いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第113回:悲痛なウクライナ市民 

 2月24日現地時間の早朝、とうとうロシア軍がウクライナへの侵攻を開始した。軍事施設のみだった攻撃も、またたく間に無差別攻撃となって一般市民にまで被害がひろがっている。1週間ほどが過ぎて、ウクライナ各地の瓦礫と化した集合住宅や黒焦げた街路樹など、無残としかいいようがない街の様子がテレビに繰り返し流されるようになった。
 これは国と国との戦争だが、1991年のソ連崩壊後、独立してからのウクライナでは、東(ロシア側)と西(西欧側)の対立による小規模な紛争がずっと続いていた。それが今回の戦争の根っこになっているようだ。その経緯をオリバー・ストーン監督がドキュメンタリー作品『ウクライナ・オン・ファイアー』(2016年)として描き、ネット上でも見られるようになっていた。そこには2014年5月のオデッサの悲劇の映像もある。
 今回ロシアの侵攻開始が報じられた直後、あるツイッターを見てストンと納得したことがあった。それはドイツのアンゲラ・メルケル氏が現役で首相にいたら、こんな事態にはならなかったというものだ。彼女は2014年のウクライナ危機のときには、15時間もかけてプーチン大統領を説得したこともあった。

 いかなる事情があろうと、他国への軍事侵攻は許されることではない。旧日本軍による真珠湾攻撃でもそうだが、やってしまったらおしまいなのだ。そのとたんにプーチン大統領は国際的な非難の的となり、あっという間に孤立状態におかれてしまった。これに対してウクライナのゼレンスキー大統領は、正義の戦いに挑むヒーローの如くである。
 そのゼレンスキー大統領は、侵攻初日に国民総動員令に署名した。18〜60歳の男性の出国を禁じ、90日以内に軍に動員するという。これはほとんど1億総玉砕ではないか。内容は若干異なるにしても、国民をひろく戦争に引きずり込み、新たな被害へ、そして死へと誘い込むことになる。
 詩人金子光晴の年譜(原満三寿編)、1944(昭和19)年の項には次のようにある。
 「十一月、乾(筆者註=息子)に一回目の召集令状がきたが、生松葉でいぶしたり、雨の中に裸で立たせたりして、近所の医師から気管支喘息の診断書をもらい招集を免れる。十二月はじめ、妹捨子の手づるで、山梨県南都留郡中野村平野の〈平野屋旅館〉の別棟バンガローに一家で疎開」
 時に金子光晴50歳、息子の乾は19歳。疎開先では親子3人、畑を耕し本に埋もれた暮らしを送るが、翌年3月、2回目の召集令状が届く。前回同様、息子を水風呂につけたりして、医師の喘息発作の診断書を持参して招集を逃れている。この頃訪ねてきた岡本潤に、書きためていた詩稿ノートを見せているが、のちに『落下傘』『蛾』(ともに1948年)、『鬼の児の歌』(1949年)に収録されることになる抵抗詩であった。
 日本が仕掛けた戦争ではあったが、金子光晴は非協力の姿勢をつらぬいた稀有な存在だった。今回はロシアが仕掛け、ウクライナは仕掛けられた側である。どちらも「正義のための戦争」のように訴えているが、前線に立つ者は国のために命をかけて戦うことを強いられる。
 たとえばゼレンスキー大統領が、次のように国民に訴えたとしたらどうだろう。
 「自分は最後まで残るつもりだ。残りたい者は残ってもかまわないが、死ぬことも覚悟してほしい。そうでない者は国外へ脱出して、たどり着いたどこかで生き抜いてもらいたい。命が第一、生き延びてほしい。将来どこかで再会できるかもしれない」
 
 先に「いかなる事情があろうと」と記したが、その事情について、中国問題が専門の社会学者遠藤誉氏がうまくまとめてくれているので紹介したい。
 この記事で驚いたのはバイデン大統領とウクライナの結びつきである。オバマ政権時に副大統領だったバイデン氏は6回も訪問していた。ウクライナのNATO加盟を支持し、当時のポロシェンコ大統領にはウクライナ憲法に「NATO加盟」を努力義務として入れさせ、プーチン大統領の警戒レベルをわざわざ引き上げさせている。
 昨年8月、バイデン大統領はアフガニスタンから米軍を撤退させたが、手際の悪さから支持率が暴落した。その信頼を取り戻すために手を出したのがウクライナである。1996年以来ウクライナ軍と米軍との軍事演習が行われてきているが、9月末にNATOを中心とした15カ国による最大規模の演習をウクライナで行い、その翌月にはウクライナに180基の対戦車ミサイルシステムを配備した。このミサイル配備は、副大統領時代にオバマ大統領に提案して、「プーチンが攻撃的になる」として即座に却下されたものだったが、今回は思うがままに行ったものだ。
 ウクライナへのミサイル配備を受けてプーチン大統領は直ちに「NATOはデッドラインを越えるな!」と反応し、ウクライナとの国境付近に10万人のロシア軍を配置した。それからというものは、バイデン大統領自身、あるいはブリンケン国務長官ともに「ロシア軍の侵攻がいまにも始まるぞ」と連日のように煽り、その挙げ句には「戦争になっても米軍は派遣しない」とおまけまでつけた。まるで「さあ、どうぞ自由に軍事侵攻してください」とサインを送ったも同然だった。ついでに言えばNATOも軍事派遣はしないと決定した。

 副大統領時代のバイデン氏のウクライナ訪問だが、いつも息子のハンター・バイデンが同行していた。このハンターとウクライナをめぐっての金銭その他の疑惑もあるのだが、FBIもすでに証拠資料をもっているらしい。いずれ中間選挙が始まればトランプ前大統領が暴きだすことになるだろう。
 中国外務省発表の「この危機のもともとの悪者は、よく反省し、責任を果たすべきだ」という声明はこういうことであろうか。
 そもそもウクライナのゼレンスキー大統領が、これまでのフィンランドやスウェーデンのようにNATOから距離をおいていたら、さらに2月のバイデン、プーチン両大統領の電話会談の際に、「ウクライナのNATO加盟はない」とバイデン氏から伝えていたら、こんな事態にはならなかった。だが、バイデン氏にそんな選択肢はなかった。ロシアによるウクライナ侵攻によって、アメリカの液化天然ガス(LNG)はヨーロッパに向けてどっと流れ出すことになる。
 バイデン大統領はすでに先を見ている。ロシアが終われば次の標的は中国である。遠藤氏は、日本にも起こりうるシミュレーションとして覚悟すべきとしているが、ロシアが中国に、ウクライナが台湾に取って代わり、日本はアメリカに代わって台湾とともに戦うことになる。米中とどのように付き合うべきか、台湾も日本も懸命であるべきだ。直近の報道では、スウェーデンはこれまでどおり、NATOに加盟申請はしないという(「ロイター」同年3月9日付)。おそらく、フィンランドも足並みをそろえることになるだろう。
 遠藤誉氏のこの記事のタイトルは「バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛」。荷物を担いで右往左往し、命まで捨てることになるウクライナの一般市民には同情しかない。
 終わりに付け加えておきたいのだが、ウクライナ、ロシア、どちらの主張も100%信じることはできない。ただウクライナの白人過激派(極右、白人至上主義者)の存在が今回の問題に大きく影を落としているはずなのだが、報道ではまったく無視されているのが気になる。 (2022/03)



<2022.3.10> 

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②

  
第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
LinkIcon
 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く
  
第31〜40回LinkIcon
 第31回:生涯一裁判官
 第32回:IAEA最終報告書
 第33回:安倍政権と言論の自由
 第34回:戦後70年全国調査に思う
 第35回:世界は見ている──日本の歩む道
 第36回:自己決定権? 先住民族?
 第37回:イヤな動き
 第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと

第41〜50回  LinkIcon
 第41回:寺離れ
 第42回:もうひとつの「日本死ね!」 
 第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問
 第44回G7とオバマ大統領の広島訪問の陰で
 第45回:バーニー・サンダース氏の闘い 
 第46回:『帰ってきたヒトラー』
 第47回:沖縄の抵抗は、まだつづく 
 第48回:怖いものなしの安倍政権
 第49回:権力に狙われたふたり 
 第50回:入れ替えられた9条の提案者 
 第51~60LinkIcon
    第51回:ゲームは終わり
 第52回:原発事故の教訓
 第53回:まだ続く沖縄の闘い 
 第54回:那須岳の雪崩事故について
 第55回:沖縄の平和主義
 第56回:国連から心配される日本
 第57回:人権と司法
 第58回:朝鮮学校をめぐって
 第59回:沖縄とニッポン
 第60回:衆議院議員選挙の陰で

第61回:幻想としての核LinkIcon 

第62回:慰安婦像をめぐる愚LinkIcon

第63回:沖縄と基地の島グアムLinkIcon

第64回:本当に築地市場を移転させるのか?LinkIcon

第65回:放射能汚染と付き合うLinkIcon 

第66回:軍事基地化すすむ日本列島LinkIcon 

第67回:再生可能エネルギーの行方LinkIcon 

第68回:活断層と辺野古新基地LinkIcon 

第69回:防災より武器の安倍政権LinkIcon 

第70回:潮待ち茶屋LinkIcon 

第71回:日米地位協定と沖縄県知事選挙LinkIcon 

第72回:沖縄県知事選挙を終えてLinkIcon 

第73回:築地へ帰ろう!LinkIcon 

第74回:辺野古を守れ!LinkIcon 

第75回:豊洲市場の新たな疑惑LinkIcon 

第76回:沖縄県民投票をめぐってLinkIcon 

第77回:豊洲市場、その後LinkIcon

第78回:元号騒ぎのなかでLinkIcon 

第79回:安全には自信のない日本産食品LinkIcon 

第80回:負の遺産の行方LinkIcon 

第81回:外交の安倍!?LinkIcon 

第82回:「2020年 東京五輪・パラリンピック」中止勧告LinkIcon 

第83回:韓国に100%の理LinkIcon 

第84回:昭和天皇「拝謁記」をめぐってLinkIcon 

第85回:濁流に思うLinkIcon 

第86回:地球温暖化をめぐってLinkIcon 

第87回:馬毛島買収をめぐってLinkIcon 

第88回:原発と裁判官LinkIcon 

第89回:新型コロナウイルスをめぐってLinkIcon 

第90回:動きはじめた検察LinkIcon 

第91回:検察庁法改正案をめぐってLinkIcon 

第92回:Black Lives Matter運動をめぐってLinkIcon 

第93回:検察の裏切りLinkIcon 

第94回:沖縄を襲った新型コロナウイルスLinkIcon 

第95回:和歌山モデルLinkIcon 

第96回:「グループインタビュー」の異様さLinkIcon 

第97回:菅政権と沖縄LinkIcon 

第98回:北海道旭川市、吉田病院LinkIcon 

第99回:馬毛島買収、その後LinkIcon 

  

第100回:殺してはいけなかった!LinkIcon 

第101回:地震と原発LinkIcon

第102回:原発ゼロの夢LinkIcon 

第103回:新型コロナワクチンLinkIcon 

第104回:新型コロナワクチン接種の憂鬱LinkIcon 

第105回:さらば! Dirty OlympicsLinkIcon 

第106回:リニア中央新幹線LinkIcon

第107回:新型コロナウイルスをめぐってLinkIcon 

第108回:当たり前の政治LinkIcon 

第109回:中国をめぐってLinkIcon 

第110回:したたかな外交LinkIcon

第111回:「認諾」とは?LinkIcon 

第112回:「佐渡島の金山」、世界文化遺産へ推薦書提出LinkIcon

第113回:悲痛なウクライナ市民LinkIcon 

第114回:揺れ動く世界LinkIcon 

第115回:老いるLinkIcon

第116回:マハティール・インタビューLinkIcon 

第117回:安倍晋三氏の死をめぐってLinkIcon

第118回:ペロシ下院議長 訪台をめぐってLinkIcon 

第119回:ウクライナ戦争をめぐってLinkIcon 

第120回:台湾有事をめぐってLinkIcon 

第121回:マイナンバーカードをめぐってLinkIcon 

第122回:戦争の時代へLinkIcon

第123回:ウクライナ、そして日本LinkIcon 

第124回:世襲政治家天国LinkIcon 

第125回:原発回帰へLinkIcon 

第126回:沖縄県の自主外交LinkIcon 

第127回:衆参補選・統一地方選挙LinkIcon 

第128回:南鳥島案の行方LinkIcon 

第129回:かつて死刑廃止国だった日本LinkIcon 

第130回:使用済み核燃料はどこへ?LinkIcon 

第131回:ALPS処理水の海洋放出騒ぎに思うLinkIcon 

第132回:ウクライナ支援疲れLinkIcon 

第133回:辺野古の行方LinkIcon 

第134回:ドイツの苦悩LinkIcon 

第135回:能登半島地震と原発LinkIcon 

第136回:朝鮮人労働者追悼碑撤去LinkIcon 

第137回:終わりのみえない戦争LinkIcon

第138回:リニア中央新幹線と川勝騒動LinkIcon 

第139回:ある誤認逮捕LinkIcon 

第140回:日本最西端の島からLinkIcon 

第141回:隠された米兵性的暴行事件LinkIcon 

第142回:親ユダヤと正義LinkIcon 

第143回:ベラルーシの日本人スパイLinkIcon 

第144回:「ハイドパーク覚書」をめぐってLinkIcon

第145回:鼻をつまんで1票LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon