(憲法を)改正したほうが良いように思う
9.侵略を受ける脅威がある以上、新軍備なしという訳にはいかない
どの新聞でも取り上げているようなのでここではあまり触れるつもりはないが、天皇が望んだ「反省」の文言は、当時の吉田茂首相によって拒否された。そのときの吉田の判断には賛否いろいろあるようだが、記者から戦争責任について問われた昭和天皇が、いかにもはぐらかすかのように、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」と答えていたシーンをはっきり記憶している。
それがいつのことかと調べてみたところ、1975年10月、アメリカ訪問からの帰国後に行われた、昭和天皇にとっては初めての記者会見だったという。当時のぼくはさほど関心もなかったはずだから、もっとずっとあとになって、テレビで放映されたものを見た可能性が高い。あのシーンを見て「えっ? なんてふざけた奴だ!」と思ったのを覚えているし、その画面も天皇の声音もはっきり記憶している。
それを、じつは反省していたのだという。もし本当にそうだというのなら、吉田との件から20年も過ぎて開かれた記者会見だ。どうしてもっと真摯に答えられなかったのかと思う。たとえそのときはできなかったとしても、そういう機会はいつでももてたのではないかと考えるのだが、いかがであろうか。大元帥でもある天皇が、「下克上だった」などといっているし、やはりこれは東京裁判を意識した発言(言い訳)のように思えてしまうのだ。
さらに再軍備を目的とした憲法改正の必要も訴え、小さく組まれた詳報では米軍基地に関する発言もあった。
「日本の軍備がなければ米国が進駐して 守ってくれるより仕方ハないのだ」(1953年6月17日)、「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ その犠牲ニハ 全体が親切ニ賠償するといふより仕方ないと私ハ思うがネー」(1953年11月24日)
重要なことを述べているにもかかわらず、この「私ハ思うがネー」に、「言葉のアヤ」と同じような不真面目さを感じて、またもや不愉快になってしまう。
先に挙げたような見出しもも、沖縄の新聞二紙ではがらりと変わる。
「一部の犠牲やむを得ぬ 昭和天皇、米軍基地で言及 53年宮内庁長官『拝謁記』」(『琉球新報』(2019年8月20日付)、「『一部の犠牲やむを得ぬ』昭和天皇、米軍駐留巡り 1953年記録 沖縄を切り離す『天皇メッセージ』と通底」(『沖縄タイムス』同年8月21日付)
ネット上に掲載された写真で紙面を確認したが、これが1面トップの大見出しである。この「一部の犠牲やむを得ぬ」の発言は1953年11月24日の拝謁時とされるが、『朝日新聞』『毎日新聞』ではまったく触れていないというし、詳報で取り上げた『東京新聞』とは同日でも切り取った部分が異なるようだ。
本土の新聞がほとんど取り上げない発言が、沖縄二紙では1面トップの大見出しである。沖縄のメディアは、本土のメディアとは異なった視点から「拝謁記」を捉え、とくに「犠牲を強いられている一部」に関して、沖縄では自分たちのこととして受け止めている。『沖縄タイムス』「社説」(2019年8月21日付)には、次のようにあった。
「47年9月、昭和天皇が米側に伝えた『沖縄メッセージ』では、『アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の──25年から50年ないしそれ以上の──貸与(リース)をする』と、昭和天皇自らが、沖縄を米国にさし出した。今回明らかになった「一部の犠牲はやむなし」の思考はこれらに通底するものだ」
さらに、「私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」(1953年6月)という発言を引いて、「今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる」と結ぶ。まさに安全保障に関しては主権を放棄したも同然の、現代日本の姿が浮かび上がってくるように思えた。
ところで、ネットで検索してみて意外な事実を知ることになった。この報道は8月16日のNHK「ニュースウオッチ9」で大スクープのように報道され、翌17日夜には「NHKスペシャル」で特集番組として放映されたようだ。つまり、ぼくのようにほとんどNHKを観ない者は、19日の夕刊を通して初めて知ったということらしい。しかも全文公開ではなく、NHKが報道した部分に限られての公開だという。
これまで紹介してきた内容を踏まえ、しかもそれがNHKからの公開となると、安倍政権の思惑がちらついてくる。安倍晋三首相が目指しているのは、まさに憲法9条への自衛隊明記を含む憲法改正、軍備増強であり、一部を犠牲にしてでも米軍基地を置くことである。
NHKはすでに公共放送の枠を超え、安倍政権の広報機関と化している。「拝謁記」の公開は、首相官邸とNHKとの間で用意周到に進められてきたのではなかろうか。自衛隊を明記したうえでの憲法改正は突拍子もないことではない。辺野古新基地を含む米軍基地も国防上不可欠なもので、すべて昭和天皇も望んでいたことなのだと、安倍首相はひろく国民に知らしめたかった。これが、「拝謁記」公開に向けた安倍首相の思惑と思えてくる。
あたかも大スクープのようにNHKが報じたという「拝謁記」だが、異論もあるようだ。政治学者の原武史氏はツイッターで次のように投稿している。
「NHKが『独自』と称して宮内庁長官田島道治が昭和天皇の肉声をメモしていた膨大なメモが見つかったとするニュースを長々と流していたが、今日のニュースを見る限り、加藤恭子『昭和天皇と田島道治と吉田茂』(人文書館、2006年)ですでに明かされたこと以上の発見はほとんどなかった」(2019年8月16日付)
「『新たな事実が発見された』とまでは言えるかどうかは微妙ではないかと思う。大枠としてすでに知られている事実を補強し、精緻化しただけではないかというのが、偽らざる実感である」(同年8月17日付)
加藤恭子氏には、ほかにも『田島道治─昭和に「奉公」した生涯』(TBSブリタニカ、2002年)という著書があり、ともに「拝謁記」の一部をなす「田島日記」を閲覧のうえで執筆されたものだという。
ネット上の「NHK NEWS WEB 昭和天皇拝謁記」によると、NHKは日本近現代史が専門の研究者4人に協力を求め、9カ月をかけて解読と分析を進めたという。しかし、この4人には含まれていない『昭和天皇の終戦史』(岩波新書、1992年)の著者吉田裕氏も同ホームページでコメントを寄せているが、氏はどの程度資料に当たれたのか不明だ。詳細は「NHK NEWS WEB 昭和天皇拝謁記」をご覧いただきたい。また「拝謁記」を含む、田島家に残された資料は公的機関に移し公開するとのことである。はやく多くの識者の評価を聞きたいところだ。 (2019/10)
<2019.10.19>
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