いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂
第147回:死刑制度の見直しを求む!
昨年末のことだが、「死刑執行、2年連続ゼロ」という報道を目にした。2年間死刑執行がないとニュースになるのかと不思議な気持ちになった。もしや死刑制度は残しつつも、今後執行しない方針に転換したのであろうかとも思った。とにかくそんな見出しが立つほどに、死刑は頻繁に執行されてきたということだ。
直近の執行は岸田文雄政権下の2022年7月に行われている。そのあとに法務大臣に就任した葉梨康弘氏の「朝、死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職」という暴言ではんこが押しにくい状況になったようだ。さらに確定死刑囚だった袴田巌氏への再審無罪判決が法務省内に与えた衝撃の大きさが加わり、執行には慎重にならざるを得ない状況が続いているという法務省関係者の言葉があった。
以前にも、死刑囚への再審無罪判決が4事件続いた直後の1989年11月を最後に、約3年4カ月にわたって中断されたことがあった。今回は、そのとき以来の異例のことだという。なお、昨年末時点での死刑囚は106人。期待したほどの内容の記事ではなかったが、このまま「死刑執行ゼロ」が続くことを望みたい。
死刑執行といえば、安倍晋三政権は史上最悪の政権だった。第一次安倍政権の約1年間で10人を、第2次〜4次政権の8年間で34人、合計44人の執行が行われた。
とくに異例だったのは上川陽子法務大臣のときに行われたオウム真理教幹部13人の執行である。1日に7人、6人と極めて短期間に2回に分けて執行された。そのなかには弁護士が、裁判所や検察をまじえて再審請求の打ち合わせをしている当日に上川氏がサインをした例もあった。再審請求が刑の執行を免れることにはならないのだ。合わせて同氏の命令で16人の執行が行われた。
カトリック中央協議会は「常軌を逸した大量殺戮」という言葉を用いて抗議声明を発した(2018年8月3日付)。グテーレス国連事務総長の「この野蛮な慣行を続けているすべての国に訴えたいと思います。死刑執行を停止してください。死刑は21世紀にふさわしくありません」という訴えを引きつつ、「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う私たちは、こうした国際社会からの声に耳を貸そうとしない日本政府の頑なさと不誠実さを大変遺憾に思います」と。
菅義偉政権はコロナ対応で追われたせいか、死刑執行はなかった。岸田文雄政権は発足2カ月で一度に3人の執行を行い驚かせたが、3年間で計4人を執行した。
刑事訴訟法によれば、死刑確定から6カ月以内に法務大臣は執行を命じなければならない規定だ。だが規定に反しても違法になるわけではなく、結果的に、死刑確定から執行までの平均期間は8年になるという。さらに、土曜日、日曜日、祝日、12月29日から1月3日は執行できない決まりもある。
1998年の和歌山毒物カレー事件の林眞須美氏死刑囚は死刑確定が2009年だが、決定的な証拠がなかったせいであろうか、いまだ執行はなく再審請求中である。
昨年11月、弁護士や検察、警察の元トップ、犯罪被害者遺族らでつくる「日本の死刑制度について考える懇話会」が、政府や国会に死刑の存続や制度のあり方を議論する会議体の設置を求める報告書をまとめた。林芳正官房長官が記者会見でこの件を問われた様子を偶然テレビで目にした。
「政府として死刑制度を廃止することは適当でないと考えている」「政府として会議を設ける考えはない」と高圧的で、一方的に門前払いにしたような物言いに唖然とした。どうかしている。せめて「中身に目を通してみて、検討します」くらいで収められないものであろうか。
懇話会は、廃止と存置の双方の支持者で構成され、死刑制度のあり方の議論を求めているのである。官房長官はそれをバッサリと、カメラの前で切って捨ててみせたのだ。最悪の印象を与えた会見だったと思う。
政府はどうしても死刑制度を維持しつづけたいようだ。理由はよくわからないが、自分たちが政権に携わっている間は制度をいじりたくないのかもしれない。ひとを殺してもかまわないから現状維持がよいのであろうか。そんなふうにも思えてくる。
政府が制度維持の根拠にしているのは「世論」である。内閣府が5年に一度行っている死刑制度に関する世論調査である。直近の調査は2019年に行われている。「死刑は廃止すべき」9%、「死刑もやむを得ない」80.8%、「わからない」10.2%である。死刑容認は、4回連続で8割超だそうだ。
イギリスのNGO「死刑プロジェクト」の共同設立者ソール・レーフロインド氏へのインタビュー記事がある(『東京新聞』2024年3月4日付)。
同氏は「日本政府は死刑存置の言い訳として世論調査を続けている印象がある」とし、世論を反映しているとはいえず、もう調査をやめるべきだと忠告している。
「本来聞くべきは、どれほど強く死刑を支持しているかで、『やむを得ない』(という選択項目)では調査として不十分だ」
NGO「死刑プロジェクト」では、政府から独立した刑事罰に関する世論調査の国際的専門家が調査し、日本政府に結果を報告するやり方を推奨している。2023年に死刑を廃止したガーナをはじめ各国でこの調査が行われているという。この調査によって、世論の死刑支持は抽象的なもので、説得しうるということがみえてくるという。
イギリスの場合、第二次世界大戦直後の1949年に政府が死刑に関する王立委員会を設置。4年の調査の結果、冤罪リスクのない刑事司法制度はあり得ないとの結論に至り、5年間の執行停止をへて69年に廃止。以後、仮釈放の可能性のある終身刑を最高刑としている。当時、国民の76%が死刑を支持していたが、世論は政治の決断を受け入れたという。我が国でも、そんな政治家のリーダーシップを目の当たりにしてみたいものである。
レーフロインド氏は昨年のインタビュー当時、静岡一家殺人事件の死刑囚袴田巌氏の再審にも注目していた。
「完璧な刑事司法制度はない。裁判官もミスをする。死刑にしてしまえば取り返しがつかなくなる」
相当控えめな発言の印象だ。証拠の捏造、捜査の杜撰さ、恣意的な捜査のあり方にも突っ込んでほしかった。それくらいひどい。おそらく過去に、無実のまま処刑されていったひとがいるはずだが、警察・検察とも、それらの捜査検証をしようとはしないだろう。2008年に執行された飯塚事件は、いまも遺族によって再審請求されている。
レーフロインド氏は、基本的人権と相容れない死刑制度の維持は、日本の評判を落としていると指摘しているが、もうひとつ、自白するまで身柄拘束が続けられる「人質司法」も大きく評判を失している問題だ。
昨年6月、KADОKAWA元会長角川歴彦[つぐひこ]氏が、「人質司法」により精神的苦痛を受けたとして、国に対して2億2,000万円の国家賠償訴訟を東京地裁に起こした。『日刊ゲンダイ』で詳しいインタビュー記事を読んだが、大川原加工機事件のように命を失う瀬戸際まで追い込まれるのだ。
10人の錚々たる顔ぶれの弁護団だが、袴田事件の再審開始、袴田氏の保釈を決定した裁判官村山浩昭氏が弁護団長を担っているのには驚いた。角川氏の著書『人間の証明』の英訳本を用意するとともに、日本外国特派員協会で記者会見を行ったのは、国際的に訴えるほうが効果的との判断であろう。
同氏は同時に国連人権理事会恣意的拘禁ワーキンググループに申し立ても行っているが、恣意的拘禁の事例に関する調査を任務とする専門家グループで、国連側による調査も行われることになる。
暮れの12月31日、ジンバブエが死刑を廃止し、60人の死刑囚たちは禁固刑に減刑されたというニュースが飛び込んできた。2005年が最後の執行だったという。(2025/01)
<2025.1.15>
「日本の死刑制度について考える懇話会」記者会見(2024年11月13日、日本記者クラブHPより)
角川歴彦氏、国を提訴時の記者会見(2024年6月27日、「人間の証明 Proof of Humanity」HPより)